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生きていく時間の価値は100億円よりずっと高い



■お金より時間のが大切


時間よりお金が欲しい!と過酷な仕事、長時間働いている人もいますが、それはお金を家や車など欲しい物に変換する為であったり

お金を貯めて何か始める、旅行をする、家族を来月も養う、老後の安心をお金で得る為とか未来に何かを得る為にやっている行為ですよね

過去の借金の清算なら未だしも、ただ死ぬまでお金を貯め続ける為にやっている人なんて殆どいないと思います

未来に使うから価値を感じるのがお金であり、未来にお金を活かす目的で稼ぐのがお金で、特に何もなく多ければ良いと

お金を得ることが人生の主体となってしまうと幸福感を得るのに難易度が増すのではないか?と考えます

生き物にとって、自分の生命維持出来る期間というのは有限であり、元気に活動出来る時間はあっという間に過ぎて行きます

そして生きて行く上でほとんどの事にお金がかかりますが、だからといって100億上げるから命を差し出して下さいと言われ

差し出す人もほとんどいないです

ということは、自分の命(未来)は100億円よりも価値がある。そんなの当たり前だろ!命がないとお金は使えないのだから!と御思いの方もいると思います

確かにそうです。 命あっての物種で、1兆円持ってて一か月後に死ぬなら貧乏でも天寿を全うできる方が良いです(よほどの困窮に陥らない限り)

100億円は無理でも、お金は無くなれば何かやって稼ぐことは出来る、でも命はなくなったから他から持って来て、補充できるわけではありません

時間もそうです。

お金があれば労働から解放される、お金で家事をしてもらう家政婦さんを雇うという意味で、時間はお金で買えるかもしれませんが

お金で時間を買い戻すことは出来ない。

高校時代に戻りたいと思っても、20代前半に戻りたいと思っても戻れない

命だけでなく、少年、青年、壮年、老年時代の自分が一瞬一瞬一回限りであり、一回限りだからこそ価値が高いのだと

お金は所詮紙です。 機械で大量に製造してそれを人間が物と交換できる券として扱っている、金やダイヤモンドも貴重でも世界に1つだけのものではない

下手したら宇宙にある他の惑星ではその辺の石ころ並に腐るほどあるかもしれない

でも自分として意識を持って活動出来る命、時間は宇宙に1つしかないです。

金どころか、どんなものよりも自分の命は誰にとっても大事なものであり、その命を少しづつ削りながら発生する現在、未来の時間というのは

かけがえのないモノです。

自分が大事なものを奪われたくないように、他人の大事なものを奪うこともしてはいけない。それは人の命を奪うな!という意味でもあり

人様の時間を安易に奪うな!という自戒で書いている部分もありますが、皆さんもたった1つの命を、今一瞬ずつを大切に生きて欲しいなと願うばかりです。




◆現在、未来の価値



私は価値という言葉をよく使っていますが

価値があるというのはどんな大金よりも、死よりもよっぽど生きることには価値があると確信を持って使っています。

どんなに社会の役に立たない人間でも、24時間苦痛に悶える病気や他の人様の健康や生きる権利を侵害しない限り

生きて下さい。

例え平凡な人生で終わっても、世界に二つとない唯一無二のその人の人生です。

唐突ですが『宝くじ一等当たれば良いのになぁ』なんて思ったことがありませんか?

宝くじの一等7億円は東京ドーム何個分から一人選ばれるぐらい奇跡的確率で当たるそうなのですが、人がこの世に生まれる確率の方が遥かに奇跡的です。

過去の祖先たちが災害、病気、戦争を経て生命を繋ぎ両親が生まれ、その両親が60億人の地球上の人口の中で出会い結ばれ、2~4億個の精子の中で卵子に辿り着き

人類数十万年という歴史の中で今の時代に病院で無事産まれ、事故、病気、貧困、犯罪、戦争で死ぬことなく成長し、現在日本で暮らしている

凄い確率だと想いませんか?

