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榊原崇仁『福島が沈黙した日 原発事故と甲状腺被ばく』 : 〈消された少女〉と執念の追跡調査

書評:榊原崇仁『福島が沈黙した日 原発事故と甲状腺被ばく』 (集英社新書)

「またか…」という思いしかない。

日本政府は、いや、日本の為政者たちは、自身の保身のために、「不都合な情報」を国民に隠し、そして湮滅をする。

東日本大震災での「福島第一原発事故」に関わる、被災者の「甲状腺被ばく」状況のデータもまた、隠蔽された。
いや、正確に言うならば、被害状況を隠蔽するために、「甲状腺被ばく」に関するデータを「採らなかった」のだ。初めから、データを残そうとはしなかったのである。

本書著者は、東京新聞の記者として、「福島第一原発事故」による「甲状腺被ばく」問題に関わり、部署が変わっても、私費を使ってまで、この問題を継続的に取材し続けた人である。その長年にわたる労苦の結果として明らかにされたのが、この「許されざる事実」であったのだ。

事故後の対応に当たった、原発を管轄する文部科学省の役人、専門家集団として政府の負託を受けて活動した「放射線医学総合研究所(放医研)」のメンバー、あるいは地元福島県の役人たちは、被災者の「事後救済」に備えるために「被災者の被ばく状況を適切に測定をし、記録し、証明書を交付する」といった作業の実施に、それぞれの立場から責任を負っていた。
だが、事前の想定を超える高濃度被ばく者が多数発生した恐れが発覚した時、彼らは「被災者のため」という口実において、本来の測定基準をなし崩しにして、結局、内部被ばくの証拠を隠滅してしまった。手間のかかる「記録」を取らないでいいように、作業の大幅簡略化の「工夫」をしたのである。

私も、原発事故後に、何冊かの関連書を読んで「きっと、10年後、20年後には、福島で内部被ばくした子供たちの中から、甲状腺がんを発症する者が大勢出てくることだろう」と思っていた。
ところが、今にいたるまで、そんな私の予想を実証するような話はまったく出てこない。政府の見解としても「そんなことが起こることを示すデータはない」と言う。私も、だんだんと当初の素人予想に自信が持てなくなり「やっぱり、被ばく被害を過大に見積もりすぎていたのだろうか。それならそれで、結果としては喜ばしいことではあるのだが…」と、いささか弱気に考えるようになっていた。

だが、原発事故問題とその被ばく被害については、持続的に興味を持っていた。時間が経ってから明らかになることもあるだろう、と考えていたからだ。だからこそ、本書を手に取った。
「決して、原発事故とその教訓を風化させてはならない。少なくとも、私個人は、そうした時間の経過に抗わなくてはならない」という、なかば意地と義務感とで、本書を手に取ったのである。
だから、まさかここまで「露骨な真相」が明らかにされていようとは思いもしなかった。

その真相に驚いたと言うよりは、むしろここまで真相が明らかにされたことに驚いた、と言った方が良いかも知れない。
そして、その真相自体についての感想は、「またか…」だったのである。

(※  福島原発作業員の甲状腺被ばく者 公表の11倍だった:13/07/19))

以下に、本書の肝となる部分を引用して、読者の用に供しよう。
本書は、著者が真相を追求していく経過を時系列に沿って紹介した、まるで推理小説のようにドラマチックな展開を描いた作品なのだが、事の真相については、すでにご紹介したとおりであり、多くの読者が興味を持つのも、きっとそのあたりであろうからだ。

こうした、肝の部分を知った上で、それでも読者が本書を手に取り、自分の目でその真相を確かめてくれるのが、ベストである。
だが、そこまではいかないまでも、多くの人に、この驚くべき真相を知らせるためなら、私の「過剰引用」を、作者も大目に見てもくれようかと期待している。

『 少女の測定結果はその後、放医研の会議で扱われ、甲状腺内部被ばくの程度がどれだけになるか、等価線量で報告されたようだ。そして、一連の経過が記録されたのが(※ 著者が入手した)「朝の対策本部会議メモ」と言えそうだった。
 メモの記述で注目すべきは、少女の甲状腺内部被ばくの状況、つまり「甲状腺等価線量で100mSv程度」だった。
 詳しくは後述するが、「甲状腺等価線量で100ミリシーベルト」は特別な意味を持つ数字だった。甲状腺被ばく測定は事故後、政府が実施しており、(※ 数値が)そこに達する人はいないと周知されてきた。しかし、政府とは別に測定が行われたようで、放医研の会議では「11歳の少女が100ミリシーベルト程度」と報告されてされたという。公表も報道もされてこなかった話だ。』(P15~16)

