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彼らの道を 引き継ぐために

書評:古賀茂明・佐高信『官僚と国家  菅義偉「暗黒政権」の正体』(平凡社新書)

「闘う男」たちによる、重い対談。本書では、佐高が聞き役に回っている。

本書で語られるのは、官僚の内実やそれにかかわる政治家や電力会社の実態などで、古賀や佐高のファンなら、既に大筋では了解している内容だ。とは言え、他では聞けない「官僚の内輪話」や、「菅義偉の過去」話など、興味ぶかい「政治家や官僚たちの素顔」といった話題が少なくないから、読んで「面白い」ものであることは間違いない。一一ただし、「面白い」で済まされない内容であることも間違いない。

古賀は、佐高からの質問を受けて、その単著『日本を壊した霞が関の弱い人たち』に書いた「官僚の三類型」を、次のように説明している。

『佐高  この本を拝読していて、そしていまの古賀さんのお話を聞いて、役所という組織は、組織の利益を損ねることはやらないのだなと改めて思うわけです。後で天下りの話なんかも聞きたいのですが、古賀さんが「弱い人たち」だと指摘する、そういう存在が大半を占める一方で、組織から離れることも覚悟するという、古賀さん自身みたいな例外的に強い人たちがいるわけですよね。
 これはまさに、残念ながら例外なのですが、組織から離れてもいいと考える人たちは、決して弱い人ではないと思うんです。でも、そういう人が、すごく少ない。官僚の大部分は、組織から離れることのできない、組織の利益に従う弱い人たちだと、そういうふうに解釈してもいいですか?

古賀  そうですね。強い人たちはごく一部にいます。僕はこの本の第二章で、官僚の三類型について書いているんですが、強いタイプというのは、僕は「消防士型」と呼んでいるんです。
 消防士は、自分の身の危険を顧みず、自分の命の危険を犯してでも市民を守る仕事ですよね。しかし、それほど立派な仕事をするのだから、ものすごくお金をもらえるのかと言えば、そうでもない。有名人になれるとか、強力な権力を持てるということもない。危険手当などはあると思いますが、さしたる報酬がなくても、彼らは市民を守り、市民から感謝されるのが最大の報酬だとさえ思っている。
 一方で、財務省のエリート官僚に象徴される人たちを、僕は「中央エリート官僚型」と呼んでいるんです。中央エリート官僚型は、権力を求めるのが本質と言えばいいのか、基本的に小さいときからずっと褒められて育ってきた人たちで、ちやほやされることに最大の喜びを感じるタイプです。地元の小学校で優秀だったから、町で一番の中学に行って、地域で一番の高校に行って、そこでもすごく優秀だったから東大に行ってみろと言われる。お前なら法学部行けるぞと励まされて、法学部で一生懸命勉強して、財務省に入って次官を目指す。
 こういうタイプの人たちも、ある意味でお金じゃないんですよね。お金だったら外資に行ったり、商社に行ったりしたほうが公務員より高給なわけです。それよりも、俺は一番なんだと。一番頭が良くて、人の上に立つ人間なんだということを確認するために役人になるような人が、意外と多い。少なくとも二〇〇〇年頃まではそういう人がとても多かったように思います。
 彼らは必ずしも報酬は高くなくてもいいんですが、基本的に俺たちは日本で一番優秀なんだけれど、安月給で働いてやっているという感覚があって、従って天下りというのは、その分を後から取り返すというだけの話だから、まったくやましいところがない。むしろ、それがなくなったら官僚の権利としておかしいというぐらいに考えている人たちですね。
 最後の類型は「凡人型」です。これは一般にもイメージしやすいのですが、とにかく安定していることに価値を見いだす人たちです。役所は安定していて天下りもあるし、大した仕事しなくても一生食いっぱぐれがないということで、役人になる人たちですね。こういう人たちはリスクを取りたくないし、余計なことをやりたくないので、さまざまな課題が出てくると逃げ回る。市民が来ても平気でたらい回しにする。報酬はそこそこもらって、天下りができればいいと考えている。』(P101~104)

さて、私を含め、古賀や佐高を支持し、本書を肯定的評価にする者のうちの一体どれだけが、この三類型のなかの一番目の「消防士型=強い人」であろうか。一一問題はそこなのではないか。

「強い人」というのは、どんな世界においても少数派であり、だからこそ「強い」と評されるわけで、当然のことながら、多くの人は第三類型の「事なかれ保身型」であるはずだし、かく言う私自身もそうだと思う。
しかし、私などは「生涯独身で、嫁も子供も持たずに自由に生きる」と決めて、それを実行しているような変わり者だから、比較的「言いたいことを言う」し「やりたいこともやる」方だとは思うけれど、しかしまた、自身の生活が脅かされるほどの危険を犯せるか、明日にも今の仕事を辞めることができるかと問われれば、その覚悟はないと答えるしかないだろう。

そして、そんな私が、ただ古賀や佐高の意見に賛成し、彼らやその著書を「素晴らしい」と褒め称え、官僚や政治家や電力会社の役員たちをネット上で非難し、しかし、自分の職場では無難に「ことなかれ」で過ごすというのは、やはり恥ずべきことではないのだろうか。

もちろん、「弱い人の一人でしかない自分に、他人のことをとやかくいう資格などない」などと卑下して「分相応に黙っていれば良い」なんて「逃げ口上」を言いたいのではない。
やはり私たちは、弱い自分に良心の呵責を感じながらでも、出来ることから「抵抗の戦線」に加わらなくてはならないだろう。

