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何度でも読みたい

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何度でも読みたいすてきなnoteたち。
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#雑記

2020年代に表現するということ(あるいはマイケル・スタイプの電話帳)

2020年代に表現するということ(あるいはマイケル・スタイプの電話帳)

1. マイケル・スタイプの電話帳昨日こんなツイートをふと書きつけました。

伝説として知っているだけで、本当にマイケル・スタイプが言ったのかどうかわかりません。インタビューだったか対談だったか、そんな中で言った言葉らしいのですが、googleで調べてみても出典を見つけることはできませんでした。まあでも、マイケル・スタイプなら確かに電話帳読んだだけでも人を泣かせることができるかもしれないと思わせる声

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SNSでの誹謗中傷に、僕らはどういう態度を取ればいいのか

SNSでの誹謗中傷に、僕らはどういう態度を取ればいいのか

1.まずは結論若い人が一方的に誹謗中傷を受け、それを周囲の力のある大人や組織が適切な対処を取らず、最終的には自ら命を絶つという事件が、この記事を書いている前日にありました。

それ以降、昨日から暗澹とした気分でいます。その後たくさんの著名人や専門家のコメントや批判の文章を見ていたのですが、自分の中でこの流れにどういうふうな態度を取ればいいのか、見えて来ませんでした。もちろん、倫理的な問題点は明白か

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「誰でもない何者か」ではなく、「ぼく」であろうと思った。

「誰でもない何者か」ではなく、「ぼく」であろうと思った。

2019年11月現在、ぼくは生きている。こうやって文章を書けているのだから、手指は動くし、確かに息をし、目で物を見て、耳で音を聞いている。

けど、ぼくができるようになりたかったのは、こういう些細なことではなかった。

ぼくは小さい頃、「何者か」になりたかったんだ。小学生になっても、中学生になっても、高校生になっても、何者かになりたかった。実際に「なれる」と思っていたし、自分にはその資格があって、

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映画『ジョーカー』の居心地の悪さ

映画『ジョーカー』の居心地の悪さ

これを書いているのは13日の0時頃。まだ風の音はかなり聞こえますが、台風19号がようやく関西から抜けつつある時間帯です。今頃、おそらく東海や関東の皆さんは不安な夜を過ごされているんだろうなと思いながらこれを書いてます。親戚や友達の多くが関東圏にいるので、あまり他人事ではなく、妙に目が冴えるので、この前見た映画Jokerについて、ちょっと備忘録的に書いておこうかなと。

あ、以下、ある程度ネタバレし

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SNSはなぜ「疲れる」のか

SNSはなぜ「疲れる」のか

気づけば秋風吹く10月。8月ころ「今年の夏はたくさん文章書くぞー!」と意気込んだものの、仕事に追われ、花火に追われ、期末テストと採点に追われ、気がつけば新学期再開で再び仕事に追われ。フリーランス兼大学教員というのは、よほど上手く回さない限りやっぱりどこか無理があるんだなと実感している今日このごろです。

空いている時間も無いことはなかったのだけど、その空き時間はだいたいリオレウスを延々狩ったり、メ

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自分が作り出せるコンテンツは有限か

持って生まれたものを減らして生きているのか、何もないところから得て生きているのか。

「もう書くことがない」って、あり得るんだろうか。

わたしはもともと毎日更新は掲げていなかったのですが、期せずして(?)100日以上は毎日更新を続けていました。
今も、多少noteを留守にする日もあるけれど、わたしは紙の日記もつけているので、まったく何も書かない日はないです。きっとnoteをやめてもどこかに文字を

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「自分を愛せない人が他人を愛せるはずない」って、こういうことなんじゃないかな

他人の心に手を突っ込んで、ぐいっ、って向きを変えることはできない。

書いてみれば、もう当たり前もいいところなんですが。笑
でも、なぜだか生ものの人間関係においては、その大前提がすっとんでしまったりする。

他人の心に手を突っ込めないどころか、そうしようとすればするほど、相手の心は固くなる。これも書いてみれば、当たり前。

***

好きになったら、好きになったほうが「好きになってもらえるような自

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「不幸」は誰かのアイデンティティではないです。

「不幸」は誰かのアイデンティティではないです。

人間関係って、続くことが大切ってわけではない。必ずしも。
まあ、長く続いている関係があるとしたら、それはそれですばらしいなって思うんですが。
くっついたり離れたりするの、結構当然だと思っているわたしにとって、無理に関係をつなぎとめておこうとは思わないし、唐突につながりが濃くなる人がいても全然不自然じゃない。

