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理屈っぽい夢 : 子供の自転車遊び

今朝、寝覚めに見ていた夢なのだろう。あるいは、半覚醒の状態でいろいろ考えていたということなのかもしれない。とにかく、目覚めた後でも、夢の中で考えたことの大半を記憶していたし、これは書かねばならないと思い、「こんな夢を見た」という仮題だけは、スマホにメモっておいた。
タイトルは変更したものの、それをいま書いているのである。

夢で見たのは、今の家から200メートルくらいの場所にあった、小さな商店街である。父が最後に店(寿司店)を出していたのがここだったのだが、今ではそこがどうなっているのか、長らく通ったこともないからわからない。だが、いずれにしろ商店街自体は20年以上前に無くなっている。
道幅が4メートルほどで、商店街の端から端まではせいぜい100メートルほどの、アーケードも無いような、名もなき小さな商店街だったから、もう30年も前からシャッター商店街化が進んでいたし、10年以上前には、その片側にマンションが建ったりしたので、今や商店は、ひとつも残っていないのではないだろうか。

ともあれ、その夢の中では、縁日なのか何かなのか、その商店街の店主たちが、道路に露店を出して何かを売っている。私は、父の店があったあたりの、商店街の南端付近に立っており、露店を出している商店街の人たちと立ち話をしている。

その夢の前半は、このエッセイの趣旨とは関係のない「黒豆ボール」とでも呼ぶべき菓子を売る露店の話なのだが、そこまで書くと無駄に長くなるので、ここでは省略する。
ただ、そちらのことで一点だけ書いておけば、その直径2センチほどの「黒豆ボール」が1個百円だと聞いて、私が「高すぎる」と感じていた、という点だ。
今の時代なら、いくら露店とは言え、「高級菓子」という体裁なら、「黒豆ボール」が1個百円というのも、あり得ない話ではないだろう。だが、夢の中の私の感覚では、せいぜい1個10円か20円までだと、そう考えているのだ。要は、夢の中の感覚が、今の現実のそれより数十年過去のものなのである。

さて、ここからが本題。
露店の店先で立ち話していた私たちのところへ、自転車に乗った小学生男子の一団がやってきて、大人から何やら注意されている。要は、危ないから、自転車でこんなところを走りまわるな、ということのようである。
4、5人の子供たちは、それぞれの自転車で、商店街の北端から南端まで競走をしていたのである。これはたしかに、危険と言えば危険なのだけれども、その時の私としては「子供にはありがちなことだ」という感覚である。と言うのも、前にも書いたことなのだが、私は子供の頃、近所の子供たちと自転車を連ねて、近所の道路をぐるぐると走りまわっていたことが、実際にあったからだ。それが楽しかったのである。

ともあれ、その子供らの父親と思しき、顔見知りの中年男性から「どこで走らせたら良いだろう?」というようなことを問われて、私は、商店街とは反対方向に、私の家から500メートルほどに位置する、河川敷の原っぱが良いのでは、と薦めている。
「河川敷の原っぱ」というのは、今風の「整備された公園」などではなく、半分以上が丈高く雑草の生い茂った、未舗装の「空き地」である。
当然のことながら、現在では、そんな「空き地」など存在していないのだが、夢の中の私は、自分が子供の頃の風景を思い浮かべて「あそこなら、人も来ないし、誰にも迷惑をかけずに、好きなだけ自転車で走りまわれるだろう」と、そう考えているのだ。

(空き地のイメージです)

父親にその旨を告げると、彼は「そこには○○の看板が立てられているだろうか?」というようなことを、私に問い返した。私の頭の中には「飛び出し坊や」のような、子供の形を模った看板のイメージが浮かんでおり、「たぶん、立っているんじゃないかな」というような返事をしている。
だが、そうは言っても、その看板が何を意味するものなのか、私の中では曖昧だ。「ここは子供の遊び場です」という意味なのか、「車両の乗り入れ禁止」といった意味なのかが、よくわからない。後者だとすれば、自転車で走りまわることも禁止なのかもしれないが、私は「子供の遊び場」という意味に取って、大丈夫ですよ、という意味合いにおいて、その父親に「立っていたと思いますよ」と返事していた。