だが、そのためにも「今の自分の現実はどうなのか」という問いは、是非とも自分自身に突きつけなければならないものだと思うし、その結果、自分は「弱い=十分に強くない」と思うのであれば、「どうすれば、一歩でも強くなれるか」を考えなければならないだろう。
そうした努力をしないまま、古賀や佐高のような「強い人」たちに自分を重ねて酔っているだけでは、いずれ私たちは、彼らのような人たちを「見殺しにして、裏切る」ことにならざるを得ないのではないだろうか。

だから、彼らの著書を読み、彼らの謦咳に接するたびに、私たちは「現実の自分」を反省してみる必要があると思う。それをしてこそ、初めて本書で語られていることの「本当の重み」を知ることができるのではないだろうか。

初出:2021年5月1日「Amazonレビュー」
   (同年10月15日、管理者により削除)
再録:2021年5月14日「アレクセイの花園」

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【補記】(2021.5.1)

私もレビューを書いた本だが、佐高信が今年刊行した単著『佐藤優というタブー』の記述に関して、佐藤優が佐高を「名誉毀損」で告訴した。

言論人が言論人に批判され、しかも事実を指摘されて「名誉毀損」で訴えるとは、佐藤優も堕ちるところまで堕ちたとしか言いようがないし、こんな裁判で佐高が賠償を命じられることなどないとは思っているが、佐藤優が当てにしている日本の裁判所は、佐藤の故郷である沖縄の「辺野古の基地建設」問題について、結局は政府側についたような御用裁判所なのだから、原発宣伝機関である電気事業連合会から何らかの金をもらっている御用評論家である佐藤優に有利な判決を下すということも、絶対にないとは限らない。

だから、私はここで明言しておこう。
私は、佐高信を全面的に支持するし、万が一、佐高に損害賠償の支払いが命じられるならば、些少なりともカンパをすることをここに約束しておきたいと思う。
だから、佐高さん、どうかお体に気をつけて頑張ってください。裁判でも、蛙づらの佐藤をギャフンと言わせてやってください。

佐藤優批判はタブーなのか!?
 佐高信の著作めぐり1000万円の名誉棄損裁判に

(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline)
 2021/4/29(木) 14:20配信

 評論家の佐高信氏が、作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏に約1000万円の損害賠償請求裁判を起こされたことがわかった。佐藤氏は佐高氏の著書『佐藤優というタブー』(旬報社)に名誉棄損的表現が含まれるとし、発行者である木内洋育・旬報社代表取締役にも1064万円を支払うよう求めている。

 同書のオビには「“雑学クイズ王”佐藤批判はタブーか!?」「私は二冊も佐藤と共著を出した責任を感じて、ここで佐藤批判を、特に佐藤ファンに届けたい」などと書かれている。共著もある作家同士が名誉毀損裁判に至るのは異例なことだろう。

 辛口評論家とも称される佐高氏は月刊誌『噂の真相』(休刊)で「タレント文化人筆刀両断」を連載するなど、数多くの文壇や論壇の批評を書いてきた。佐藤氏は多くのメディアに連載を持ち多作で知られる。

◇ 問題にした9つの記述

 訴状によれば佐藤氏は9つの佐高氏の記述を問題にしている。

 最初に指摘しているのは、「創価学会御用達の佐藤優が、『AERA』でダラダラと『池田大作研究』を続けている。2020年9月28日号の第37回が特に卑劣な学会擁護だった」という表現。

 これについて佐藤氏は「原告が著述している池田大作研究の内容が『卑劣な学会擁護』とするものであり、『卑劣』とは『品性や言動がいやらしいこと』、『人格的に低級であること』を意味し、原告が卑劣な方法で学会擁護をしたとするこの表現は原告の作家としての良心であるとか、その誇りを踏みにじる表現である。このような侮蔑的表現で他人の著述を批判することは許されることではない」としている。

 次は、「彼は2016年3月2日付け『東奥日報』の電気事業連合会の『全面広告』に出て、『エネルギー安全保証の観点から原子力発電の必要性を強調』している。おそらく最低でも1000万円はもらっているだろうが、その金額を明らかにしてから『内調から藤原に金銭の流れもあった』とか言え」という記述、などだ。

 「内調」とは内閣調査室、「藤原」とは評論家で『創価学会を斬る』の筆者、藤原弘達氏のことである。佐高氏は佐藤氏について「藤原のように内調から工作されなくても(あるいは、工作されたのか)、国策と称された原子力発電の推進に協力する“原発文化人”はたくさんいる。佐藤もその一人だ」として、電気事業連合会の広告に出た佐藤氏を批判していた。

 これに対して佐藤氏は、「原告には、同広告の仕事によって電気事業連合会から幾らもらっているのかを明らかにする筋合いはなく、一般読者に原告が仕事にそぐわないような多額の金員をもらっていると思わせる記述をして、原告の名誉を傷つけた被告がその根拠を明らかにするべき事柄である」などと訴状で述べている。

◇ 第一回口頭弁論は6月8日

 今回の訴えに対し佐高氏は「言論人が裁判に訴えるということは言論での敗北を認めること。言論人失格である。すべての著作を絶版にしろと言いたい」とコメント。

 佐藤氏は「既に裁判で問題を処理する段階ですので、冷静な審理に影響を与えるような言動は私の方からは避けることにしています。第一審の判決が出た後は、きちんと対応します」とメールで回答。

 第一回口頭弁論は6月8日、東京地裁で行われる予定だ。

(楠木春樹・ライター+編集部)

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