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「不幸」は誰かのアイデンティティではないです。

人間関係って、続くことが大切ってわけではない。必ずしも。
まあ、長く続いている関係があるとしたら、それはそれですばらしいなって思うんですが。
くっついたり離れたりするの、結構当然だと思っているわたしにとって、無理に関係をつなぎとめておこうとは思わないし、唐突につながりが濃くなる人がいても全然不自然じゃない。

でも、けっこう意図的に離れたほうがいい関係っていうのはあるし、がんばってくっつく努力をしてみるといい関係っていうのもある。

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周りを見渡してほしいんですけど。
周りの人、幸せですか。それとも、不幸ですか。

自分が周りの人とよくする会話を思い出してほしいんですけど。
幸せを味わう会話ですか。それとも、不幸を味わう会話ですか。

幸せかどうか、幸せを味わっているかどうかが大切というよりは、「不幸を味わっていないか」が大切だと思います。
愚痴とか、ストレスを発散するとか、なにかを解消するために口にだすとか、そういうのは別にいいんです。ガス抜きですから。ただ問題なのは、ガスを醸成するほうの「不幸を味わう」です。

不幸っていうのは、磁場みたいなものなんです。
人間、不幸が好きなんです。というか、ネガティブな情報のほうが餌になりやすい。感情を大きく揺らすことができるし、「ネガティブな感情のほうが共感しやすい」です。味わいやすいし、刺激的。
それでね、感情がたくさん揺れると、なんだか共同体意識みたいなのを強く持つことができるんです。不幸話を一緒にすると、仲良くなったような気がする。不幸を共有して味わっていると、どんどんその人との結びつきが強くなったかのように錯覚します。親友であるかのように錯覚します。

不幸は、磁場。
「一緒に落ちやすい」です。
端的に言うと。

これ、すごく危ないです。
この、不幸の磁場の中にずっといるとどういうことが起こるかっていうと
「わたしは幸せになってはいけない」
「わたしは(この人のために)不幸でいなければならない」
って思うようになってしまうんです。

不幸でいなければ、もうその人と一緒にいられないから。
不幸でいなければ、その感情を共有できないから。

***

不幸の磁場出身の人、いますか。笑
わたしは在住歴あります。今は全然違うけどね。

しかもね、当時はナチュラルに気付いてなかったです。磁場のこと。自分がそこにいるってこと。
それでも、ずーっと自分は幸せになっちゃいけないと思っていました。
「不幸なあの子を置いていけない」
「不幸なあの子より幸せになったら、あの子がかわいそうだ」
「わたしは不幸でなければならない」
そう思っていました。

冷静に見て見ると、なんだそれって思いますね。
でも、磁場の中にいるときは、それが”正しい”んです。自分とその友達を結び付けているものは、「不幸」だから。その「不幸」がなくなったら、関係性は消えてなくなるから。
それに気づいていないと、ただただ友達を失いたくないから、無意識に不幸でいようとする。

友達がいること自体がいいことなんじゃないです。
不幸に依存した友達関係なんて、なくっていいです。
振り返ってみてほしい。友達と自分をつないでいるものは何か。

***

その「不幸」をなくしたらつながっていられないような友人関係って、なんですか。
それに、なんの意味がありますか。

その友人の何が好きだったんですか。
友人だけじゃない、恋人も同じです。

びっくりじゃないですか?笑
そうか、相手の人間性をまるまる受け入れていたわけではないし、相手も自分の人間性まるまるを受け入れていたわけじゃない。
お互いに受け入れていたものは、互いの「不幸」だという衝撃。

***

共感能力が高い人ほど、気を付けたほうがいいです。
共感能力が高いならなおさら、不幸な人の中にいないほうがいいです。ぜひ、幸せに共感してください。幸せや美しさや、楽しさや喜びに。
世の中にはいます。ちゃんといます。思考回路が不幸ベースじゃないタイプの人。不幸酔いしないタイプの人。きちんと冷静に、世界を見ている人。

もし、不幸には共感できるのに幸せに共感できないとしたら、それは共感能力が高いんじゃないです。
「不幸が好き」なだけです。「不幸の磁場にいたい」だけです。「不幸吸着体質」なだけです。
目を背けたくても、自覚したほうがいいです。

断ち切れるのは、自分だけ。磁場のスイッチ切れるのは、自分だけ。
でも、不幸な人に囲まれたままスイッチを切るのは、とても難しい。
そういうときは、やっぱり離れたほうがいいです。
「自分は幸せになってはいけない」という思考があるとしたら、「でもやっぱり幸せになりたい」という意思もあるとしたら、少しずつでも付き合う人をかえていったほうがいいと思います。

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世界にはいろんな人がいます。
わたしは、みんないていいと思う。不幸大好きな人がいてもいいし、不幸大嫌いな人がいてもいいし。悲劇のヒロインがいてもいいし。概念として存在する以上、世界のどこかには存在するのが自然なことだと思ってます。なくす必要はないと思う。排除する必要もないと思う。

でも、自分がどうあるか選ぶのは、自分の自由。
不幸の磁場からそっと抜け出すのも、自分の自由。
特定の相手を変えるんじゃないです。自分が変わるし、自分が選ぶ。

もし縁があれば、また会えるから大丈夫。
「不幸」以外のつながりがあるとしたら、「不幸」から抜け出てもいつかまた仲良くなれるから、大丈夫。
「不幸」以外の人間性でつながれるほうが、よっぽど素敵じゃないですか?


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みんな、幸せになっていいんです。
不幸でいなくちゃいけない人なんていないです。不幸じゃなくなったら自分がなくなる、なんていうことはないです。これは断言します。
大丈夫。不幸はね、アイデンティティではないですよ。絶対に。

それに気付いたらもう、磁場には引っ張られない。どっしりと、むしろ自分がいい感じの空気清浄機になるし、パワースポットになります。笑

だから、ぜひ自分の意思で選んでほしいです。幸せになること。
勇気をだして。



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