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池内了、隠岐さや香、木本忠昭、小沼通二、広渡清吾『日本学術会議の使命』 : 権力者を掣肘する〈学知の倫理委員会〉

書評:池内了、隠岐さや香、木本忠昭、小沼通二、広渡清吾『日本学術会議の使命』(岩波ブックレット)

なぜ「政府の干渉を受けない、公的で自由な学者の組織」が必要なのであろうか。それは、「国家」運営にも「学知」が必要だからだ。

しかし、この「学知」というものは、単純に「ものを発見したとり発明したり」といったことではない。
「学知」に縁のない大衆の多くは、「科学者」と言えば「ものを発見したり発明したり」する人であり、一般に「学者」と言えば「何かよくわからない研究に没頭している人」といった印象で、「理系学者以外の学者」は「ものを発見したとり発明したり」はせず、ただ「何やら難しくも非実用的な理屈をこねている、頭のいい人たち」といった程度の印象しか持っていないのではないか。

実際、先般の菅義偉首相による「日本学術会議会員の任命問題」が起こってニュース沙汰になるまでは、「日本学術会議」の存在を知らなかった人の方が、圧倒的に多いはずだし、知っていても「聞いたことはある」程度であっただろう。かく言う私だって、そんな「無知な大衆」の一人だった。

しかし、ニュースで知った範囲内でも、政府が何を意図して、新会員の任命拒否をしたのかは明らかだった。任命を拒否された学者は6人とも、政府を批判したことのある学者だったからである。

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つまり、政府は「政府の言いなりになる御用学者」しかいらない、と考えたのであり、政府を批判するような学者を「日本学術会議」に入れないことで、同組織を徐々に「政府の言いなりになる組織」に作り変えようとしたのである。また、それほど、「日本学術会議」は、政府に対して「物申す」組織でもあったということだ。

政府は言う。「国の金で運営されている組織なのだから、政府の方針に従ってもらわなければならない」。

一見、もっともらしいが、しかし「日本学術会議」が「時の政府」に迎合することなく、独立性を持った「学知」の立場から「時の政府」に注文だの助言だのをするのは、そもそも「政府の方針」に「従って」行っていることであり、「逆らっている」わけではないのだ。

つまり、本来「日本学術会議」とは「学知に根ざした、政府に対するご意見番」であったのであり、それを「任務」として与えられ、それを忠実に遂行してきただけなのだ。だが、その「本来の任務」遂行が、「時の政府」には気に入らなかったのである。
与党政治家たちは「学知の掣肘」を受けることなく、「政治家」としての自分たちの判断だけで、自由に政治を動かしたかった。好きに権力を振るいたかったのだ。したがって「政治家に忖度しない学者はいらない」と考えたのである。

しかしまた、こうした「政治バカ」に、政治を全面的に任せるのは危険だからこそ、「学知における助言機関としての日本学術会議」が設けられたのだということを、私たち日本国民は忘れてはならない。
無論、「学者」とて、「学知」とて、万能ではないし、間違うことも多々あるのだけれど、しかし、彼らは「政治家が持っていない、専門的学知」を持っているからこそ、その側面において、「政府」に対する「ご意見番」の役目を与えられたのである。

したがって「日本学術会議」は、「時の政府」が望む「イエスマン機関」であってはならない。むしろ、「時の政府」に対し、その「学知」によって、「耳に痛い意見」を提供しなければならない。
「時の政府」の方針を「お説ごもっとも。さすがでゲスなあ」などと太鼓持ちのようなことしか言わないのであれば、そんな「助言機関」など無用無駄なのである。

よって、菅義偉首相をはじめとした「時の政府」の言う「国の金で運営されている組織なのだから、政府の方針に従ってもらわなければならない」というのは、大間違いである。
そもそも「日本学術会議」の会員を雇っているのは、「時の政府」ではなく、「主権者たる国民」であり、その「税金」によって「学知によるご意見番」として雇われているのだから、どんどん「時の政府」に物申してもらわなければ、それこそ「税金泥棒」になる。
そして、それでも「時の政府」が「御用学者」を雇いたいのであれば、それは「国民の税金」ではなく、「政治家自身の給料で雇え」ということにしかならないのだ。

