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売れっ子作家の仲間入り。

夏目漱石、正岡子規、あるいは現代の作家だと、澁澤龍彦、赤瀬川原平(尾辻克彦)、浅田次郎、マンガ家だと手塚治虫、さくらももこ。一一たうたう私は、こうした偉大な作家たちの、仲間入りを果たしてしまつた。

どういうことかというと、職業病である。

これで、ピンと来た方はなかなかいないと思うから、そろそろもったいをつけずに正解(?)を書くと、要は「痔」である。「腰痛」とともに、長時間机に向かう(椅子に座っている)作家の、二大職業病である、あの「痔」だ。

どうにもビロウな話で申し訳ないが、昨今は、作家を目指す人も多いのだから、知っておいて損はない話なので、報告方々書いておこうと思う。こうして書くこと自体が、その回復を遅らせることにもなるというのを知りながら、私は、いわば自己犠牲的精神をもってこれを書いているのだと、そう思っていただければ幸いである。

まあ、私は、前述の先生方とは違って、趣味の物書きでしかない。それは重々理解しているのだが、しかし、「出物腫れ物所構わず」という言葉もあるくらいだから、非情なる「痔」もまた、プロとアマチュアとを問わずに登場する。そのへんは、まったくフェアなのである。

私の場合、仕事を辞めて楽隠居生活に入ったこの1年半、好き放題に本を読み、映画を観、文章を書いてきた。特に、本を読んでも映画を観ても、それらのほぼすべてについて、文章を書いてきた。
仕事をしていた頃なら、いやでも出勤するし、外に出ないではいられなかったのだが、この1年半、外出するのは、食料の買い出しか映画を観に出るくらいだったし、多少は運動もしないといけないと思い、それで始めたウォーキングも、もともとが好きなことでもなんでもなかったから、暑くなると辞めてしまった。

つまり、毎日が休日で好き放題に「ヨムカク」生活を送り、ほぼ毎日、机に向かう時間は8時間ほどにもなっていたはずだから、これはもう「職業病」とは言えないが「生活習慣病」と呼ぶのなら、まったく正しいと言わざるを得ないだろう。

それにしても、文章書きで対価を得ているのであれば、「痔」になるのも仕方ないが、こちとらアマチュアなのに、同じ病いになるなんて、なんだか酷い話のようにも感じられる。
だが、これはきっと、この世界には「神様」など存在せず、そうした配慮なんてしてくれる者など、どこにもいないということなのあろう。私がいつも主張している「無神論」が正しいという、ひとつの証左だとも言えるのではないだろうか。

そんなわけで、あんまり露骨にビロウな話もどうかと思って、ここまでは「原理論」を語ってきたのであるが、そうした綺麗事ばかりでは、あまり人様のお役にも立てないだろうから、ここからは「現実論」を書くことにする。
食事前だとか、エッチではないシモの話が苦手な人は、この先を読まない方が良いかもしれない。

エッチではないシモの話が好きだとしても、これは以前にご紹介した、京極夏彦・多田克己・村上健司・黒史郎による『ひどい民話を語る会』のような、楽しい話ではない。
同様に「学術的」な側面があるとは言え、こっちはひたすら無味乾燥な「医学」的な話であって、あちらのような「文系的」な面白さはないので、読むのなら、そのつもりで読んでいただきたいと思う。

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「痔なんじゃないかな?」と思ったのは、もう1ヶ月ほど前のことである。
私は比較的、便通は良い方なので、排便の際は、フンといきむと、ブリッと一気に排便を完了して、あとはスッキリという人間である。便秘になることも、下痢になることも滅多になかった。

で、その1ヶ月ほど前も、そのようにして排便したのだが、その時に、肛門のあたりに痛みを感じた。「あっ、いきんだから、切れたのかな?」と思ったのだが、お尻を紙で拭いて、ウォシュレットで洗って、紙でその水気をとったのだが、若干の血の跡が残っていたので、「やっぱり切れたんだな」と思ったのである。

しかし、こんなことは、過去にも何度となくあったことだし、若い頃にもあったことだから、さほど気にしなかった。たいがいは自然に治ったからだ。
数年前に一度だけ、なかなか治らなかったし、排便時の痛みが我慢ならないものになったので、初めて肛門科のある病院を訪れたのだが、その時は、最初の診察の際にもらった薬で、あっさりと治ってしまったのであった。

そんなわけで、今回もしばらく様子を見ようと思った。
排便時の痛みが、前回ほどではなかったからだったが、しかし、排便したあとは長時間にわたって、ごく弱い、痛みとも言えないような不快感(薄い鈍痛)があり、それは長時間、椅子に座っていると、その「痛みめいたもの」が増すようだった。
それで、市販の「痔」用の坐薬を入れてみたが、特に良くなっているという感じがしない。と言うか、毎日入れるということまではせず、特に痛い時だけしか入れなかったし、「清潔にしていれば、そのうち治るだろう」という楽観もあって、市販薬による治療は、けっして継続的なものではなかったのである。

で、そろそろ1ヶ月にもなるから、病院で診てもらっておいた方がいいだろうと思った。悪化すると困るのはもちろん、他の病気であったりしても困るなと考えたからだ。

曖昧な記憶ではあれ、私がまだ幼い頃、母が「いぼ痔を切った」とかいうことで、たいへんに痛い目を見たという話を記憶していたので、そうはなりたくないし、そういう遺伝形質があるのかもしれないから、「痔」を甘く見てはいけないという気持ちもあったのだ。

