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#雑記
SNSでの誹謗中傷に、僕らはどういう態度を取ればいいのか
1.まずは結論若い人が一方的に誹謗中傷を受け、それを周囲の力のある大人や組織が適切な対処を取らず、最終的には自ら命を絶つという事件が、この記事を書いている前日にありました。
それ以降、昨日から暗澹とした気分でいます。その後たくさんの著名人や専門家のコメントや批判の文章を見ていたのですが、自分の中でこの流れにどういうふうな態度を取ればいいのか、見えて来ませんでした。もちろん、倫理的な問題点は明白か
「誰でもない何者か」ではなく、「ぼく」であろうと思った。
2019年11月現在、ぼくは生きている。こうやって文章を書けているのだから、手指は動くし、確かに息をし、目で物を見て、耳で音を聞いている。
けど、ぼくができるようになりたかったのは、こういう些細なことではなかった。
ぼくは小さい頃、「何者か」になりたかったんだ。小学生になっても、中学生になっても、高校生になっても、何者かになりたかった。実際に「なれる」と思っていたし、自分にはその資格があって、
僕らの世界には、すでに「オフライン」など存在しない(あるいは、「マトリックス」は今でも「幸福な悪夢」なのだろうか)
1999年といえば、ちょうど大作映画の谷間にひっそりとウォシャウスキー兄弟(いや、今や姉妹でしたか)の「マトリックス」第一作目が公開された年です。時代は世紀末。7の月に恐怖の大王アンゴルモアが地球にやって来るとか来ないとかで、世間は大盛り上がり。ちょうどフィンチャー最高の傑作「ファイトクラブ」が公開された年でもあります(確かそうでしたよね)。そんな喧しく不穏な最中、当時はまだ無名だった監督作品とい
もっとみる呼吸する、そして100日目のわたしは
手に入れたかった。
自分の持っていないものがほしかった。周りの人が持っているものがただただ羨ましい。ひとりが持っていれば、それはみんなが持っているものになって。わたしだけが持っている何かはいつまでも見つからない。
痛みは時間でなくなっているわけではない。
擦りむいた傷も、削れた心も、それを治しているのはいつだって自分自身の力だった。それなのに、自分の努力を自分で褒めるのはそう簡単なことではない
その関係性を整備しているのって、誰なんだろう
釣った魚にエサはやらない、じゃないですけど。
「いつも他人ばっかり助けようとして、身内や恋人のことは放っておく人」って一定数いる気がします。
かくいううちの母親もそのタイプでして。笑
外では果てしなく面倒見がいいというか、すべてのことを「わたしじゃなきゃダメなんだ」と引き受け、日々外を飛び回っているんですが、家のなかではなかなか、なんというか。外で引き受けたことをうちにもって帰ってきてわたしにや
一枚のドレスが世界観を大きく変えた話(あるいは安易な共感がもたらす世界について)
長い時間、人の書いた文章についてあれこれと考える研究をやっていた頃に、一つ気づいたことがあるんです。それはですね、「どんなにがんばって時間を注いでも、最後の最後のところで他人のことは全くわからない」ということなんです。もちろん、ある程度は時間を経れば統計的な積み重ねが経験となって、高精度の推論を作ることは出来ます。でもね、やっぱり他人はわからない。自分のことさえあまりわからないのに、他人のことなん
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