それでこれからも奇跡は起こります。

例えば道をすれ違う人ですら日本の人口1億2千万の中から、たまたまその日、その時間に自分の目の前をすれ違った人たちであり

あなたが付き合ったパートナーも友人も、仕事も、人口や時代を加味すると途轍もない確率で遭遇する奇跡の連続です

生きてればいいことばかりではありませんし、時に一番価値がある命すら自ら放棄したくなる時もあるかもしれませんが

気づいていないだけで我々は様々な奇跡を体験している

そして、自分次第でお金で買えない能力や経験を積むことも出来て、ベンチプレス100キロ挙げたいと思えば、プログラムと栄養、休養管理の積み重ねで、いつか達成することだってできる

ガンガンお金払ってサプリやトレーナーつければ近道になるかもしれませんが、金がなくとも強い意志があれば自分で調べたり工夫して達成できますが

お金を払ったからといってすぐ達成できません

友人もお金で買えないです。恋人もお金で買えないです。(友人のようなもの、恋人のようなものは買えるかもしれません)

自分の今までの思い出もお金で買えない、積み重ねていった経験や能力はお金で買えるものではない価値の高いものであり

今苦しんでいる人も、上手くいかない人も、死ぬまで奇跡は起こり続けるので絶望視しないで下さい。

ケンタッキー・フライド・チキンの生みの親であるカーネルサンダースは60歳を過ぎてから事業に成功しました

葛飾北斎は老年、更に絵に磨きがかかりました

今自分がやっていることが芽が出ないからといって水をやるのを諦めないで欲しいです。

種も撒かずに最初からあきらめていたら実るものも実らなくなる

人間の可能性というのは私は最期まで分からないと思っていますし、だからこそ人の未来の価値というのは無限大なのではないか?と思う訳です。



▢自分の時間をこの先何に使って生きたいか?



お金が欲しい!奥さん子供、社会の為に自分の時間を注ぎ込むのも素晴らしいことですし、自分の自由意志でそうしているならば

後悔も少なく済みます。

でも、今のやりたいことをがあるか、今やってることに納得していない状態が断続的に続くようでしたら

今一度考え、現実を加味しながら今出来るやりたいことを始めてやり続ける方が良いと想います

後々”これやっておけばよかった”なんて歳をとった時に思っても、残された時間と体力様々な制約が強くなり、思い切り出来なくなっているかもしれない

だからこそ、自分の残された時間を何に使って生きたいか?というのは寿命がある以上、一度は真剣に考えて見るのも悪くないと想います。

しかし理想と現実が違うのは私も痛感していますので、理想論、綺麗ごとは書くつもりはありませんが、自分に合わないものを無理して続けると後悔だけではなく心の不調がおきます

心の不調は時折来る無気力感、焦燥感、虚無感などで金属疲労のように急に襲い掛かかってくることです

なので自分の今選んで困らない選択肢の中で、自分が比較的にやりたいことをして、少しでも自分の時間を使うに値すると納得出来る時間の使い方に持っていければ

いつかこの世を去る時に良い人生だったと思えるのではないか?と私は信じていて

極論、来年死ぬとしたら?今の生活のままで死にきれるか?あくまで想像の範疇の中でしかありませんし

来年死ぬのとあと30~50年以上生きるので動き方は変わってきますが、気持ちの面で多少なりとも納得感がある選択肢を選んでいるのであれば

まぁ…今の生活のまま逝っても悪くはないかな?ぐらいに思えるかと思います




◇価値に縛られないことも必要


書いていることが矛盾しているように感じるかもしれませんが、お金よりも命、時間の価値はあると書いて置いてなんですが

そこの価値観は普遍でも良いです。

しかし、誰よりも誰かの方が人間的に価値があるとか、そんな基準を設けてしまうと、じゃあ自分よりも収入がある、人望がある、社会貢献している誰かの方が自分より人間的価値が高いのではないか?と

そんな風に感じてしまうとつまらないので、誰かと誰かを比べるよりも日々の自分の成長、変化に着目し、他人は他人で別ジャンルの人生作品を作っているぐらいに

線を引いた方が生きやすいのかな?なんて考えています。

もちろん、人との競争で燃える人はランキング形式で頑張って行けば良いと想いますが、そうでない人は

自由に人生というキャンパスに絵を描いて行く感じで良いと想います。

最後に価値に縛られるな!と、、、お金や物と人の人生比べたら人のが価値があるけど、人の人生は甲乙つけるものではなく

それぞれの良さがあるという所で終わりにしたいと思います。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

そんな優しい真面目な皆さんがより豊かになりますように☆ またね!('ω')ノ




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