自分が作り出せるコンテンツは有限か

持って生まれたものを減らして生きているのか、何もないところから得て生きているのか。

「もう書くことがない」って、あり得るんだろうか。

わたしはもともと毎日更新は掲げていなかったのですが、期せずして(?)100日以上は毎日更新を続けていました。
今も、多少noteを留守にする日もあるけれど、わたしは紙の日記もつけているので、まったく何も書かない日はないです。きっとnoteをやめてもどこかに文字を書いているし、脳みそは毎日進んで行く。「もうこれ以上、自分の脳みそは進まないんじゃないか」って思ったことがないので、ネタが尽きてしまうという怖さに出会ったことはない。とりあえず、今のところは。

今のわたしが思っているのは、死ぬまでコンテンツは尽きないということと。とりあえず、死ぬまで自分はコンテンツ。でもいつ死ぬかはよくわからないな、っていうことです。

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人間ね、「何を通して世界を見てきたか」で、その世界が豊かになるんです。何を世界に見て世界をとらえてきたかで、その世界がどんどん豊かになっていく。
というか、もともと豊かに存在している世界が、徐々に「見える」ようになっていく。解像度が上がっていく。

たとえばね、小さいころから世界の「色」を中心に見て生きてきた人の「色」は、わたしたちが思う「色」よりも繊細で豊かで鮮やかなんです。世界の「音」を中心に見て生きてきた人の「音」は、わたしたちが思う「音」よりも命があって空気と時間と感情を含んでいるんです。
それを使って世界を見続けると、もっともっとその世界が豊かになっていく。

わたしは、識字のはやい子どもでした。
3歳のころには、文字が読めるというレベルではなく、すでに罫線の入ったノートを買ってもらってお話を書いていました。言葉や概念の認識が非常にはやかった。そして音楽家の父のおかげもあり、わたしの世界は「文字、言葉、概念」と「音」が非常に優位な世界になっていったんです。
それを使って世界を見れば見るほど、そこから見える世界の解像度が増していく。携帯電話のカメラ、こぞって開発するからどんどん性能よくなっていくじゃないですか。あんなかんじです。言葉や概念を使って世界を見れば見るほど、自分の言葉と概念はアップデートされて、より精緻な世界が見える。世界の音に耳を傾けて生きれば生きるほど、世界にはいろいろな音が溢れていることがわかる。わかるようになっていく。音の小さな違いが、鮮明にわかるようになる。


エピソードはね、いずれ尽きます。
以前も何かで書いたんですけど、時間と肉体は有限で、体を使って体験できることも有限で、日々の暮らしの中に「特別なエピソード」を生み出すって結構ハードルが高い。
でもね、自分の感性っていうのは、一生変化する。自分自身の精神って、一生変化する。世界の見え方は、一生変化する。その「点」で描写する。一瞬の「点」を切り取る。

同じエピソードが違った意味に見えるときが来る。「愛」っていう言葉がまったく違う意味に感じられるときが来る。
生きているとね、来るんですよね。いろんなものの見え方が変わっているのに気づくときが。本を読み返してまったく違う内容に感じる経験、誰しもあるんじゃないかと思うんですが。人生もおんなじですね。
そしたらね、そのときにもう一度、新しい文章は生まれる。まったく同じテーマでまったく違う文章が出来上がる。

わたし自身が「自分の精神をつかまえる」っていう文章の書き方をしている以上、とりあえず生きている限りは、ネタが尽きないんじゃなかろうかと思っています。今のところ。

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持って生まれたものを減らして生きているのか、何もないところから得て生きているのか。

冒頭にそう書きました。
でも、生み出すということは、自分を減らすことではないんじゃないかと思っています。わたしはね。何もないところから得るわけでもないと思う。

もともとあるものに、無限に気付いていくというか。

歩みを止めなければ、無限に、その先が見えるようになる。もうこれ以上細かくならないと思った網目が、どんどんどんどん細かくなる。
膨張する宇宙みたいにね。宇宙のことあんまり知りませんけど。笑

見える世界がどんどん変わっていくのだから、それを受け取った自分が、受け取った分で生み出すんじゃないのかな、と思うんです。コンテンツを。アートを。
世界をアップデートすることをやめてしまったら、そりゃ、表現できることはいつか尽きます。わりと簡単に尽きる。「これが答えだ、これ以上のものはない」って思って歩みを止めたら、それはそこで終わりです。でも、歩み続けていると、それは容易にアップデートされる。あんなに確信を持っていた事柄に、もっともっと先があって、笑っちゃうこともある。

まあ、毎日アップデートするのは結構つかれるので、途中で休んだりすることはもちろんあります。
でもね、ここがゴールだ、って思わない。とりあえず死ぬまでは、精神のゴールは来ない。

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何を表現するのだって、おんなじなんじゃないかな。文章だけじゃなくて。
だから、新鮮なうちに、表現したほうがいいと思う。その感情と感性をぐっとつかまえて。
別に毎日更新なんかしなくってもいい。もちろんできるなら、してもいい。でも、歩みは止めない。自分をアップデートすることは止めない。

何が重要かって、勝手に自分でゴールを決めないことなんじゃないかなって思います。いつも限界に熟した作品を作っているつもりでも、振り返れば青いんだから。


ま、まだそんなに生きてないから、死んでみないとわからないんですけど。笑
でもね、わたし、歩みは止めたくないので。
noteという場所か、はたまた違う場所でかは、わからないけど。地球のどこかで日々楽しみながら、感性と精神を進めていこうと思います。死ぬまで。



最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました! 意識低めなので、いただいたサポートは書籍代などにはならず、おいしいケーキや紅茶に消えると思います……(*´ω`*)♡