しかし、そう返事した後、私は夢の中で「本当に大丈夫なのか?」と、すこし心配になって、あれこれ考え始めたのである。これが「理屈っぽい夢」というタイトルの由来だ。

前述のとおり、その「空き地」が、すでに公園局か何かの管理下に入っているため、前記のような看板がわざわざ設置されているのだとしたら、そこを自転車で走りまわるのは不可能だろう。他の子供たちと接触事故を起こす危険性があるからである。
一一だか、だとしたら他にどんな場所があるだろう? そんな「草っ原の空き地」でさえダメなのだとしたら、他に良い場所なんてないのではないか?

例えば、子供の頃の私のように、普通に道路を走り回っていればそれで良いようなものだが、しかし、今の親に、それを薦めることはできない。というのも、当然のことながら、今どきの親なら、子供が「交通事故」に遭うことを恐れるからである。

かつては、子供たちが自転車で走りまわっていて、歩行者とぶつかるような事故は、「交通事故」とは考えられていなかった。「交通事故」とは、あくまでも自動車との衝突事故が想定されていたのである。
だから、私が子供の頃なら、自分が乗っている自転車を、人や物にぶつけても「ごめんなさい」と謝って、こっぴどく叱られたら、それでおしまいだったのだが、一一今では、そうはいかない。

自転車で人にぶつかって怪我をさせれば、これはもう、今では完全な「人身交通事故」である。なにしろ自転車は、道交法における「車両」の扱いを受けるようになった。
だが、少なくとも夢の中では、子供の自転車は「事故保険」になど入っていないから、公的に罰せられはしなくても、治療費などは実費負担で払わなくてはならないし、万がいち、入院だ休業だということになれば、大変な金額になるかも知れない。

子供の頃の私は、そんなことを考えもしなかったから、人通りのある商店街の中でも、自転車を全速力で飛ばし、巧みに人を避けて走行することに、快感を覚えてすらいたという記憶がある。
だが、40年間警察に勤めた私には、夢の中での思考であっても、「もうそんなことはできない」という感覚が染みついているのだろう。だから、「商店街」は無論、「原っぱの空き地」が無理だからといって、では車道を走らせておけば良いと、その父親に薦めることはできなかった。その父親が「車道は危ない」と言うに決まっていると、夢の中の私も、そう考えていたのだ。

となると、子供たちが、自転車を連ねて存分に走りまわれる場所など、自転車専用に整備された場所しかない、ということになるのではないだろうか。
しかし、そんな場所など近所にはなく、唯一思いつくのは、三重県鈴鹿市にある「鈴鹿サーキット」くらいだ。たしか、そんな施設があったはずだが、あそことて、自分の自転車を持ち込んで、好き放題に走れる、といった場所ではなかったはずだ。
だが、いずれにしろ、自転車に乗るために、わざわざ他府県まで出掛けることはないだろう。

だとすると、私が子供の頃とは違って、子供が自転車に乗って、好き放題に走りまわれる場所なんて、もうどこにもないのではないだろうか?

『ドラえもん』に登場する「土管の積まれた空き地」が、すでに存在しなくなってひさしいように、誰のものとも知れない「空き地」、その意味で、学術的な言葉で言えば「アジール(神聖不可侵な自由の場所)」というのは、存在しなくなったのではないか。

どんな場所にも「管理者」がおり、そこで起こることについて、一定の責任を負わされる。
例えば、土管に登って遊んでいた子供が、崩れた土管の下敷きになって死んだりしたら、どうなるか?

