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仏教

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#仏教

「慈しみ」と「気づき」は、ブッダの教えを実践するための両輪。

「慈しみ」と「気づき」は、ブッダの教えを実践するための両輪。

誰もがブッダを目指すために大切なことは「呼吸」を観察すること、さらに「気づき」であると述べましたが、

意識的な「呼吸」や「気づき」を実践することにおいては、常に「慈しみ」の気持ちをもつようにすることも重要であるように思います。

ブッダの重要な教えのひとつである「慈悲」については、以前に述べましたが、

この「慈しみ」の気持ちを持つということに関して、ティク・ナット・ハン師は『ブッダの〈気づき〉

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大事なのは心の修養、サティ、マインドフルネス習慣。『ブッダが説いた幸せな生き方』⑪

大事なのは心の修養、サティ、マインドフルネス習慣。『ブッダが説いた幸せな生き方』⑪

前回は、『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)を読みながら、心こそが全ての行動の出発点であるとし、心を制御するための瞑想法として、「シャマタ」と「ヴィパッサナー」、そしてその違いを取り上げました。

著者である今枝由郎氏は、ブッダが真に推奨したものである「ヴィパッサナー」に関して、「これこそが仏教独自の本質的な瞑想法で、究極の真理、心の完全な解放に連なるもの」であるとしています。

またワール

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ブッダが説いた、幸せになるための経済的生き方とは? 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑬

ブッダが説いた、幸せになるための経済的生き方とは? 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑬

誰もがブッダの教えによって有意義な生き方を始めるために、『ブッダが説いた幸せな生き方』(今枝由郎 著 岩波新書)を読んでいます。

前回は、ブッダの教えを日常生活のなかで実践していくために守るべき「五戒」を取り上げました。

今回はブッダが説いた、幸せになるための経済生活について述べてみようと思います。

「仏教」(ブッダの教え)は「心の修養」というものに重点が置かれていますが、

『ブッダが説い

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呼吸に気づくことで「いま・ここ」にいる自分に戻る。

呼吸に気づくことで「いま・ここ」にいる自分に戻る。

前回は、いまの「呼吸」を観察することはブッダを目指すためのシンプルな方法であると述べました。

このことに関して、ヴェトナムの禅僧であるティク・ナット・ハン師は、『微笑みを生きる 「気づき」の瞑想と実践』(池田久代 訳 春秋社)のなかで、

とシンプルに説明し、そして、

と述べています。

また、

としたうえで、

とも述べています。

このように、「意識的呼吸法」は、誰でもブッダを目指すため

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いまの「呼吸」の観察はブッダを目指すためのシンプルな方法。

いまの「呼吸」の観察はブッダを目指すためのシンプルな方法。

目覚めた人であるブッダを目指していくためには、日々、「瞑想」を実践していく必要があります。

しかし「瞑想」といっても難しく考える必要はありません。そして今すぐ「瞑想」するためのシンプルな方法のひとつは、自分自身の<いま>の呼吸を観察することです。

このことに関して、たとえばワールポラ・ラーフラ師は、『ブッダが説いたこと』(今枝由郎 訳)のなかで、

としたうえで、以下のように述べています。

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ブッダの教えは誰もが「充実した人生を生きるための指針」。『ブッダが説いた幸せな生き方』最終回

ブッダの教えは誰もが「充実した人生を生きるための指針」。『ブッダが説いた幸せな生き方』最終回

誰もがブッダの教えによって有意義な生き方を始めるために、『ブッダが説いた幸せな生き方』(今枝由郎 著 岩波新書)を読んでいます。

前回はブッダが説いた、幸せになるための経済生活について述べました。

最終回のこの記事では、ブッダの教えは誰もが「充実した人生を生きるための指針」であり、ブッダとしての生き方は誰にでも実践可能であるということについて述べていこうと思います。

ここまで取り上げてきた、

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心こそが全ての行動の出発点! 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑩

心こそが全ての行動の出発点! 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑩

ブッダの教えを学びながら幸せな生き方を始めてみませんか?

前回は『ブッダが説いた幸せな生き方』を読みながらブッダが説くカルマ(業)の特徴について述べました。

そのなかでブッダのカルマ論を考えるうえで重要なのは「行為そのもの」というよりも「自分自身の意志」なのであると述べましたが、『ブッダが説いた幸せな生き方』の著者である今枝由郎氏は、ブッダの、

「弟子たちよ、私はチェータナー(意志)をカルマ

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ブッダが説くカルマ(業)の特徴とは❓ 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑨

ブッダが説くカルマ(業)の特徴とは❓ 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑨

ブッダの教えを学びながら有意義な生き方を始めてみませんか?

