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ドリンクバーのように好きなものを、すきなだけ🥛

変だな、と思ったのは夏の初めだった。
胸が押されているような、息苦しい感じがした。
大したことないだろうと過ごしていると、咳が出始めた。
風邪でもひいたかな、と思っていた。

2~3週間経つうちに、息苦しさが増してきて、次第に咳もひどくなっていった。

病院に行った方が良いかも。

そう思うが、行動に移せなかった。
病院に行っても、風邪でしょう、と言われるだけだろう。わざわざ、そんなために時間を使いたくない。
どうせ、すぐ治る。
なんて、思っていた。

盆休みを利用して、妻の実家に行ったとき、咳をしている自分を見て、妻の母親が、すぐに病院に行け、と言った。
妻の実家で手持無沙汰に過ごすのと、病院に行くことを頭の中で天秤にかけた。
普段行けなかったし、ちょうど良いじゃないか、なんて思った。

義父母が近所の病院を紹介してくれて、親切に予約を取ってくれた。早速その日の午後に診てもらうことになった。

60歳を過ぎた内科医は、ベテランの雰囲気を醸し出していて、いかにも、地域の住民に慕われています、という明るい感じの方だった。
義父母曰く、名医だ、と。
聴診をして、レントゲンを撮られた。

レントゲン写真を確認した名医は、汗をかきながら、すぐに大きな病院に行きなさい、と言い、近くの大学病院への紹介状を書いてくれた。

翌日、なんだかよく分からないまま、大きな病院に行き、近代的な設備で検査を受け、医者から色々話をされた。

体の中に、できものがあるらしい。
やっかいな場所らしい。
大きいらしい。
すぐに治療が必要らしい。
入院も必要らしい。
・・・。

そんなことを、色々言われた。

ん?咳が出ていただけで、自分は元気なんですけど。

そう言い返したかが、同じ説明をもう一度繰り返された。

体の中に、できものがあるらしい。
やっかいな場所らしい。
大きいらしい。
すぐに治療が必要らしい。
入院も必要らしい。
・・・。

さて、妻にどう伝えようか。
それが一番問題に感じた。



病院から帰ってきた夫のユウ君は、入院することになった、と言った。

驚きつつ、それは大変だね、と言うと、
たぶん、大したことないよ、と返ってきた。

良かった、大したことないのか。

安心したのも束の間、ユウ君の口から出てくる言葉は信じられないものだった。

淡々と話すユウ君の口元を眺めながら、状況を理解しようと努めた。

自分なりに状況を理解できたとき、不安とか、悲しみとか、色んな感情が混じったモヤモヤしたものが心を占めた。
とたんに、涙が出て来て止まらなくなった。

私が泣いていてどうする、とあの時の私に言いたいが、そのときはどうにも止められなかったし、泣くことしかできなかった。
他のことを考えられなかった。
ユウ君は、私が泣き止むまで何もしゃべらなかった。

私が泣き止んだら、
「喜びも、悲しみも、どれを受け取れるか自分で選択できるよ。だから、どんなときでも、好きなものを受け取るようにしよう」
と言われた。

どうしたら良いの?

「できるだけ、心を空っぽにして。
どんなものでも入れられる器のように。
先に何か入っていたら、色んなものが混ざってメチャクチャになっちゃうんだ。
だから、まずは空っぽにする」

どうすれば空っぽになれるの?