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『 放医研では当時、衝撃が走ったはずだ。
 普通の流れなら、事実関係の確認に動くだろう。政府に先駆け、本当に徳島大学チームが測っていたのか、少女が高値だったのかを調べるはずだ。実際にそうだったなら、まずはこの少女の体を心配するだろう。多く被ばくした結果、がんになるかもしれないと考え、少女を特定した上で健康状態を見守ろうとするはずだ。
 当然ながら、「高値の測り漏らし」が他にもあるかもしれないと意識するはずだ。測定から外れた人の中で100ミリシーベルトの人が一人でもいたら、そう考えるはずだ。半減期を踏まえてもまだ甲状腺被ばく測定が実施できるなら改めて行い、多くの人を調べようとするだろう。
 ところが、放医研の会議で「11歳の少女が100ミリシーベルト程度」と報告されたことも、その後に取られた対応も公表されてこなかった。これをどう捉えたらいいのか。』(P21~22)

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『 保田氏はSPEED1の推計結果が出た時の胸中をこう振り返った。
「『やっぱり100ミリシーベルトを超えてるじゃん』って思いました。図示されたインパクトが強かったですよね」』(P106)

『「明石センター長」は、放医研の緊急被ばく医療研究センター長だった明石真言氏のことだろう。情報開示請求で得た放医研の体制表を見ると、福島原発事故の対策本部では「本部長補佐」とされ、本部長の米倉義晴理事長に次ぐ役職に就いていた。積極的に子どもたちを守ろうとした保田氏に対し、「軽々しく動かないように」と釘を刺したようだった。』(P113)

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『 勤め先の動物園に電話を入れ、牧氏につないでもらった。「一度お会いして、文科省の官僚として事故対応に当たった際のことをうかがいたい」と取材を申し込むと、牧氏は「どういう件か聞かないことにはお話しできない」と警戒を強めていた。
「悪事を暴くんでしょ。隠し球、メールで送ってください。全然違う分野に転職しているし、もう縁遠いとこにいます。足抜けしたのに、ヤクザ時代の話ですか。ヤクザは言い過ぎか。動物園にも迷惑かかるし、取材を受けません」
 かつて牧氏がいた霞ヶ関や原子力業界はヤクザの世界か、と思いつつ、「甲状腺被ばく測定の話なんですが……」「ヒアリング記録に書かれている内容だけ……」と根気強く水を向けると、電話口で何とか応じてくれた。』(P124)

『 床次氏のグループ以外で甲状腺被ばく測定に取り組もうとした専門家はいなかったようだ。その点についてはどう感じていたのか。
「統制が敷かれていたからじゃないですか。暗黙の了解というか。よく当時はね、『寝た子を起こすな』だとか、『化け物が出たらどうする』って、聞いていましたよ」
 余計なことをするな、深刻な被ばくに見舞われた人を探し出すな、ということだったのか。』(148P)

『 原発近くからの避難者は、政府の測定の対象外だった。第一原発がある双葉町から避難した少女は測定から漏れた公算が大きかった。「いないはずの100ミリシーベルトの人がいた」「政府の測定は線量が高い人を対象外にしてしまった」という問題を示唆するのが少女の(※ 甲状腺等価線量の)計算結果(※ が意味するもの)だった。しかし放医研は特別な対応を取らず、公表も見送った。』(P178)

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『 (※ 原発事故以前に作成されていた)福島県のマニュアルが甲状腺内部被ばくを強く意識していたこと、原発近くから避難した人たちの甲状腺内部被ばくを複数の手法で把握しようとしていたのは明らかだった。測定結果を記録として残す意味もよく理解していた。
 にもかかわらず、政府事故調(※ の調査報告書)はそう(※ した事実を、世間に)伝えなかった。避難してきた人に対して行うスクリーニングは(※ もっぱら)「除染のため」と説明し、その後に予定されていた甲状腺被ばく測定についても言及しなかった。その影響を受けてか、県のマニュアルの内容が詳しく報道されることもなかった。
 これは大きな過ちだった。詳細は後述するが、県のマニュアルに照らせば、原発近くから避難してきた人たちの中には甲状腺被ばく測定を受けるべき人たちが少なからずいた。しかし彼らに対し、甲状腺被ばく測定は実施されなかったようだ。本来なら、県のマニュアルから乖離した住民対応を問題視しなければならなかった。』(P204~205)

