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いまの「呼吸」の観察はブッダを目指すためのシンプルな方法。

目覚めた人であるブッダを目指していくためには、日々、「瞑想」を実践していく必要があります。

しかし「瞑想」といっても難しく考える必要はありません。そして今すぐ「瞑想」するためのシンプルな方法のひとつは、自分自身の<いま>の呼吸を観察することです。

このことに関して、たとえばワールポラ・ラーフラ師は、『ブッダが説いたこと』(今枝由郎 訳)のなかで、

 ブッダの教え、ことにその瞑想法は、完全な心的健康状態、平衡そして静謐を生み出すことを目指している。残念ながらブッダの教えの中で、仏教徒からも非仏教徒からも、瞑想ほど誤解されているものはない。「瞑想」ということばを耳にするだけで、人はすぐに日常生活の活動からの逃避だと思う。

としたうえで、以下のように述べています。

 
 
 瞑想ということばは「修養」「啓発」すなわち心的修養、心的啓発を意味する原語バーヴァナーの訳ではあるが、けっして適切ではない。仏教のバーヴァナーは、心の修養である。それは心を肉欲、憎しみ、悪意、怠惰、心配、落ち着きのなさ、疑いといった汚れや動揺から浄化し、集中力、気付き、知性、意思、エネルギー、分析力、自信、喜び、静けさといった資質を啓発し、最終的にはものごとをありのままに見、究極の真理、ニルヴァーナを実現する叡智に到達させるものである。

ワールポラ・ラーフラ『ブッダが説いたこと』 今枝由郎 訳 150‐151頁


そして、「身体に関する瞑想のなかで、もっともよく知られ、一般的で、実践的なのは、意識的呼吸法である」とし、さらに「意識的呼吸法のときは、「結跏趺坐し、背を伸ばして、心を集中させて」坐る必要がある」と述べています。


また、

人は息をするとき、ときとして深く、ときとして浅く息をするが、それは構わない。唯一大切なのは、深く息をするとき、深く息をしているということを意識することである。言い換えると、集中して、呼吸の動き、変化を意識しているということである。

 最初の内、呼吸に集中するのは難しい。心を乱れるのに驚かされる。心は留まっておらず、色々なことが頭に浮かぶ。心は邪魔され、気が散る。うろたえ、がっかりするかもしれない。しかし、一日二回朝晩に、各々五-一〇分ほどこの瞑想を繰り返せば、少しずつ呼吸に集中できるようになる。

とし、そのうえで、

 呼吸に意識を集中することは、高度な神秘状態に至るもっともシンプルでやさしい訓練の一つである。さらには、集中力はニルヴァーナの実現をも含めて、ものごとの深い理解、省察、本質の洞察に必須なものである。

と説明しています。


「呼吸」に関しては『ブッダの智恵で、脳ストレスを減らす生き方』で詳しく述べましたが、ブッダやマインドフルネスの呼吸法のポイントは、無理に自分でコントロールしようとしないことです。

つまり、「いま」の呼吸が浅ければ「浅い」と認め、深ければ「深い」と認めてあげることです。もしせわしなければ「せわしない」と認め、「ゆっくり」であれば「ゆっくり」とただ認めてあげるのです。

しかしこのように「いま」の呼吸をありのままに観察するというのは、慣れないうちはけっこう難しいのです。

なぜなら、吐く息と吸う息の出入りを観察しているつもりでも、注意が散漫になり、スマホのことが気になったり、休日は何をして過ごそうかなどと考えたり、もっと良い呼吸法はないものかと模索したりしてしまいます。

また、他人に傷つけられたという過去の嫌な出来事を思い出してそのことを反芻したり、未来の計画に対してうまくいくだろうかと不安になったりするなど、すぐに意識は呼吸以外の様々なことにとらわれてしまいます。


しかしすぐに挫折するのではなく「一日二回朝晩に、各々五-一〇分ほどこの瞑想を繰り返せば、少しずつ呼吸に集中できるようになる」ため、心の修行・修養のつもりで、毎日五分から十分程度、自分自身のいまの呼吸を観察する時間を何回か設けると、やがていまの呼吸を意識する機会が多くなっていきます。

つまり大切なのは最初から一時間続けようとして途中であきらめてしまうのではなく、必ず毎日、少しずつこまめに、ありのままの呼吸の観察を実践することなのです。


 人は昼夜休みなく息を吸い込み、吐き出す。しかし、そのことをまったく意識せず、一瞬たりともそれに注意を注ぐことがない。この瞑想は、まさにそれをするのである。力まずに、緊張せずに、普通に息を吸い、吐く。心を息の吸い込みと吐き出しに集中させる。息の吸い込みと吐き出しを注視し、観察する。息の吸い込みと吐き出しを意識し、見守る。人は息をするとき、ときとして深く、ときとして浅く息をするが、それは構わない。唯一大切なのは、深く息をするとき、深く息をしているということを意識することである。言い換えると、集中して、呼吸の動き、変化を意識しているということである。周りのことなどすべてを忘れるように。上を向いて、何かを見つめたりしてはならない。これを五分から一〇分続ける。

 最初の内、呼吸に集中するのは難しい。心を乱れるのに驚かされる。心は留まっておらず、色々なことが頭に浮かぶ。心は邪魔され、気が散る。うろたえ、がっかりするかもしれない。しかし、一日二回朝晩に、各々五‐一〇分ほどこの瞑想を繰り返せば、少しずつ呼吸に集中できるようになる。そして、しばらくすると周りの音も耳に入らず、外の世界が存在しなくなり、あなたは瞬間呼吸に全神経を集中していることに気が付くようになる。この瞬間は、あなたにとって喜び、幸せ、静謐に満ちた素晴らしい経験で、それをずっと続けたいと思うようになる。しかし、あなたは続けられない。それでも瞑想を定期的に続ければ、この経験は繰り返し訪れ、いっそう長く続くようになる。そのときあなたは、呼吸に没頭して我を忘れている。自意識がある以上、何ごとにも集中できない。

 呼吸に意識を集中することは、高度な神秘状態に至るもっともシンプルでやさしい訓練の一つである。さらには、集中力はニルヴァーナの実現をも含めて、ものごとの深い理解、省察、本質の洞察に必須なものである。

ワールポラ・ラーフラ『ブッダが説いたこと』 今枝由郎 訳 154‐155頁




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