イッタラを支える「知られざる20年間」~カイフランクとオイバトイッカの友情~
みなさんこんにちは!
気づけばもう年の瀬、2021年はどんな年でしたでしょうか?
僕はというと、表参道のイッタラストアで「フィンランドデザイン」をテーマにしたイベントをたくさんやった一年でした。
今年さいごの北欧デザインコラムでは、フィンランドを代表する二人のデザイナー、カイ・フランクとオイバ・トイッカの関係性を入口にして、「今のイッタラを支える20年間」を一緒に探っていきたいと思います。
とはいえ、カイとオイバはデザインのスタイルが全くちがうし、年齢も20歳離れている。「この二人って関係があったの?」という方も多いのではないでしょうか。実はこの二人、現在はイッタラに吸収合併された「ヌータヤルヴィ」というガラスブランドで20年もの間一緒に仕事をしていました。そしてお互いに大きな影響を与えながら、数々の名作を生み出してきたんですね。現在イッタラの主力アイテムである「カステヘルミ」や「フローラ」、「カルティオ」や「バードシリーズ」は、まさにこの20年の間に生まれた作品なのです。
ということで、本稿を読めばあなたの持つ「イッタラ」の輪郭がより色濃いものになるはず!
ぜひさいごまでごゆるりとお楽しみください。
1.カイとオイバのデザインの特徴
カイ・フランクは1911年にヴィープリ(現在はロシア領)という地域で生まれました。カイの代表作と言えば、言わずと知れた「ティーマ」と「カルティオ」ですよね。第二次世界大戦の敗戦の爪痕が残る時代の中で、「貧しい生活にデザインで豊かさをもたらすことはできないか」という社会性のあるデザインを追求しました。
カイのデザインの特徴は、なんといってもその「シンプルさ」と「機能性」ですよね。「フィンランドデザインの良心」と呼ばれる彼のデザインは、今でも色褪せることなくイッタラの第一線で活躍しています。カイについての論考は下記の記事もぜひ併せて読んでみてください。
一方のオイバ・トイッカは、カイがすでに活躍しはじめた1931年に、カイと同じくヴィープリで生まれます。なんとこの二人、同郷のデザイナーなんですね。この20年も歳が離れた同郷の二人が、のちにヌータヤルヴィでフィンランドガラス界の一時代を築くというのはなんだかアツいものがありますよね。
オイバのデザインの特徴は、なんといってもそのユニークさ。「アーティストでありデザイナーでもある」と自認していたように、偶発性を取り入れたアプローチを重ねながら、イッタラを代表する「バードシリーズ」や「ポムポム」「ロリポップ」のほか、カステヘルミやフローラというシリーズを生み出しました。オイバのユニークなデザインの背景を探った論考もありますので、こちらもぜひ。
このように、「シンプルさと機能性」をベースに大衆デザインを数多く手がけたカイと、「ユニークさ」をベースにアートピースを数多く手がけたオイバ。デザインのアプローチや美学が全く異なるこの二人は、いかにして出会ったのでしょうか。
2.合流地点 ~1963年 ヌータヤルヴィ~
1950年代にヌータヤルヴィのアートディレクターに就任したカイ・フランクは、大衆デザインを中心とした様々なガラスアイテムを世に送り出す中で、より新しいアイデアを求めるようになりました。当時、オイバが所属していたアラビアとヌータヤルヴィはオーナーが同じだったため業務提携が盛んに行われており、そこでカイが白羽の矢を立てたのが若かりし日のオイバでした。オイバの才能が花開いたのはヌータヤルヴィでガラスと出会ったことがきっかけでしたから、その手を引いたのがまさにカイだったというわけなんですね。
この二人の合流には様々な社会背景があります。たとえば、1951年から57年にかけてのミラノトリエンナーレでのグランプリ受賞を皮切りに、フィンランドデザインが世界で大きな注目を集めるようになったこと。戦後復興が進み経済的に余裕ができ始めたフィンランドで生活の質が向上したことなどなど…。こうした背景が相まって、カイが先導していた大衆デザインはもちろん、メイド・イン・フィンランドのガラスアートへの需要が世界的に高まっていました。