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今回の「日本学術会議会員の任命問題」を知るに至って、私はこれまでに関連書を4、5冊読んでいるが、もともと何も知らないところから学び始めたので、それぞれに学ぶところがあったし、それは今回のパンフレットも同じで、とても勉強になった。

しかし、日本国民の多くは、もともと「日本学術会議」の存在や名称すら知らず、ニュースで聞きかじった程度だから、「時の政府」やその周辺から垂れ流された「フェイクニュース」を鵜呑みにして、「日本学術会議は、ろくに国家に貢献することもなく、言いたいことを言って金をもらっているだけの、学者の名誉組織」くらいに思い込まされている。一一まさに、大衆の「無知」とその「妬み」に訴えるプロパガンダ(政治的宣伝)ほど、怖いものはない。

かのヒトラーによるナチス政権も「ユダヤ人は金の亡者であり、金の力でドイツを裏から支配している」といったプロパガンダで、ドイツ国民の「妬み」を煽り「憎悪」を煽ったのだが、現在の日本の菅義偉政権がやっていることも、これとまったく同じで、次期自民党政権も、首相が、岸田になろうが、河野になろうが、高市になろうが、まったく変わりはしないだろう(野田聖子については、よく知らない)。そもそも、戦後まもなくの「逆コース」以降、与党自民党は、持続的に「日本学術会議」の弱体化を図って、「政治家の専横」体制を強化してきたのである。

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しかし、いったん世界に目を転じれば、日本のこの状況は、いかにも「文化後進国」的にお寒いものだと言うしかない。

そもそも、「政府の言いなりになる、ナショナル・アカデミー」なんてものは、独裁的な共産主義国家においてこそ「当たり前」なのであって、「文化国家」であるならば、「ナショナル・アカデミーの独立性」は、当たり前に担保されてきた。
つまり、政府はナショナル・アカデミーに対し「金は出すけど、口は出さない」ものなのであり、これはナショナル・アカデミーに金を出しているのが、「時の政府」ではなく「主権者としての国民」なのだから、当然のことなのである。

人事権を武器に、あらゆる組織を自由に操ろうとしてきた菅義偉は、首相になると早速「日本学術会議会員の任命問題」を引き起こして、性急に「日本学術会議の御用組織化」を推し進めようとしたが、コロナ禍に対する失政によって、すでに退陣も決まり、「日本学術会議会員の任命問題」にかまけている暇などなくなってしまった。また、多くの国民も、すでに済んだ話のように思っていることであろう。

だが、「任命拒否された6人」は今もそのままであり、「日本学術会議会員の任命問題」は今なお、解決も終了もしておらず、次期政権に引き継がれようとしている。

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もはや日本は、世界的に見て、「文化国家」ではなく、国民の方も「学知」に縁のない人たちが大半なのだろうが、しかし、このままでは日本は「三流国家」以下に堕ちていくばかりである。

「権力者と金持ちには勝てないから、せめて学者くらいには(政府の尻馬に乗って)ケチをつけてやろう」などという「下賤の民」的な発想に囚われるのはそろそろ辞めにして、堂々と「学知の側」に立ち「権力者や金持ち」の専横に抵抗することくらいしても良いのではないだろうか。

人としての尊厳を重んじる気があるのなら、バカでも貧乏でもいいけれど、卑しい人間にだけはなるべきではない。

だから「知らないことについては、勉強してから意見表明をするのが当然だ」というくらいの良識は身につけるべきであろう。でないと「今どきの日本人からは、恥の文化さえ失われたのか」と、世界から笑われることになりかねない。いや、事実そうなりかけているのである。

初出:2021年9月22日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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