前回は『ブッダが説いた幸せな生き方』を読みながら「八正道」「戒定慧」とは何なのかについて述べました。

今回はブッダが説くカルマ(業)の特徴についてです。

現代日本においては、「業(カルマ)」というと、「原因と結果の法則」もしくは「運命の法則」だと誤解されていることが多いように思います。

「自業自得」「業が深い」「因果応報」など、本

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ニルヴァーナ(涅槃)とは何なのか❓ 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑦

ニルヴァーナ(涅槃)とは何なのか❓ 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑦

前回は『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)を読みながら、苦しみの根源的な要因といえる「三毒」について述べました。

今回はいわゆる涅槃、「ニルヴァーナ」についてです。

20代や30代の頃の私自身もそうでしたが、普段から仏教や瞑想に馴染みがなければ、「ニルヴァーナ」(パーリ語でニッバーナ、漢訳で涅槃)と聞くと、日常の外に存在する、どこか非現実的で高尚な世界観のような印象を受けます。

しかし

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苦しみの根源的な要因「三毒」とは❓ 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑥

苦しみの根源的な要因「三毒」とは❓ 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑥

前回は『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)を読みながら「無常」と「無我」の関係を取り上げましたが、今回は苦しみの根源的な要因といえる「三毒」についてです。

この本の著者である今枝由郎氏は、人間は全てのものが虚仮(こけ)であるという本質を知らずにそれを誤って実体と見なす、ことに、

と述べています。

ちなみに貪瞋癡(とんじんち)というこの「三毒」については、以前にもnoteで取り上げたこと

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<無常>と「無我」の関係とは❓ 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑤

<無常>と「無我」の関係とは❓ 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑤

前回は『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)を読みながら「無常」を取り上げましたが、

この「無常」について考えると、どうしても「無我」というものについても言及せざるを得ません。

著者の今枝由郎氏は、

「この無常というものごとの本質は、当然のこととして「私」「我」という概念にも当てはまります」

と述べていますが、一体どういうことでしょうか❓

この「無我」については以前に詳しく述べたこと

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<無常>は「すべてのものごとは移ろい変わる」という真理。 『ブッダが説いた幸せな生き方』④

<無常>は「すべてのものごとは移ろい変わる」という真理。 『ブッダが説いた幸せな生き方』④

『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)を読んでいます。

前回取り上げた「縁起」から「必然的に導かれる」のは「無常」です。

「無常」というと、この世のあらゆることは最後は終わってしまって「はかない」、それゆえに「かなしい」「むなしい」と思ってしまいがちですが、ブッダのいう「無常」とは、けっして感傷的なものではありません。

「無常」については以前に解説したことがありましたが、

『ブッダが説

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ブッダが目覚めた「縁起」とは何か? 『ブッダが説いた幸せな生き方』③

ブッダが目覚めた「縁起」とは何か? 『ブッダが説いた幸せな生き方』③

前回の記事では、『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)のなかで、著者の今枝由郎氏が、

「(一)条件付けられた生起(縁起)としての苦しみ」
「(二)ものごとの移ろい(無常)による苦しみ」

は、「苦しみの両面と見なしたほうがいい」と指摘しており、その点は、「ドゥッカ」(苦)の本質を考えるうえで非常に重要であると述べました。

では、「条件付けられた生起(縁起)」とは何でしょうか?

「縁起」に

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『ブッダが説いた幸せな生き方』は、お釈迦様の教えが簡潔にまとまっている良書。

『ブッダが説いた幸せな生き方』は、お釈迦様の教えが簡潔にまとまっている良書。

以前、『ブッダが説いたこと』(ワールポラ・ラーフラ 著 今枝由郎 訳 岩波文庫)という一冊は、ブッダの基本的な教えを知るために最適な一冊であると述べましたが、

この本を翻訳している今枝由郎氏が書いた『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)は、よりブッダの教えが馴染みやすく簡潔にまとまっており、日本人がお釈迦様の教え自体を知るのに最適であると感じました。

実際に今枝氏は、「あとがき」のなかで、

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