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雪崩と蔵書整理

昨夜は、今朝の5時近くまで徹夜的夜更かしをしてしまったので、お昼ごろまで寝てから、いつものようにレビューを書こうと考えていた。
だから、床に就く前にはすでに、天気予報どおりの強い雨が降っていたのだが、入眠から2時間ほどした頃だろうか、ドサーッというような音がして目が覚めた。
部屋に平積みにしていた本が崩れたのだ。

こうした経験は、これまでに何度もしているので、「ああ、またか。また積み直すのに時間を取られるな。今日はレビューを書いている暇はないかもな」となどと思った。
そんなことしか考えていないのかと、私の極楽とんぼぶりを呆れられてしまうかもしれないが、まあ、そういう隠居暮らしをしているのである。

崩れた本の量が、左程のものではないのはわかっている。なぜなら、今や寝室として使っている1階の8畳和室に床から積ん まれた本の高さは、せいぜい胸くらいまでだからで、崩れたとしても、その一部の数百冊程度だし、崩れた際の音からして、そんなに多くはないとも感じたのだ。
それで「このまま5時間ほど寝て、起きてから片づけよう」と思ったのだが、目が覚めてしまって眠れそうもなかったので、結局は起き出して、崩れた本の片づけを始めた。

ちなみに、タイトルの「雪崩(なだれ)」というのは、平積みにしてある本の山(山脈)が崩れることを指している。
その崩れ方が「なだれ」という感じのものだからだ。正確には「土砂崩れ」に近い感じなのだが、「雪崩をうって崩れる」という感じなので「なだれ」と呼んでいるのである。
阪神・淡路大震災の時には、今ほどの蔵書量ではなかったが、それでも片づけには、ずいぶん時間がかかった。本が崩れた程度のこととは言え、やっぱり、もう、あんな経験はしたくない。

ちなみに、今回の雪崩被害は、2時間ほどの作業でおおむね片づいた。
だが、それが可能だったのは、2ヶ月ほど前に覚悟を決めて、古書店に入ってもらい、「蔵書の整理」を始めていたからである。まだ、一部だが、本を引き上げてもらっていたので、崩れた本を整理のために、一時的に移動させるスペースが、多少なりとも出来ていたからだ。

私はもともと整理癖のある人間なので、蔵書についても、かなりきれいに整理していた。読むための本とは別の「コレクション本」は、すべて硫酸紙のカバーを掛けて、作家別、ジャンル別などに分類して、ゆうパックの大箱に詰め、壁際に天井まで積んでいた。

コレクション本を箱詰めして積んでいたというのは、その量が本棚に収まるようなものではなかったからである。
普通の家庭用の本棚だと、仮に10台や20台買ったところで、ぜんぜん収まり切らないのは目に見えているし、本棚だとどうしても隙間ができて、無駄に空間が取られることにもなる。その点、箱詰めならば、多少はできる隙間など知れていて、要はびっしりと詰めることができるし、同じ規格の箱だから、隙間なく積むことができるのだ。また、木製なり金属製の本棚にくらべれば、段ボール箱が軽いというのは言うまでもない。蔵書との闘いは、量と重さとの闘いなのである。

現在、私が寝室として使っている1階の8畳和室は、先年亡くなった母が、高齢者施設に入るまでは寝室として使っていた部屋だ。居間ではあったけれど、ペルパーなどの他には来客もないし、そこにいてもらうのが何かと便利だった。また。そもそも1階で介護用のベッドを置けるのは、そこだけだったからだ。
だが、そのベッドも、母が施設に入る際には撤去したから、それまでは2階の6畳間を寝室としていた私は、以降はそこへ寝室を移したのである。
そして、母のベッドが置かれていた空間に、今では本の平積みの山並みが、幾重につらなって、部屋の三分の一くらいの面積を占めてしまっている。
今回崩れたのは、そのいちばん手前の端の部分、最近買った、近いうちに読むつもりで手近に置いてある本、ということだ。