さらに重要なのが、カイが「アート」の重要性を強く認識していたことです。1957年に来日した際、カイは講演で「デザイナーとして仕事をする場合、同時に芸術家としての要素をもそなえているべきである」という発言をしています。カイの思想の根本には、一人のデザイナーが実験的アートと大衆デザインを往復することでより質の高いクリエイションが生まれるという考え方がありました。だからこそ、カイはアラビアのアートデパートメントで活躍していた若きオイバに目をつけたということなのです。「アートとデザインの往復」については下記の論考をぜひ。
一方で、カイがオイバに声をかけたとき、オイバ自身もガラスの表現に魅せられはじめていた時期でした。時を同じくして欧米で起こった「スタジオガラスムーブメント」というアートピースの潮流に興味を抱いていたオイバは、1950年代末にカイらが主催したアラビアとヌータヤルヴィの共同展覧会でガラス作品をつくるチャンスを得ます。そこで制作した”FOUNTAIN”や”PICKLE JAR”というユニークすぎる作品にカイが注目したことは想像に難くありません。
このように、様々な社会背景と二人の興味のタイミングが奇跡的に重なったことが、結果的に1963年のヌータヤルヴィへの招聘につながりました。まさにここからはじまる二人の「20年間」こそが、いまのイッタラを支える礎となったのです。
3.二人の熱い関係性
はれてヌータヤルヴィで一緒に仕事をすることになったカイとオイバ。面白いのは、その後の20年間、二人は同じ作業場でデスクを向かい合わせにして仕事をしたことです。しかし、前述したように二人はデザインのスタイルが正反対ですし、カイが癇癪持ちで気性の激しい性格だった一方で、オイバは工場でいつもニコニコしているような温厚な性格でしたから、仕事場ではよくケンカになったようです。「お前は悪魔のようだ!」とののしるカイを尻目に、オイバは小さくなりながらも決して自分の意見を譲らなかったそう(笑)
もちろん、言い合いだけしていたわけではなく、お互いがお互いに大きな影響を与え合っていました。たとえば、オイバがヌータヤルヴィではじめて「大衆デザイン」をした作品が「カステヘルミ」と「フローラ」だったわけですが、この連作が商業的に大きな成功を収めることでオイバはより自由に作品をつくることが許されるようになっていきます。オイバはそれまで主にアートピースやアラビアでの磁器をメインに制作していて、大衆デザインのノウハウを持っていませんでしたから、これらの商業作品をつくるにあたってカイに大きなインスピレーションを得たと振り返っています。
カイもヌータヤルヴィでオイバと一緒になってからたくさんのアートピースを製作しましたが、作品集を見ていると年々オイバのデザインに似たアイテムが増えていくことに気が付きます。独特な色の組み合わせや、オイバのバードと同時期にカイの手によって制作されたガラスバードもありました。
個人的にめちゃくちゃお気に入りのエピソードがあります。1970年代の夏。フィンランド人は夏休みを2~3か月取るのが一般的ですが、冬に二人で個展を開催することを決めていたカイとオイバは、夏休み期間に入っても作品づくりに熱中して、職人たちがいなくなった工場で意見をぶつけ合いながら二人だけで作品をつくっていたそうです。とはいえ職人たちは休みに入っているから、ガラスの酸を落とす作業まで自分たちでやらなければいけない。慣れない作業だから、酸でズボンに穴が空き、一本また一本と二人のズボンがダメになっていく。そしてとうとう履くズボンが一本もなくなったところで、オイバの奥さんのインケリが「もうおしまい!」と言って、二人はやっと作業をやめて休暇に入ったそうです。このエピソードからも、二人の関係性と作品づくりに対する熱い想いが伝わってきますよね。
仕事場で良い関係を築いていた二人は、プライベートでも親交を深めました。ヌータヤルヴィ村では隣同士の家に住んでいた二人。生涯独身だったカイはトイッカ一家の自宅へよく遊びに行っては、テレビドラマを観たり、一緒に食事をしたり、家族ぐるみの付き合いをしていたそうです。夜になると家の前の森で散歩をし、ふくろうの鳴き声をBGMに二人でつくったウッドテーブルを囲んで色々な話をしたそうです。
4.アートとデザイン:循環の二重構造