『 より深刻な状況が伝わる文章も、放医研に対する情報開示請求で入手していた。
 その文書はA4判1枚で、一三日の未明に作成されたようだった。具体的には、「3月13日(日) 4:49 鈴木 敏和氏より」とあった。政府の現地本部に派遣された鈴木敏和氏から派遣元の放医研に連絡があり、その内容を書きとめた文書とみられる。ここでは「県、保健所長+総括保安院課長」などの記述に続き、「10万CPM程度多数(12万人規模の汚染者発生)」「原発北側(双葉地区)が高線領域である。(10万CPM)」と記されていた。
 似た記述は別の文書にもあった。やはり情報開示請求で得た。「現地 総括保安院課長、県の保健所長、放医研(鈴木)との話」という表題の文書で、「サーベイ対象 12万人」「そのうち真刻(註:原文ママ)な対象は1万人」とあり、一三日午前五時四八分に放医研から文科省へ送られた形跡が残っていた。』(P210)

『 深刻な状況があったという。
「サーベイメータが振り切れるのが10万CPM。基準値をそれより下げると、たくさん除染が必要な人が出て対応できなくなる。非現実的ということで10万cpmを受け入れていた」
近藤氏も「基準値が1万3000cpmだと、みんな引っかかる。とにかく10万CPMじゃないと、ということになった」と語り、「早く避難できるよう、できるだけ引っかからないような基準にしたんですか」と尋ねると「そう、そうそう」と述べた。』(221P)

『 放医研の電子掲示板「緊急被ばく線量評価情報共有・伝達システム」を見ると、一六日午後七時ちょうどに浅利氏に関連した投稿がなされていた。
「スクリーニング班長・浅利先生、文科省の牧さん、原さんより放医研・吉田さんに対して下記の依頼がありました。お忙しいところ大変申し訳ありませんが、資料作成をご検討いただけないでしょうか」
「スクリーニング対象者が急増し、特例として(※ 基準値を、1万3000 CPMから)10万CPMに上げた(※ つまり、緩和した)。現場の状況を考えると適切な判断だったと考える」
「一方、今後10万CPMの意味を問われることは間違いない」
「住民に対しての理論武装は必須となる。『何故自分は10万という高い値でOKとされたのか』、『調子が悪いのは10万という値のせい』という声が必ずでる」
「放医研でヨウ素、セシウムについて10万CPMでの被ばく線量を計算し、今回の措置が健康に影響を与えるものではないことを説明するための材料出しをして頂けないか」』(P232~233)

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『 匿名で取材に協力してくれた放医研関係者がいたため、その人に(※ 10万CPMで大丈夫とする根拠となった)計算式を読み解いてもらった。この文書の存在は知らなかったようで、目を通してもらうとこんな言葉を漏らした。
「無茶苦茶な計算をやっていますよ。こういうことが放医研の名前で行われていたんですか。ショックです。これはひどい。いや、本当に。夢に見そうです。多分、専門家がチェックしていない文書ですよ。専門家が見ていたら、外に出ていかない書類です。それぐらいひどい」』(P238)

『「放医研の会議で(※ 私[藤林]がまとめた、測定基準値引下げの根拠となる理論を紹介した文書を)見ていただいた。(※ 専門家の)皆さんにお目通ししていただいた覚えがあります」
 その時反応はどうだったのか。
「特に何もなかったと思いますけど。是とか非とか」
 (※ 10万CPMどころか)1万3000CPM相当の汚染が体に付いていると、甲状腺等価線量で100ミリシーベルトになり得るという考え方を知らなかったのか。そうぶつけると、藤林氏は「それはどこで定められているのですか。事故が起きる前からあったんですか」と逆質問を投げかけてきた。
 事故前年の原安委でも確認されています、と返した。
「僕はそうした情報を持っていなかったです」
 藤林は続けて「知らなかった。申し訳ない。僕は専門家じゃなくて」と述べ、「なんでこんなことが起きたんですかね、そうしたら」と漏らした。こちらが聞きたかった。』(P247)

