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宇佐美典也『菅政権 東大話法とやってる感政治』 : 宇佐美典也と望月衣塑子の〈落差〉

書評:宇佐美典也『菅政権 東大話法とやってる感政治』(星海社新書)

本書著者は、とでも「優秀」な人だ。それは、肩肘張らず、それでいて理路整然とした、その文章に明らかだろう。

また、本書は「菅義偉」論としても、教えられることが多く、バランスが取れており、著者の「頭の良さ」が、とてもよく伝わってくる。
一一ただし、人間としては「凡庸」だ。
凡庸であるからこそ、決定的にその「自覚」に欠けている。

それが端的に表れているのは、菅義偉と対決して名を上げた、東京新聞社会部記者・望月衣塑子についての評価である。

著者は、望月の意識が、時代遅れで単細胞な独りよがりの正義感でしかない、といったような評価を与えている。
なるほど「頭の良い」著者からすれば、望月は「時代錯誤のドン・キホーテ」に見えるだろう。

しかし、「人間の器」というものは、しばしば「頭の良さ」ではなく、「愚直さ」において表れるものだということを、本書著者は、少しもわかっていない。望月衣塑子の、価値や影響力の「意味」を理解していないのである。
そしてそれが、著者の「頭の良さ」の限界であり、人としての「凡庸さ」の表れなのだ。

彼は、その凡庸な「頭の良さ」において、自身が無難に小さくまとまった、よくいる「学歴優等生」であり、一方、望月衣塑子は、空気を読まないで馬鹿なことをしでかすけれども、それでも非凡に輝いている「選ばれた人間」である、という、その「違い」の重さがわからない。要は、その程度の「頭の良さ」なのだ。

考えても見て欲しい。新聞記者には、いわゆる「頭のいい」人なら大勢いるし、それだけではなく、望月同様の「シンプルな正義感に発する怒り」を持っている人も、決して少なくはないだろう。
しかし、それを「行動」で示して見せることのできた人間が、いったい何人いたと言うのだろうか?
5人もいたら、望月衣塑子は決して、あれほど注目はされなかったのだ。

他に「この人」という「男前な男」が一人もいなかったところへ、「女」である望月衣塑子が、権力の中枢にいて偉そうにふんぞり返っていた菅義偉にあれほど食い下がっていったからこそ、多くの人は、望月衣塑子の「勇気と頑張り」に喝采を送ったのである。
「情けない男たち」を尻目に、周囲から浮いたり妬まれたりすることも恐れず、我が道を突き進んでいく、望月の「古風な男前さ」に感動したからこそ、多くの人は、望月衣塑子を高く評価したのだ。

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(宿敵だった菅義偉と望月衣塑子)

人々は、望月衣塑子を「頭が良い」から評価したのでも、「計算高くて、手堅い保身力の持ち主」だから評価したのでもない。
現場では何も言えないくせに、後で偉そうに「批評」するだけの「ヘタレ男」たちとは大違いだから、人々は「ドン・キホーテ衣塑子」の、誰にも真似のできない「愚かさ」を高く評価したのであり、匿名でしか物の言えない「ネトウヨ」などは、彼女に劣等感を刺激されたので、激しく反発したのである。

そう考えれば、著者の「菅義偉」論は、それなりに評価できるけれども、著者自身については、あまり評価できない。

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現場で抵抗できずに黙り込むことしかできなかった自分、あるいは、嫌々ながらも不当な権力に迎合した自分、そんな過去を持った自分を、その「頭の良さ」だけで正当化するために、自身とは「好対照」な望月衣塑子を、口を極めて馬鹿にするような、そんな「つまらない男」など、とうてい評価には値しないし、そんな男の書くものなど、所詮は「頭の良さ」を一歩も出るものではないからである。

本書著者の理屈なら、彼は自分がその場にいれば、ナチスの官僚としてユダヤ人虐殺にも協力しただろうし、731部隊にいれば生体実験にだって協力しただろう。そして、自分自身についても、それは「立場上、仕方がない」で済ませていたことであろう。

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「元官僚だけど質問ある? 宇佐美典也の質問箱」より)

もちろん、たしかに「仕方がない」部分はあるだろう。誰だって、自分の身は可愛いし、巨大な権力の前には無力だ。
だが、それでも、それに抗って死んでいった先人たちの存在を忘れてはならない。殺されて、後世に名前の残らなかった人も大勢いただろうけれど、そうした名もなき勇者たちの犠牲を「犬死」呼ばわりするような「頭の良さ=利口さ」など、犬にでも喰われるべきである。

言い換えれば、望月衣塑子だって、一つ間違えれば「排除されておしまい」だったかもしれないのだし、多くの男たちはそれを怖れたからこそ、本書著者と同様に「利口に、おとなしくしていた」のである。
なのに、たまたま望月衣塑子が生き残り、名声を得たからといって、現場では戦えなかった「ヘタレ男」が、利口ぶって、彼女のことを、時代遅れで単細胞な独りよがりの正義感の持ち主でしかない、などとしたり顔で語る。だが、そんな自分の厚顔無恥と「頭の悪さ」をこそ、著者は恥じるべきなのだ。

元官僚の「論客」などと煽てられて、調子に乗っているのかもしれないが、所詮著者は、現場では何も言い返せないでいて、相手がいなくなった途端に「今日はこのくらいにしといたる」などと威張るような「めだか男」でしかない。その事実を、著者も少しは、自覚すべきであろう。

初出:2021年4月13日「Amazonレビュー」
   (同年10月15日、管理者により削除)
再録:2021年4月26日「アレクセイの花園」

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