書評:古賀茂明・佐高信『官僚と国家 菅義偉「暗黒政権」の正体』(平凡社新書)
「闘う男」たちによる、重い対談。本書では、佐高が聞き役に回っている。
本書で語られるのは、官僚の内実やそれにかかわる政治家や電力会社の実態などで、古賀や佐高のファンなら、既に大筋では了解している内容だ。とは言え、他では聞けない「官僚の内輪話」や、「菅義偉の過去」話など、興味ぶかい「政治家や官僚たちの素顔」といった話題が少なくないから、読んで「面白い」ものであることは間違いない。一一ただし、「面白い」で済まされない内容であることも間違いない。
古賀は、佐高からの質問を受けて、その単著『日本を壊した霞が関の弱い人たち』に書いた「官僚の三類型」を、次のように説明している。
さて、私を含め、古賀や佐高を支持し、本書を肯定的評価にする者のうちの一体どれだけが、この三類型のなかの一番目の「消防士型=強い人」であろうか。一一問題はそこなのではないか。
「強い人」というのは、どんな世界においても少数派であり、だからこそ「強い」と評されるわけで、当然のことながら、多くの人は第三類型の「事なかれ保身型」であるはずだし、かく言う私自身もそうだと思う。
しかし、私などは「生涯独身で、嫁も子供も持たずに自由に生きる」と決めて、それを実行しているような変わり者だから、比較的「言いたいことを言う」し「やりたいこともやる」方だとは思うけれど、しかしまた、自身の生活が脅かされるほどの危険を犯せるか、明日にも今の仕事を辞めることができるかと問われれば、その覚悟はないと答えるしかないだろう。
そして、そんな私が、ただ古賀や佐高の意見に賛成し、彼らやその著書を「素晴らしい」と褒め称え、官僚や政治家や電力会社の役員たちをネット上で非難し、しかし、自分の職場では無難に「ことなかれ」で過ごすというのは、やはり恥ずべきことではないのだろうか。
もちろん、「弱い人の一人でしかない自分に、他人のことをとやかくいう資格などない」などと卑下して「分相応に黙っていれば良い」なんて「逃げ口上」を言いたいのではない。
やはり私たちは、弱い自分に良心の呵責を感じながらでも、出来ることから「抵抗の戦線」に加わらなくてはならないだろう。
だが、そのためにも「今の自分の現実はどうなのか」という問いは、是非とも自分自身に突きつけなければならないものだと思うし、その結果、自分は「弱い=十分に強くない」と思うのであれば、「どうすれば、一歩でも強くなれるか」を考えなければならないだろう。
そうした努力をしないまま、古賀や佐高のような「強い人」たちに自分を重ねて酔っているだけでは、いずれ私たちは、彼らのような人たちを「見殺しにして、裏切る」ことにならざるを得ないのではないだろうか。
だから、彼らの著書を読み、彼らの謦咳に接するたびに、私たちは「現実の自分」を反省してみる必要があると思う。それをしてこそ、初めて本書で語られていることの「本当の重み」を知ることができるのではないだろうか。
初出:2021年5月1日「Amazonレビュー」
(同年10月15日、管理者により削除)
再録:2021年5月14日「アレクセイの花園」
--------------------------------------------------------------------------
【補記】(2021.5.1)
私もレビューを書いた本だが、佐高信が今年刊行した単著『佐藤優というタブー』の記述に関して、佐藤優が佐高を「名誉毀損」で告訴した。
言論人が言論人に批判され、しかも事実を指摘されて「名誉毀損」で訴えるとは、佐藤優も堕ちるところまで堕ちたとしか言いようがないし、こんな裁判で佐高が賠償を命じられることなどないとは思っているが、佐藤優が当てにしている日本の裁判所は、佐藤の故郷である沖縄の「辺野古の基地建設」問題について、結局は政府側についたような御用裁判所なのだから、原発宣伝機関である電気事業連合会から何らかの金をもらっている御用評論家である佐藤優に有利な判決を下すということも、絶対にないとは限らない。
だから、私はここで明言しておこう。
私は、佐高信を全面的に支持するし、万が一、佐高に損害賠償の支払いが命じられるならば、些少なりともカンパをすることをここに約束しておきたいと思う。
だから、佐高さん、どうかお体に気をつけて頑張ってください。裁判でも、蛙づらの佐藤をギャフンと言わせてやってください。
○ ○ ○