つまり、8畳間と言っても、実質的に稼働しているのは、その6割ほどだし、そこには私の敷きっぱなしの万年床や、読書をしたりテレビやDVDを見たりするときにつかうシングルのソファーなどもあって、玄関や奥の台所へ移動するための「通路」スペースを除けば、ほとんど余分な空間は無い。
無論、私は「余計な物のない、シンプルで広々としたダイニング」などという通俗的にオシャレなものには興味がなく、唯物論的実用一点張りだから、平時はそれで満足しているのだが、物を動かすとなると「仮置き」するスペースが同室内にはなく、隣の台所か廊下にまで運び出さなくてはならない。だが、台所は煮炊きする場所(湿気の出る場所)だから、短期間でも本は置きたくないし、そのぶん、本以外のものがあれこれ置かれているので、居間ほどではないにしても、大して余分なスペースがあるわけではない。

で、今回、わりと短時間で「雪崩」の後始末ができたのは、つい先日まで、廊下の端にも積まれていた数百冊の本が、すっかり無くなっていたからである。
つまり、廊下に積んでいた本は、蔵書整理の対象として、未読本も既読本も、未整理のコレクション本も、全部まとめて古本屋さんに引き上げてもらっていた。だから、そこを「仮置き場」にすることができたのだ。
まあ、言い換えれば、この廊下の端っこは、もともと「未整理本の仮置き場」だったのだが、そこさえ、先日までは使えなくなっていたのである。

本来、私の蔵書は、すべて2階の3室に置かれていた。南から8畳洋間の書斎、8畳和室、6畳和室の3室で、母が施設に入るまでは、私は最後の6畳間を寝室として使っていた。ちなみにこの部屋には、エアコンが無かった。本を片づけるのと、蔵書の山を見られるのが嫌で、電気屋を入れたくなかったからだ。
そんなわけで、主な蔵書置き場となっていたのは、真ん中の8畳和室で、ここは、今回の蔵書整理が始まるまでは、階段に続く廊下と奥の6畳の寝室を繋ぐ、「通路」としての3畳分くらいのスペースを除いては、天井に達するまで、びっしりと積まれていた「コレクション蔵書」のダンボール箱と、その手前に胸高に平積みにされていた「未読本」で埋まっていた。
言うまでもないことだが、「未読本」まで箱に詰めてしまうと、もはや絶対に読めないから平積みにしていたのである。言い換えれば、「コレクション蔵書」は「読むための本」ではないから、安心して箱詰めにもできたのだ。

コレクターではない人、または、私ほどのキチガイではないコレクターなら「せっかくコレクションしたんだから、たまには手に取って眺めたいのではないか。そのためには、いつでも取り出せる書棚にでも入れておかないと、それこそ二度と日の目を見ないのではないか」と、そう心配なさるだろう。
なるほど、それはそれでごもっともな意見なのだが、それは蔵書の数が少ないから言えることなのだ。

私は「コレクション本」の蔵書も多いが、「読むための本」もやたらと多く、やたらと多いから読みきれないため、「未読本」が、文字どおり、いくつも山脈を形成するほどに貯まってしまう。
で、前述のとおり、未読本というのは、手近に置いておかないと二度と読めなくなるから、どうしても見えやすい位置に置くことになる。すると、仮に「コレクション本」を本棚に納めたとしても、やがてその周囲を「未読本」が埋めてゆき、ついには書棚の手前にも平積みされることになるから、結局のところ、書棚に「コレクション本」を納めたとしても、その書棚自体が本に埋もれて見えなくなってしまうのである。

それで、どうせ見えなくなるのなら、無駄に本棚になど納めず、箱詰めにして積んだ方が「省スペース」で効率的だから、読むためのものではない「コレクション本」は、躊躇なく箱詰めにされることになったのである。