それに、なにしろ「肛門科」で診てもらうのも二度目になるから、たぶん前回よりはかなり敷居が低かったのであろう。肛門に、いきなりゴム手袋をした指を突っ込まれることくらいなら、もう平気になっていた。

若い頃、警察の採用試験に合格し、警察学校への入校のための健康診断で、医師にいきなり「お尻を出して、壁の方を向いて、ベットに横になってください」と言われ、何をされるのかと思いながらも横になると、いきなり尻の穴に指を突っ込まれた時には、心底びっくりした。
そんなことをされるなんて、想像だにしなかったからで、まるで強姦による処女喪失みたいなショックだったが、その触診は、一瞬で終わった。あとで、理解したことだが、あれは「痔」持ちではないかを調べたのであり、警察や軍隊といった、健康な体が必要な職業では、必ず確認されることだったようだ。
一一そんなわけで、今回は3回目となるので、「それ」をされることに恐れはなかったし、若い頃に比べ、羞恥心も薄くなっていたから、平気で病院へ行くことができたのである。

で、結果としては「痔核」であった。
いわゆる「いぼ痔」である。しかも、大小3つもできていた。自分で思っていたよりも、ひどい状態であった。
私の場合は、「痔核」の中でも「内痔核」であり、これは「肛門」を形成する「歯状線」の内側にできる「痔核」にことである。

どうやら「肛門」というのは、お尻の穴のあたり、外から見える部分を(医学的には)そう呼ぶようで、門の中は「肛門」には含まれない。

門の中は「直腸」であり、この「直腸」と、門の外の「肛門部」を隔てるのが「歯状線」であり、私たちが一般に「肛門」とか「(菫色の)アヌス」とか「菊花」などと呼ぶ、あれのことである。
その「歯状線」の内側の「直腸」最下端部にできた「痔核」が「内痔核」、「歯状線」の外の肛門部にできたものを「外痔核」というのだそうだ。

で、「直腸」は痛みを感じない。つまり、外の肛門部の皮膚には神経が集中しているため「外痔核」はとても痛いものなのだが、直腸にできる「内痔核」は、そのままなら傷まない。
ただし、これが大きくなって、外に出てくるから、排便時などに痛むことになるし、長時間にわたって椅子に座っていると、中に戻っていたこれが徐々に押し出されることになるから、痛みを感じるようにもなる、というようなことのようだ。

では、なぜ「痔核」ができるのかというと、これは血行不良により血の流れが直腸の最下端で滞り、血溜まりの袋のようなものになる。これが「痔核」で、軽いものであれば、清潔にし、血行を良くすれば、自然に消滅するものであるようだ。

で、「痔」には、こういう「痔核」とは別に、「痔瘻」というものがある。これは「痔核」などが悪化して、膿を持ってしまい、直腸の内壁を壊死させたりするもののようだ。
詳しいことは知らないが、おおすじそのようなもので、考えただけでも恐ろしい。こうなると、手術となる蓋然性が、グッと高くなる。膿んだ部分を切除して、あとは安静にして回復を待つというようなことだろうから、当然、入院ということにもなるのであろう。

それに比べれば「痔核」はまだ、ずっと安心な感じだが、これとて、悪化して、自然に縮まないとなると、注射による薬剤注入によって、「痔核」に流れ込む血流を制限し、それで「痔核」をしぼませ、元の状態に戻す、という段取りの治療法らしい。
「ジオン(ALTA)注射による治療法」というそうなのだが、「痔核」に薬が満遍なく行き渡るように、「痔核」一つ当たり4回も注射をするという。麻酔をするから、痛くないそうではあるが、私の場合は3つあるから、全部それでやったら、12回も注射されることになるのだから、ゾッとする。この療法は、1日の経過入院で済むそうだが、できれば、そうはなりたくないものである。

ともあれ、私は今日、2週間分の薬をもらい、その後に診察を受け、その結果次第ということになった。一一実に恐ろしい。ビロウだなどと、甘い話などしていられないというのが、ご理解いただけよう。

そんなわけで、長時間のデスクワークをする人や、タクシーやトラックの運転手などの「職業病」でもある「痔」なのだが、「物書き」を目指す人は、こうしたこともあるのだと知っておいても良いと思う。
冒頭に挙げた有名作家の事例なども「作家・職業病・痔」などと検索すれば、すぐに関連記事がヒットするので、それらを参考にして、自分のお尻を大切にしてもらいたいと思う。

それにしても、「痔」だというのに、まだこんなものを書いている私は、「自己犠牲的」であるとも言えれば、やはり「病膏肓」なのでもあろう。一一あとで、こんな文章を書いていたことを、後悔しなければならなくなるようなことには、なりたくないものである。

今後は、「note」の更新も、最大で二日に一度くらいの頻度に自制したいと思う。そのぶん、読書の方に時間をかけよう。
この機会に、なかなか読めなかった、分厚い本や大長編小説を読むことにしたい。

何はともあれ、ままならぬのが浮世というものなのである(ちょっと、漱石風に)。

(2023年8月23日)



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