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朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』 : 移りゆく世界への〈予感と怯え〉

書評:朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』(集英社文庫)

本書は、著者の執筆時年齢の若さが話題になった文学新人賞受賞作であり、映画化もされ、その評判も極めて良かった作品である。
そして、本書が世間の注目を浴びたのは、本作が「イマドキの若者の社会」を描いていたからであり、特に注目されたのは、昔は無かった「スクール・カースト」の存在を描いていたからである。つまり、それは「新たな階級差別」の問題であり、だからこそ大人たちまで反応したのだ。

しかし、実際のところ、今ほどではないにしろ「スクール・カースト」的なものは、昔から存在していた。それが、おおむね、今ほどには過酷ではなかったからこそ、多くの大人たちは、そのことを忘れてしまったのであろう。

もちろん、「いじめ自殺」の要因ともなりうる「スクール・カースト」の問題を軽視して良いとは言わないが、人間集団を、何の区別も小グループも持たない、均一平板な社会に作り替えることなど不可能であろうし、それが良いことばかりだとは限らない。結局、人間には「個性」があり「好き嫌い」があるのだし、それはあってしかるべきなのだから、クラスの中に、好きな奴もいれば嫌いな奴もいる。畏怖を覚える存在もいれば、軽視してしまう存在もいるというのは、ごく自然なことであり、それは「大人の社会」でだって、同じことなのだ。
つまり、要は「差異の存在」は認めた上で、それでも「自分と違った存在(他者)」の存在を認める「構え」の学習が、子供たちには必要だ、ということでしかない。だから、未熟な若者たちが、未熟な「スクール・カースト」の社会を構成していたとしても、それが「在る」ということ自体は、否定できるものでも、否定すれば良いというものではないのである。

したがって、私がここで書きたいのは、そんな「イマドキの問題」ではないし、本書の魅力も、そうした「目立つ」部分に限定されるわけではないと思う。
本書の美点は、そうした「新しい」部分ばかりではなく、「昔ながら」の部分を、キチンと描いている点にも認められるべきであろう。そしてその美点とは、本稿タイトルの「移りゆく世界への〈予感と怯え〉」といったことなのである。

本書のタイトルは『桐島、部活やめるってよ』という、「うわさ話」的な言葉である。
バレー部の部長として活躍していた、モテ男子でもあり、輝いていたはずの桐島が、思いもかけずバレー部を辞めてしまった。

それは、所詮「他人事」でしかないから、その事実は「うわさ話」として、いわば「軽く」語られるのだが、その言葉に接した若者たちの多くは、そこにある種の〈予感と怯え〉を覚えてしまう。彼らはそこに、いったい何を見たのであろうか。

もちろんそれは「いずれ、この日々の日常は去っていく」という事実であり、そのことへの〈予感と怯え〉である。

学校生活で、輝いていようがくすんでいようが、いずれにしろ彼らは、いずれ学校を卒業し、大学へ行くにしろ行かないにしろ、いずれは社会に出ることになる。そうなれば、確実に、今のような「子供の世界」に生きていくわけにはいかないことくらい、彼らだって知っている。

しかし、彼らは「大人の世界」を知らない。
誰も自分の面倒を見てはくれず、自分の食い扶持は自分で稼がなければならない。今の自分が、いかに成績の良い優等生だろうと、いかに異性にモテようと、いかにスポーツ万能の人気者であろうと、だからと言って、社会に出てからもそのような「人気者」でありえる保証など、どこにもないのである。
つまり、彼らは「見えない大人社会」の存在に、それぞれに一抹の不安を感じているのだが、それを日々の生活の中では、一時的に忘れているのである。

ところが、思いもかけず「あの桐島が、部活をやめた」。
理由はいろいろ考えられるだろう。だが、いずれにしろ、この「小事件」が意味するものは、ハッキリしている。それは「この世界、今ここにある自分の小世界は、いつまでも続くわけではない」という事実である。桐島の退部は、彼を知るすべての若者たちに、多かれ少なかれ、その事実を再確認させる「暗い予兆」として投げかけられたのだ。

本作では、若者たちのそうした「不安や怯え」そして「希望」をも、的確に切りとっている。
そうした微妙な感情は、今の高齢者でも、社会人になったばかりの若者でも、かつて一度は感じたことがあるはずの「普遍的な感情」であり、だからこそ、大人になればおおむね忘れてしまうものなのだ。
それを、本書はビビットに描いてみせたのである。

大人から見れば、若者たちは能天気に生きているように見えるかもしれない。彼らを見ながら「若いって、いいよなあ」と、うらやましげにタメ息をつく大人は少なくないはずである。
しかし、若者たちには若者たちにしかない「未来への不安や怯え」のあることを、本作はとても見事に思い起こさせてくれる。それを「文学の力」だと言っても、決して過言ではないはずだ。

初出:2020年7月14日「Amazonレビュー」
  (2022年10月15日、管理者により削除)

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