それに、「コレクション本」を手に取って、矯めつ眇めつするなどというのは、「読書家」のすることではない。読書家に、そんな暇はない。
読書家は、寸暇を惜しんで読書するからだし、まして、あと百年生きても読みきれないだけの「未読本」を抱えている者としては、そんな、益体もない「暇つぶし」などしていられないのである。「コレクション」とは、手に入れた段階で、半ばその目的を達しているのだ。つまり、コレクターは「所蔵している」という満足感を、買っているのである。

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そんなわけで、我が家には「コレクション本」「未読本」が山ほどあって、それが2階のスペースを埋め尽くし、母が亡くなった後には、1階の、4畳半の物置部屋だけでは済まず、の8畳間居間や廊下にまで溢れ出していた。だから、以前のように、本を整理するのも困難になっていたのだ。
コレクション本を整理して箱詰めすると言っても、それは箱詰めする前に、作家別ジャンル別に、山を作って分けなければならない。しかし、買ってくるのは順不同だから、そうした本をいったんは「仮置きスペース」に広げてから分類しなければならないのだが、そのスペースが無くなってしまい、整理したくてもできない状態になっていたのだ。

だが、ここ10年ほどは、「退職したら、順次、本を処分していくから、まあいいや」と、整理スペースの問題を先送りにしていた。
では、退職したら、本をどのように処分するつもりだったのかというと、古本屋に売ると、購入価格の十分の一にもならないので、自分で「ネット古本屋」をするか、「Yahoo!オークション」などで個別に処分することを考えていた。
古本好きなら誰もが一度は考えるとおり、「退職後は古本屋でもやるか。それで蔵書も無駄にならないし、生活費の足しにもなるだろう」と、そう考えていたのだ。

だが、自分で言うのもなんだが、私は「お金のやり取り」には、ほとんど興味のない人間だった。
そんな根っからの「趣味人」である私が、たまたま公務員になれ、金の心配を一切せず、40年勤め上げたというのは、幸運以外のなにものでもなかっただろう。公務員をやっていれば、ギャンブルや無茶な贅沢でもしないかぎり、銭勘定をしなくて済むだけものはもらえるのだ。

まして私は、趣味と結婚ならどっちを取るかと考えて、趣味を取ったような人間なので、給料明細表の袋を、ほとんど開けたことがなかった。
ある時期、自分の超過勤務時間を、自己申告で帳簿に記入しなければならなかった際、「どうせ数時間しか付かないのだから」と、面倒がって、まったく書かなかったら、上司から「ゼロというのはあり得ないのだから、ちゃんと書け」と注意されて、イヤイヤ書くようになったこともある。
これはたぶん、超過勤務手当の配分が、いい加減だった(上の人に多く配分される)のが問題になった時期だと思うが、その後また、自分で書かなくて済むようになり、個人的には助かったのだが、まあ、警察官の「手当」なんてものは、いい加減なものだったのである。

ともあれ、そんな性格なので、実際に退職してみると、半ば予想されたこととは言え、「古本屋をやる」というのが面倒になってきた。
家を店舗付きに改造する気などないし、かと言って店舗を借りたら家賃が必要なのだが、家賃を払ってたら、純粋な儲けにならない。また、今どきは店舗を持たないネット古書店が多いのだから、私もやるならネット古書店だと考えた。

しかしながら、ネット古書店は、ホームページなんかを作り、注文が入れば、それを1冊1冊を梱包して送らなければならない。また、店舗販売のように、わかりやすく商品と代金を目の前で交換するのではなく、振込みを待たなければならない。
1冊1冊にそんな手間を掛けなければならないと考えると、気が遠くなってしまう。要は「そんなことをしている暇に、何冊の本が読めることか」と、そう考えてもしまうのだ。せっかく退職したというのに、だ。