私が子供の頃なら「そんなところで遊んでいた、子供が悪い」ということになり、「不幸な事故」だったということで、それで終わりだろう。

だが、今ならきっと「管理者責任」が問われるだろう。
なぜ、そんなところに土管を積んだまま放置していたのか。また、その積み方には問題はなかったのか。そもそも、そんな危険な場所を、子供たちでも容易に出入りできるような状態で放置していた点に、管理者の過失があるのではないか。そんな場所は、子供たちが入らないように、柵などを設けて囲っておくべきではなかったのか。一一などなど。

たぶん、こんな話になるだろうし、すべてがそうはならなかったとしても、やはり「空き地」の管理者というのは、いずれにしろ「管理者責任」を問われる可能性を恐れて、そのような措置を事前にこうじておくだろう。だからこそ、誰もが勝手に入り込めて、好きに遊べる場所としての「空き地」がなくなったのではないだろうか。
管理者が、地方公共団体であろうと、個人や企業であろうと、そのような「管理地」については、他人を立ち入らせないようにするだろうし、「公園」として整備された場所だとしても、「自転車の乗り入れ禁止」「球技の禁止」といった禁止項目が看板として掲げられ、それに反して事故が起こっても「管理者は責任を負えませんよ」と、そう予防線を張っているいるのではないだろうか。

だとすれば、子供たちが、好き勝手に自転車で走りまわることのできるような場所など、よほどの地方にでも行かなければ、もう存在しないのではないだろうか。

もちろん、昔のように、親が子供の好きにさせておくのなら、近所の道路で勝手に走りまわっていることも可能だろう。だが、今のまともな親なら、やはりそれを許したりはしないのではなないか。子供が事故にあって死ぬという最悪の事態を想像してしまって、そんなことは許さないのではないだろうか。

つまり、親を含めて、すべての人が「子供を事故から守ろう」とした結果、子供たちは「囲われた安全圏」の中でしか遊べなくなってしまったのではないか。

これは決して、わからない話ではないし、不条理な話でもなんでもないのだが、しかし、なんとも「不自由で息苦しい世の中になったものだ」という、感慨を私自身は禁じ得ない。

きっと昔は、そうした「自由」の陰で、事故死していた子供も、それなりの数、いたのであろう。
だが、「ゼロ事故社会」という理想を目指した結果、たしかに「事故」は減ったけれども、そのぶん「不自由」にもなったのではないか。

私たちは、理想を掲げながら、その一方で徐々に「不自由」になっていく社会に対して、「茹でカエル」のように順応してきたのであり、だからこの先も、まだまだ順応していけるのかも知れない。
また、人間も馬鹿ではないのだから、決定的に茹で上がって死んでしまうというようなことには、なかなかならないであろう(その前に対策を考えるであろう)けれども、しかし、夢の中で、昔の感覚を思い出し、そして、今の現実感覚を交えてあれこれ考えてみると、「今の社会は、なんと不自由なのだろう」と、そんな感慨を持たざるを得なかったのである。

もちろん、「昔の方が良かった」とは思わない。
昔は昔で、嫌なことも多ければ、不自由なことも多かったはずなのだが、今の私は、それを忘れているのだろう。

だが、「失われたもの」があるというのは、間違いのない事実だろうし、それを思い出してみることは、今の社会、あるいは、今の私たちを考えてみる上でも、必要なことなのではないだろうか。

もう、出会い頭に、他人に自転車をぶっつけて、「ごめんなさい」では済まないのである。
またそれは、たまたまその当時の子供の私が、人にぶつかって、相手に軽傷を負わせるに止まっていたから言えることで、車とぶつかって自分が死んでいたら、当然、何も言えなくなってしまうし、あるいは、重傷を負い、重篤な障害を持つ体になっていたとしたら、「空き地」がどうとか、「不自由」がどうとかいった、こんな呑気な話など、きっとできなくなっていたことだろう。

だがそれでも、「失われたもの」を惜しむ気持ち自体は、否定しようもないのである。

(2024年4月19日)

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