さて、ここまでカイとオイバがヌータヤルヴィで向かい合って共に仕事した「20年間」をサクッと辿ってきました。スタイルや美学が対照的だった二人が、一つの机を挟んでお互いに影響を与え合い作品を生み出していったというのはすごくドラマチックな構図だと思います。今でもイッタラの店頭で見られるカステヘルミやフローラの背後にはカイの想いがひそんでいるし、カルティオの背後にはオイバとの激論の日々があったはずです。そして二人のインスピレーションが重なり合ったヌータヤルヴィの仕事場におけるこの構図にこそ、今のイッタラのエッセンスがつまっているように思うんですよね。
前述したように、「アート」と「大衆デザイン」の両方を一人のデザイナーが手がけることで、より質の高いデザインが生まれるという考え方はカイの本質的なアプローチであり、同時に「フィンランドデザイン」の質の高さを形づくるものでした。たとえば、フィンランドを代表するデザイナーのティモ・サルパネヴァやタピオ・ヴィルカラ、ビルゲル・カイピアイネンやそれこそオイバも、みんな大衆デザインとアートピースの往復運動を繰り返すことを通して、タイムレスでハイクオリティなプロダクトを生み出してきました。
そして、今回取り上げたカイとオイバの「20年間」は、「大衆デザイン」を得意としたカイと、「アートピース」を得意としたオイバが、それぞれが片輪となってヌータヤルヴィの仕事場で両輪を回すという大きな視点での往復運動の構図としても捉えられるように思うんですね。つまり、カイとオイバ、それぞれが自分自身でアートと大衆デザインの往復運動を繰り返すと同時に、仕事場で二人がそれぞれの得意な役割を担いながら議論を交わし制作を行ったというこの二重構造のダイナミクスこそが、数多くの名作を生み出し、そして現在のイッタラの礎になっているというわけなのです。
やっぱり20年間も一緒に同じ机で仕事をするのって相当すごいことですよね。おそらくお互いがお互いの持っていないものを持っていて、それを補完し合う関係だったからこそ二人は20年間も一緒に仕事をしたんだと思うんですね。だからこのヌータヤルヴィの「20年間」は、カイとオイバという二つのピースが一つに組み合わさることで成り立っていたんじゃないかということです。ですから今もイッタラで主力となっている「カステヘルミ」「バード」「カルティオ」といったアイテムたちは、二人の思想が重なり合って生まれた作品に他ならないということなのです。
5.おわりに
たとえば目の前にひとつのグラスがあったとき、何も知らなければそれはただのグラスでしかないけれど、そこにデザインの知識が少しでも加わるとグラスの見え方が全く変わってしまう。目の前のグラスの背後に潜んでいる物語を知ってしまったら、もうそれは「ただのグラス」ではなくなってしまう。そういう世界の解像度が上がるような体験を提供できたらなと思って、僕はイッタラでデザインをテーマにしたイベントを開催したり、このコラムを書いたりしています。
つまり、モノの「見た目」や「値段」や「機能」ではなくて、その背後にひそむ「物語」によってモノへの「価値づけ」をできないかというチャレンジなんです。買い手の「思想」や「美学」に、モノの「物語」がスパークすること、それが「モノへの愛着」につながるんじゃないかな、なんてことを思っているわけです。
2021年は北欧インテリアをきっかけに本当にたくさんの方と出会うことができて、良い年だったなぁと改めて。個人的に来年から大きく環境が変わりそうですが、相変わらず北欧インテリアには関わって、そこで学んだことをこのコラムで棚卸しできたらなと思っております。
ひとまず、ここまでお読みいただきありがとうございました!
2022年もどうぞよろしくお願いします!!
おすすめ本
『カイ・フランクへの旅』(小西 亜希子 著)
カイのゆかりの人物たちへのインタビューを通して、カイの輪郭を描こうという内容。日本でカイについてまとめられた本の中では一番読み応えがあります。
『OIVA TOIKKA Glass and Design』(Jack Dawson)
オイバについてまとめられた本のなかでは一番内容が厚いです。日本ではオイバについてちゃんとまとめられた本がまだないんですよね。
『北欧フィンランド巨匠たちのデザイン』
フィンランドデザインの入門書としては最適な一冊。フィンランドを代表するデザイナーと、その略歴と代表作がスッキリとまとめられています。
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