でも、けっこう意図的に離れたほうがいい関係っていうのはあるし、がんばってくっつく努力をし

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癒しって、本来どうあるべきなのかな

癒しって、本来どうあるべきなのかな

今日は考え事する時間があんまりなかったので、昔の日記を転記します。

手書きでつけている日記なんですが。
2018年4月28日の日記の一部、「癒しについて」です。相手を助けたい精神の強かった時期について。

***

なんだかずっと、具体的な「好き」や「やりたいこと」が見つからないなって思っていたけど、その先の、もっと大きな「かなえたいこと、やりたいこと」はあるなって思った。それは「みんなを癒すこ

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僕らの世界には、すでに「オフライン」など存在しない(あるいは、「マトリックス」は今でも「幸福な悪夢」なのだろうか)

僕らの世界には、すでに「オフライン」など存在しない(あるいは、「マトリックス」は今でも「幸福な悪夢」なのだろうか)

1999年といえば、ちょうど大作映画の谷間にひっそりとウォシャウスキー兄弟(いや、今や姉妹でしたか)の「マトリックス」第一作目が公開された年です。時代は世紀末。7の月に恐怖の大王アンゴルモアが地球にやって来るとか来ないとかで、世間は大盛り上がり。ちょうどフィンチャー最高の傑作「ファイトクラブ」が公開された年でもあります(確かそうでしたよね)。そんな喧しく不穏な最中、当時はまだ無名だった監督作品とい

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謙虚と卑屈は違うし、だからこそ謙虚な自信家は存在する

謙虚と卑屈は違うし、だからこそ謙虚な自信家は存在する

そして謙虚で傲慢な人はいないけど、卑屈で傲慢な人はいます。

はき違えてはいけないと思うことは世の中にたくさんあるけれど、「謙虚さ」と「卑屈さ」はその中でもかなり重要なところじゃないかなと思っています。

***

一時期、「謙虚な自信家は存在するか」ってずっと考えていたんです。
生きるのには自信が大切だ、っていう言説と、謙虚に生きなさい、っていう言説があるじゃないですか。あれ、両立するのだろうか

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呼吸する、そして100日目のわたしは

呼吸する、そして100日目のわたしは

手に入れたかった。

自分の持っていないものがほしかった。周りの人が持っているものがただただ羨ましい。ひとりが持っていれば、それはみんなが持っているものになって。わたしだけが持っている何かはいつまでも見つからない。

痛みは時間でなくなっているわけではない。
擦りむいた傷も、削れた心も、それを治しているのはいつだって自分自身の力だった。それなのに、自分の努力を自分で褒めるのはそう簡単なことではない

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その関係性を整備しているのって、誰なんだろう

その関係性を整備しているのって、誰なんだろう

釣った魚にエサはやらない、じゃないですけど。
「いつも他人ばっかり助けようとして、身内や恋人のことは放っておく人」って一定数いる気がします。

かくいううちの母親もそのタイプでして。笑
外では果てしなく面倒見がいいというか、すべてのことを「わたしじゃなきゃダメなんだ」と引き受け、日々外を飛び回っているんですが、家のなかではなかなか、なんというか。外で引き受けたことをうちにもって帰ってきてわたしにや

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一枚のドレスが世界観を大きく変えた話(あるいは安易な共感がもたらす世界について)

一枚のドレスが世界観を大きく変えた話(あるいは安易な共感がもたらす世界について)

長い時間、人の書いた文章についてあれこれと考える研究をやっていた頃に、一つ気づいたことがあるんです。それはですね、「どんなにがんばって時間を注いでも、最後の最後のところで他人のことは全くわからない」ということなんです。もちろん、ある程度は時間を経れば統計的な積み重ねが経験となって、高精度の推論を作ることは出来ます。でもね、やっぱり他人はわからない。自分のことさえあまりわからないのに、他人のことなん

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