本能寺の変1582 重要 ◎第75話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
重要 ◎第75話
11光秀の年齢 4光秀、最大の敵 2/3
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*以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。
*加筆修正 240315
◎光秀は、己の老いを自覚した。
甲斐遠征において、改めて、実感させられた。
「そろそろよ」
肉体の衰え。
「老い」
気がつけば、その様な年齢になっていた。
◎信長は、歩みを止めず。
次に、中国大遠征。
その次、九州平定戦。
その後のこともある。
丹波では、戦後の復興に、三年を要した。
そして、「さらなる夢」へ。
信長は、歩みを止めず。
◎光秀は、滝川一益の上野入国を思い起こした。
武田を攻め滅ぼした後。
一益は、伊勢に帰陣せず。
関東八州の御警固を申しつけ、
そのまま、上野へ入った。
老後の覚えに上野に在国仕り、
(『信長公記』)
【参照】11光秀の年齢 2柴田勝家と滝川一益 70
◎一益は、信長の命に従った。
そうする他、術(すべ)がなかった。
光秀は、すぐ近くでこれを見ていた。
正に、問答無用。
上意下達。
「明日は我が身」、である。
忘れられぬ、光景だった。
斯くして、一益の老後は、定まった。
伊勢から、遠国へ。
上野一国と信濃の内二郡を拝領。
大出世である。
否、追いやられた・・・・・。
その様な見方をする研究者もいる。
◎光秀にも、国替えの可能性があった。
一益の一件を見れば、そのことが分かる。
東国の儀、御取次、彼れ是れ申しつくべきの旨、
(『信長公記』)
【参照】11光秀の年齢 2柴田勝家と滝川一益 70
近江志賀一郡・丹波一国を返上。
そして、西国の内、何処かの国へ。
タイミングとしては、毛利氏を滅亡させた後の論功行賞によって、
ということになるのだろう。
◎その先に、信長の「さらなる夢」があった。
その後のことである。
◎天下統一後も、戦は、つづく。
つまり、天下統一後も、戦は、つづく。
終わらない、のである。
光秀の、心境や、如何に、・・・・・。
◎光秀は、信長より、先に、死ぬ。
何れにしても、その時まで、己は、生きているのだろうか。
否、この世に、おらぬやもしれぬ・・・・・。
光秀は、信長より、年長。
したがって、早く、老い。
先に、死ぬ。
◎光秀、最大の悩み。
ならば、光慶は、如何に・・・・・。
明智は、如何に・・・・・。
光秀にとって、このことが、最大の悩み。
大きな不安の根源だった。
◎信長は、不意を衝く。
それは、ある日、突然、やって来る。
佐久間信盛の一件。
【参照】4光秀の苦悩 4粛清の怖れ 10 11 12
13 14 15
◎光秀は、信長の性格をよく知っていた。
この様な例は、多々あった。
◎役に立たねば、粛清される。
その時、己は、この世にいない。
これでは、死んでも死に切れぬ。
ならば、・・・・・。
◎光秀には、先が見えた。
以下は、その、大筋である。
◎中国攻め → 国替え → 「さらなる夢」
◎これすなわち、明智の危機。
光秀は、中国攻めで、大手柄を上げる。
褒美として、西国に、新たな領国を賜り、国替えとなる。
国替えは、信長の「さらなる夢」への第一歩。
そして、その実行は、光秀の死後。
光慶の代となる。
これすなわち、明智の危機。
◎これを阻止するためには、中国攻めを取り止めにする他ない。
光秀は、おそらく、このような結論に辿り着いた。
それ故の「本能寺」。
「六月二日、未明」、だったのだろう。
⇒ 次へつづく
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「本能寺の変」
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