「深呼吸して。
思考を無くして。
良いも悪いも判断しないようにして。
リラックスして、何も考えない」

私は目をつむって、言われたとおりにした。
しばらくすると落ち着いてきたが、そう感じた瞬間に、また不安や悲しみが起こる。
さざ波のように、消えたと思ったらまた現れる。何度も。
その度に、また泣きそうになった。

「感情の素は、身体の内側ではなく、身体の外側にある、とイメージしてみて。
不安や悲しみの素になるものは、身体の外側にある。それを自分の身体に取り込むかどうか、自分で決められる、と意識して。
身体の一つひとつの細胞が、何を取り込むか決めることができる」

私は、不安や悲しみなどの気持ちの素をイメージして、それらが身体に入ってこないように念じた。
身体にバリアーができたように感じた。
少し落ち着いた。

そう感じた瞬間に、全く違うものが大量に身体に入ってきた。
そして、また、涙が溢れた。

不安や悲しみの代わりに私の身体に入ってきたものは、今、自分が生きていることへの感謝の素だった。
そして、ユウ君への愛の素だったのだ。

涙は止めどなく流れ続けた。

変な話だ。

私は、泣きながらユウ君に「ありがとう、ありがとう」と何十回も言い続けた。

これが、末期がんにかかったことを告げた夫への妻の反応。
本当に、変な話だ。



海の水には、色んな原子が溶けています。
水素や酸素だけでなく、塩素、ナトリウム、マグネシウム、カルシウム、カリウムや炭素などなど。

たくさんの元素。

海中で生きている生物は、その海水を身体に取り込んでいます。
食べ物以外にも、海水からこれらの元素が体に入ります。

目には見えないけど。

これと同じように、僕たち人間も地上で目には見えないものを取り込んでいるんじゃないかな、と感じます。

それも、空気だけでなくて、もっと色んなもの。


場の雰囲気というものがあります。
そこに居るだけで癒されたり、逆に落ち着かなかったり。緊張したり。不安になったり。

神社に行くと、空気感が違うように感じたり。
日本では塩を盛って空気を浄化する風習もあります。


森の中と、満員電車では、場にあるものが違うように感じますよね。
そして、同じような人混みでも、満員電車と遊園地のアトラクションの中とかは、またちょっと違う。

それって何か。



それは、感情の素みたいなもの。
喜び、安らぎ、平和、希望、熱意、退屈、苛立ち、失望、心配、非難、怒り、嫉妬、不安、などの素。
全部ある。

それらが、目に見えないけど、世界を覆っている。

僕たちの身体は、それを取り込み、それを糧として、思考し、行動する。
そしてまた、身体から放出する。

細胞がそうしています。

反応の素。

どんなときに、どんなものを吸い込むか、それまでの経験や知識で決まってきます。

それは、「こんなときはこんな反応をすると上手くいく」という処世術であることもあるから、捉えようによっては、知恵とも言えるかもしれない。

「嫌なことがあったら、怒る。そうすれば、相手が言うことを聞いてくれる」という知恵を持っていれば、嫌なことがあったとき、怒りの素をたくさん取り入れて、それをエネルギーにして、思考し、行動する。

「嬉しいことがあったら、喜ぶ」という知恵を持っていれば、嬉しいことがあったとき、喜びの素をたくさん取り入れて、それをエネルギーにして、思考し、行動する。

そんな風に、実は、感情の素は身体の外にある。
いつも、全ての種類の感情の素が、辺りに満ちている。
それは、無限にある。

そうだとしたら、自分で何を取り込むか決めたら良いと思うんです。

自分の好きなものだけ取り込むようにしていたら良い。

嫌なことがあったら怒る、でも良いけど、嫌なことがあっても喜ぶ、なんてことをしても良い。
今までのクセがあるから、いきなりはできないかもしれない。少しずつでも、それをしているうちに変わってくる。


そして、それは、たぶん、「無」になる瞬間があれば、より、早く変わっていける。

空っぽになると、どんどん入ってくる。

自分がほしいものを取り込んで、自分から、また良いものを発する。
そんな循環で、自分と、自分の周りを、好きなもので満たしていく。

ちょっと、突飛な話だったかもしれませんが、感情を自分で選ぶことができる、それらの素は空気中に無限にあって、いつでも、どれだけでも、自由に取り込むことができる。

ドリンクバーのように^ ^

なんて考えると、夢がありませんか?

(上記のストーリーはフィクションです😊)


最後まで読んでいただき、ありがとうございました✨✨✨

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