また、1冊が数万円で売れるような本なら、そうした手間も掛けられようが、千円そこそこの本まで、いちいちそんなことをやってはいられない。
だが、好きで集めた本は、私個人の価値観で集めたのだから、一般的な「古書価」としては、必ずしも高いものばかりではないし、むしろ、そうした本の方が圧倒的に多い。つまり、自分も気に入っており、世間も欲しがるような本は、全体のごく一部であり、そうしたものを売ってしまえば、あとに残るのは、結局のところ一括して古本屋に売るしかないものばかりになるわけなのだ。
しかし、そうなるともう「美味しいところだけ持って行かれる」のは業腹だ、ということになってしまう。
そんなわけで、本の処分なんてことに頭を悩ませるのは時間の無駄だということになってしまい、私の「古本屋」構想は、夢と消えてしまった。

だが、独居老人の私がこのまま孤独死すれば、いずれ蔵書は、古本屋に叩かれるに決まっているから、それはそれで業腹だ。
そして、そのあげく私は、友人に「いっそ、三島の『金閣寺』ばりに、家に火をつけて、ぜんぶ燃やしてしまった方がスッキリする」などと言い出すまでになってしまった。

しかしだ、実際問題として、家ごと燃やしてしまうわけにはいかない(犯罪になる)のだから、結局はなんらかのかたち処分するしかない。
私自身が生きているうちにするか、死んでから、たぶん弟が遺品整理の一環で処分するかであり、どっちにしろ、安く人手に渡ってしまうという運命は避けられないのだ。

だとすれば、「安く買い叩かれるのが悔しい」などとケチなことは言ってないで、自分の目の黒いうちに、さっさと処分してしまおうと、ほとんど瞬間的に決意して、以前、時々足を運んだ、「文芸書」に強い古本屋に電話して、「蔵書を処分したい」と伝えたのである。それが、2ヶ月ほど前のことである。

その後、古本屋には、5回ほど蔵書の引き取りに来てもらっているが、たぶん、まだ全体の1割から2割くらいしか減っていないと思う。
1回目は様子見ということもあって、赤帽の軽トラで来て、それには荷台の8割がたも積んで帰ったが、そのあとは2トン車で来てくれており、そちらは、荷台いっぱいではなく、4割程度の積み方だろうか。
1回の作業が、本屋さん3人で3時間ほどなので、そのくらいしか運びだせないのだろうし、いっぺんに大量に引き上げたら、古本屋さんの方はそのあと、荷下ろしは無論、それを整理していかなくてはならないのだから、現場での作業は、3時間程度が関の山なのであろう。

最初に、古本屋さんがうちに来たときに、感心して言ったのは「綺麗に整理されていますね」ということだった。

で、私も「本の整理はできていると思いますし、状態も悪くないはずです。ただ、私の場合は、好きな本を20冊でも30冊でも、見るたびに買いますから、それはそちらでも処分しずらいでしょうし、私も、それがあるから、自分で個別に処分するというのは、断念したんですよ。何十年かかるかわからないから」と言うと、古本屋さんは「まあ、うちでぜんぶ買い取るというのは無理なので、ある程度、うちで括りを作って、古書組合の市に出すことになります。手数料をいただくことになりますが、その方が良いと思うのですが、いかがでしょうか?」と言うので、私も「それしかないでしょうね」と、お任せすることにした。
古本屋さんとしても、同じ本の在庫をたくさん抱えるわけにはいかない。1冊2冊なら、すぐにでも売れる本であっても、20、30ともなれば、不良在庫になるのは目に見えているから、1冊だけ買う時の「買取価格x冊数」では買い取れないからだ。普通の蔵書整理なら、ダブり本などほとんどないが、うちの場合は、ダブりどころの話ではないのである。

