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謙虚と卑屈は違うし、だからこそ謙虚な自信家は存在する

そして謙虚で傲慢な人はいないけど、卑屈で傲慢な人はいます。

はき違えてはいけないと思うことは世の中にたくさんあるけれど、「謙虚さ」と「卑屈さ」はその中でもかなり重要なところじゃないかなと思っています。

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一時期、「謙虚な自信家は存在するか」ってずっと考えていたんです。
生きるのには自信が大切だ、っていう言説と、謙虚に生きなさい、っていう言説があるじゃないですか。あれ、両立するのだろうか、って考えていて。

当時わたしは謙虚と卑屈の違いがよくわかっていませんでした。
そして、人生の大部分、わたしは卑屈だった。笑

すごく簡単に言ってしまうと、自分の目線がどこを向いているかの違いなんですよね。
謙虚さっていうのは、目線が外に向いている。
卑屈さっていうのは、目線が内に向いている。

謙虚であるということは、外側に学ぶべきことがたくさんあることを自覚している状態のこと。
卑屈であるということは、何を見ても「自分なんて」って、自分のことしか見ることができない。外側から学びを持ち帰るんじゃなくて、外と自分を比較して、「自分自分」になっている状態のこと。

これってものすごく違うんですよね。
謙虚であるとき、人の視野はとても広いと思う。
卑屈であるとき、人の視野はとても狭いと思う。

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なにかを突き詰めて成功している人っていうのは、突き詰めたその領域に自信を持っているけれども、なにかを突き詰めれば突き詰めるほど「学べることは外にある」というのを知っている。
だから、世界に対して謙虚であることができるんだと思います。自分のやってきたことには自信を持っているし、もっと広い世界から常に学ぼうとしている。

すごい人たちって、押しなべて謙虚じゃないですか?
まあ、誰のことをすごいって思うかは人それぞれかもしれませんが、何かを成し遂げた人たちって、みんな自分なりの美学を持っていて自信家に見えるけれども、なぜかすごく謙虚な一面を持っていたりして。

視野が常にとても広い。
視野が広い人は必然的に、自分自身を必要以上に落としたりもしない。主観と客観のバランスが上手にとれた状態で、自分のことを見ることができるから。今自分がどこにいて、何を積み重ねてきたかがわかるから。
主観から完全に抜け出すことはできないけれども、上手にバランスをとることはできる。

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自分のことしか見えていない人は、卑屈になるし傲慢になる。そこでついた自信なんていうのは、もっとすごい他者が現れたときに一気に崩れる。そしてまた、卑屈になる。

人間、結局自分のこと大好きですからね。自分にばかり目がいってしまうのは、しょうがないのかもしれないですが。
でも、どれだけ自分のことが好きで自分に興味があっても、自分ばっかりに焦点あててると、たぶん生きにくい。

そんなに、自分と世界を切り離しちゃう必要はないのにね。

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主観と客観のバランスの取れたところを、うまくつかんでいきたいですね。

いつでも謙虚に、自信を持って。



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