『 放医研が原安委に提出した「スクリーニングレベル100,000CPMについて」のうち、最もわかりやすい欠陥は、「皮膚の等価線量限度五〇〇ミリシーベルトと比べて十分低い」という部分だった。
 被ばく防護の議論でよく引用されるのが、国際放射線防護委員会(ICRP)が定める基準値だった。ICRPの一九九〇年勧告や二〇〇七年勧告を見ると、「皮膚の等価線量限度が年間五〇〇ミリシーベルト」と定めていたのは「職業被ばく」についてだった。原発で働く作業員らを対象に「線量限度が年間五〇〇ミリシーベルト」と定めていた。その一方、一般公衆、つまり住民の線量限度は「年間五〇ミリシーベルト」だった。被ばくしやすい環境にいる作業員は高めに設定され、そうではない住民は低く抑えられていた。
 放医研は住民の線量限度を引用すべきだった。住民の話をしているのだから当然だろう。しかし作業員の線量限度を引用し、「線量限度を下回るのなら問題ない」と論理展開した。

 明石氏に「文書の中に書いてある線量限度って、一般公衆の値じゃないですよね。ICRPの一九九〇年勧告や二〇〇七年勧告に書いてある数字と違いますよね」とぶつけた。
「そういう目で見たら、これは」
 等価線量限度で五〇〇ミリシーベルトというのは職業被ばくのケースではないのか。なぜこんな書きぶりにしたのか。
「だから多分、その時の、今っていうか、ええと……」
 どういう意図があったのか。
「意図は多分、計算した時に、われわれの中で、一応……」
 同じ質問を繰り返すと、こう返ってきた。
「どう考えたらいいか分からないけど、この文章で書かれているのは、不十分なことがいっぱいあったということになると思います」
 なぜそんな文章まとめたのか。
「ちょっと僕はその、当時のことは分かんないですけど。どういう議論になったかは覚えていない。職業人と一般人が一緒にされているところに問題があると。冷静に見ればそういうことになると思います」』(P251~253)

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『「だから、あの、多分、そうやって作ったレベルだったものが、他の、別の……」
 10万CPMの汚染が体に付く場合、単純計算なら等価線量で八〇〇ミリシーベルト近くになるかもしれない。なぜその点に言及しなかったのか。
「本来のなれそめはそういうところから出てきた数字なんだけど、もうあの、この。内部被ばくのことを多分、ここで議論をしたわけではないので。そういう議論はしないで、こういう数字になったんだと思います。』(P257)

『 あまりに罪深いと感じた。「1万3000CPMがたくさん」「甲状腺等価線量で100ミリシーベルトになり得る人がたくさん」「甲状腺被ばく測定を受けるはずの人がたくさん」という状況ではなかったのか。そうぶつけると、明石氏は文書の中身について改めて非を認めた。
「(※ 原発事故の被災者が)(放射性ヨウ素を)吸っているということは確かに考慮していないです(※ だから、内部被ばく=甲状腺被ばくを測定をしなかった)。(※ 放射性ヨウ素の吸入量を、まったく)評価しないで、(※ 外部被曝だけを問題にして)これを決めたのは事実です。きちんとできていなかったのは、言われた通りです。」
 明石氏は「悪事に手を染めている」という意識があったはずだ。』(P258~259)

『 何度も繰り返すが、甲状腺被ばく測定を受けたのは一握りの人たちだけだった。大多数の人たちは、自分がどれだけ被ばくしたのかよく分からない。今から測ることもできない。「望まない被ばくを受けた」「がんになったのは被ばくのせい」と訴えようにも、測定を受けておらず、「被ばくした」という証拠が残っていないため、聞き流される構図ができている。医療的な支援や補償を求めたくても、泣き寝入りを強いられる状況が生じている。
 政府には、被ばくから住民を守る責務があった。避難指示の遅れなどで被ばくさせてしまった場合には厳しい追及にさらされる可能性が高かった。「被ばくさせた」という証拠が残っていない今、政府は追求から逃れている。
 これが事の顛末だったようだ。』(P261)

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「甲状腺等価線量で100ミリシーベルト」の値が検出された、当時「11歳の少女」は、政府機関による甲状腺被ばく測定がなされないまま、内部被曝がなかったことにされてしまった。そして、何のフォローもなく放置され、今も日本のどこかで生きている、のかもしれない。

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初出:2021年2月10日「Amazonレビュー」
   (同年10月15日、管理者により削除)
再録:2021年2月18日「アレクセイの花園」
  (2022年8月1日、閉鎖により閲覧不能)

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