そんな処分方法の話をした後、以前からずっと気になっていたことを、この機会にと思って尋ねてみた。
「ところでこれ、全部で何冊くらいありますかね? 3万から5万冊くらいはあるでしょうか?」と尋ねたところ、古本屋さんは「いやいや、10万冊はあるでしょう」とのことであった。
じっさい私も、それくらいはあるのではと思ってはいたものの、謙遜(?)して、少なめの数字をあげて尋ねたのである。

しかしながら、見た目には段ボール箱と、その手前に平積みにされている、未読の単行本の山脈が目立つので、実際にはもっとあるかも知れない。
と言うのも、コレクション本にも未読本にも、嵩の低い「文庫本」がそれなりにあるはずだから、見かけよりも冊数は多いはずなのだ。

そんなわけで、古本屋さんには「基本的には、ぜんぶ処分するつもりです」と伝えてある。なぜなら、これだけの量あると、いちいち選別してなどいられないから、整理作業は基本的にお任せで「今日はこのあたりのを持って行ってください」と言うだけで、作業には立ち合わず、私はいつも、1階の居間で本を読んでいる。

無論、特に愛着のある本は残しておきたいが、それで思い出す本は50冊もない。実際に「これが箱の中から出てきたら、それは返してください」と言って伝えたのは、今のところ10冊ほどだ。
ただ、「〜様」と私の名前を書いた「為書きのある本」は返してもらうことにしている。献呈本ではなくとも、死ぬ前にサイン本を売るのは、作家に対し申し訳ないからである。

ともあれ、為書きのある本だけでも数百冊はあるはずだから、「それ以外をぜんぶ」処分しても、別に寂しくなることはない。
それになにしろ、1階寝室兼居間に置いてある「近いうちに読む予定」の未読本だけでも、1000冊はあるのだし、それはこれからも増えるからだ。

そんなわけで、私の蔵書整理は、夏を越して、その先まで続きそうな感じだが、ひとまず廊下に積んであった分は、コレクション本も未読本も、読了本と一緒に、ぜんぶまとめて「えい、やっ」と引き上げてもらった。
選んでいたら、読みたい未読本がたくさんあって、処分できなくなるのがわかっていたからだ。
だがまあそのおかげで、今回の「雪崩」の片づけが、わりと短時間で出来もしたのである。

(廊下の端の押し入れの前につまれた、今回「雪崩」を起こした未読本の一部。ほんの1ヶ月前には、この写真の手前(下)付近まで、未整理本が積まれていた)

2階に保管していた本の95パーセントが片づいてしまったら、ずいずんスッキリするだろうし、ある意味で「肩の荷」もおりる。
数年前に、初めて2階が雨漏りした際は、本が濡れたのではないかと冷や汗をかいたが、日頃の行いが良かったので、資料的に買った未読本が数冊濡れただけで、ほとんど被害はなかった。
だが、うちの家も築35年の木造二階建て住宅だから、阪神・淡路大震災クラスの地震がもう一度きたら、今度はただでは済まないだろう。だから、それを考えれば、一刻も早く蔵書を処分しておくに如くはない。もしも、そんなことになったら、蔵書は家ごとゴミになってしまうのだ。1階で寝ている私自身、その時はすでに死んでいるかも知れないが。

考えてもみてほしい。老朽化した木造住宅の2階で、相撲取りが数十人で一斉にジャンプして着地したら、床が抜けたり、家が倒壊しない方が不思議なのだ。直下型の地震なら、最初の突き上げで、積み上げられた段ボール箱や蔵書が、一瞬浮き上がり、それが床に落ちるのだから、その荷重たるや想像を絶するものがある。

まあ、そんなわけで、今日までに、関取10人分くらいは、お引き取り願った。
古本屋さんも「それにしても、これだけ2階に積んでいながら、家に目に見えた問題がないというのは、よっぽどしっかりと建てられたんですね」と言っていたが、まったくその通りである。

