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「8月15日の日記」を綴り、一緒に読み合いませんか? @秋田市文化創造館
長い雨が上がり、ようやく夏ですね。学生たちは夏休み、大人はお盆でひと休み。少し立ち止まって、考える。そんな月だと思います。
今から79年前の8月15日、ポツダム宣言を受諾した日本は終戦を迎えました。日本全国に玉音放送が流れたこの日、市井の人々は一体どんな一日を過ごしたか、想像したことはありますか?
当時の記録をみると「魂が抜けたようだった」と語る人もいれば、「無言で台所に立ち続けた」人もいたそ
26歳。人生が旅なのだとしたら、旅はまだ始まったばかりだ。
沢木耕太郎さんが「この本を読めて幸せでした」とJ-Waveの番組で紹介してくださったのが去年の暮れでした。その言葉をラジオ越しに聴いた瞬間、ひとつの旅の終わりを感じたんです。もう自分が手をかけなくても、この本は人から人へ渡り継がれていくだろう、と。
26歳は「旅の適齢期」と言われています。社会人になって数年経って、なんとなく社会のことが分かってきたけれど、まだ何者でもなくて、何者にでもなれる。そ
イッタラを支える「知られざる20年間」~カイフランクとオイバトイッカの友情~
みなさんこんにちは!
気づけばもう年の瀬、2021年はどんな年でしたでしょうか?
僕はというと、表参道のイッタラストアで「フィンランドデザイン」をテーマにしたイベントをたくさんやった一年でした。
今年さいごの北欧デザインコラムでは、フィンランドを代表する二人のデザイナー、カイ・フランクとオイバ・トイッカの関係性を入口にして、「今のイッタラを支える20年間」を一緒に探っていきたいと思います。
と
【会話劇】 そらのおくゆき
あらすじ
2026年、夏。日本では空前の「詩」のブームが巻き起こっていた。この物語は、詩の魅力に取り憑かれた三人の女子高生が、自作の詩集のタイトルを探すだけの、これといって特別なことはなにも起こらない会話劇である。
登場人物
・ミナモ‥ロマンチスト、食いしんぼう
・ソヨカゼ‥マイペース、お嬢さま気質
・コムギ‥メガネ、愛読書は「ネイチャー」誌
・百年のお兄さん‥やさしい
0どんな鳥だって、想像
Road to Nowhere : ユートピアは客席を越えて(『アメリカン・ユートピア』 )
デイヴィッド・バーンもトーキング・ヘッズも、いつかどこかで名前を聞いたくらいにしか覚えがなかった。けれども、渋谷のシネクイントでこの映画を文字どおり「浴びて」からというもの、僕のアップルミュージックのプレイリストは彼の曲で埋まってしまったというわけだ。
冒頭、舞台に一人で登場したバーンは、奇妙な脳みその模型を抱えながら観客に語りかけるように歌い始める。そしてショーが進むにつれ、舞台上には徐々にバ
フィンランドデザインの質の高さは「工業」と「アート」の往復運動から生まれる 〜アアルトとカイフランクのデザインアプローチ〜
みなさんこんにちは!
暑い日が続いておりますがいかがお過ごしでしょうか?
今回の北欧デザインコラムでは、フィンランドデザインのクオリティの源泉を、アルヴァ・アアルトとカイ・フランクの二人の名デザイナーの事例を引きながら「工業」と「アート」という二つの視点から紐解いてみたいと思います。
1.アアルトのデザインにおける「遊び」の役割先日、世田谷美術館で開催されていたアルヴァ・アアルト展に行ったとき
「マンキウィッツ」という名の鳥ははばたく(デヴィッド・フィンチャー『Mank マンク』 )
たとえば同じ一本の映画だとしても、その背後に隠されたストーリーを知ることで作品の見え方がまったく変わってしまうということがある。この映画を観るまで、僕にとってオーソン・ウェルズの『市民ケーン』はいわゆる「映画史に残る名作」でしかなかった。けれどもその脚本を描いたマンクウィッツのストーリーを知ったがさいご、『市民ケーン』は僕にとって特別な作品に様変わりしてしまった。デヴィッド・フィンチャーの『Man
もっとみるカイ・フランクが目指した「無名のデザイン」 〜1956年 日本への旅から見えてくるもの〜
「フィンランドデザインの良心」と称され、1952年の発表以来「ティーマ」や「カルティオ」の人気が今なお衰えることを知らないデザイナーのカイ・フランク。日本では藤森健次さんや長久智子さんの研究の中で、フランクのシンプルなデザインが生まれた背景にはバウハウスや出自の影響があったことが言及されています。
カイ・フランクは日本との関わりも深く、1956年から1970年にかけて三度の来日を果たしています。
よりみちを道とすること(あるいは27歳の決意表明)
先日、晴れて27club(27歳でこの世を去った天才たちの総称)に入会できる年齢を迎えたわけですが、僕とジミ・ヘンドリクスの一番の違いは人の心に届く仕事をひとつも果たしていないことであって、引き続き見知らぬ誰かの心の片隅を目指してしぶとく生き抜いてやろうと思います。
27歳のコンセプトは「よりみち」
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』といういささか意味の渋滞が起きて