今の家は、私が生まれた平屋の後に、平成元年に建て替えたものなのだが、その頃すでに、私は数万冊の蔵書を抱えていた。しかもこの時は、建て替えのための「本の一次移動と戻し」を一人でやったから、若かったけれど、半年くらいは体調を崩したほど、大変な作業で、二度と引越しはすまいと思ったものである。
そんなわけで、その新築の際に私は、大工さんに「うちには馬鹿みたいに本があって、それを2階に積むことになりますから、重いものを置いても問題のないように、しっかりした家を建ててください。見栄えではなく、頑丈な家をお願いします」と強調し、大工さんは「大丈夫です。任せてください」と言っていたのだが、それでも私は「大工さんは、本の重さをどれくらい理解しているだろうか。まして私の蔵書量など知らないのだし」と、その時は不安を残したままだったのだが、今となっては、あの大工さんの良い仕事には、「感謝」の一語に尽きる。

ともあれ、貴重な蔵書さえ無くなれば、地震や水害も、さほど心配する必要はない。所詮わたしは「身ひとつ」だから、蔵書さえ処分すれば、あとは何があっても、なんとかなるだろうという安心感があるからである。

ま、そんなわけで、昨夜はあまり眠らなかったので、まともなレビューは書けないかも知れない。それで、この機会に「蔵書処分の報告記」でも書こうと、軽い気持ちで書き始めたのだが、けっこうな長文になってしまった。

しかし、長いわりには、他人が聞いて面白い話はほとんどないので、最後に少しだけ、これまでは自身に禁じていた、「蔵書自慢」をしておこう。

私が今回処分した本の中で、目玉商品となる得るのは、例えば、横溝正史『獄門島』初版本の「識語署名入り」とか、種村季弘吸血鬼幻想』の限定豪華本の、著者本の「1番」とか、そういうのがいろいろある。だが、こういうのを処分するのは、さして惜しくない。
やはり、個人的にサインをもらったものには思い出もあるから、特に好きな作家であれば処分はできない。
例えば、赤江瀑『獣林寺妖変』の初版本に、中井英夫『虚無への供物』のエピグラフとして知られるヴァレリイの一節を書いてもらったのや、私が勝手に「心の師」と仰いだ大西巨人さんのお宅へお邪魔した際、大西さんの本で、たまたまその当時はゆいいつ所蔵してなかった『天路の奈落』の話をすると、大西さんが、では1冊進呈しようと、サインを入れて本をくださったのだが、当然、そんな本は、生きているうちに処分することなど、いくら積まれてもできることではない。一一まあ、私の名前が書かれているから、そんなに古書価はつかないけれども。

あと、生前に何度もお会いできた中井英夫さんの『虚無への供物』は当然として、生前にお会いすることの叶わなかった、私の生まれる前に亡くなられていた、夢野久作『ドグラ・マグラ』と、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』。この2冊は、たとえ、個人的な思い出はなくとも、やはり処分することはできない「特別な3冊」のうちの2冊本である。

あと、ついでに書いておくと、今朝の「雪崩」のおかげで、買ってあり、読みたいのだが、積読の山から掘り起こせなくなっていた本が、何冊も見つかった。
ジョルジョ・アガンベン『王国と栄光』だとか、石津嵐『虫プロのサムライたち』とか、見つかってうれしかった本が、10数冊はある。

あと、先日も新著のレビューを書いた、川野芽生の旧著『無垢なる花たちのためのユートピア』も出てきた。
埋もれてしまったので、レビューのために、また古本で買うしかないなと思っていたのだが、今回の雪崩のあとから出現したもので、これは、川野の第一小説集である『月面文字翻刻一例』と共に、「ヤフオク」で2冊ともサイン本を買ったものであり、川野は今ほど知られていなかったから、サイン本でもとても安かった。

まあ、大半の蔵書は、サイン本を含めて処分することになった今では、(為書きのない)単なるサイン本へのこだわりは無くなったが、ちょうどうまく出てきてくれたのは、とてもありがたかったのである。

(2024年6月18日)

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