- 運営しているクリエイター
2022年11月の記事一覧
「ここから全ては始まっていくのだ」と思えばいい
「ここからが挑戦なのだ」
と、思うほうがいい。
「おしまい」のほうにばかり
目を向けていることもない。
目を向けていなくても、「すべてのこと」は、自ずと、必ずいつかは、終わっていくのだしね。
「終わっていくもの」は概ね
慣性でそのまま進んでいくことも多いし、
ならば
「そっち」ばっかり凝視していても
仕方ないような気もしてきたのである。
ここまでうまくいったことも、
うまくいかなかったこと
正解をつくるから不正解ができる
「全てが正解じゃなきゃ嫌」
で
「不正解がどうしても許せない」
というのなら、
いっそもう何も考えず、
「全部正解」にしてしまえ!と思う。
そもそも。
「正解」なんてなかったら、
「不正解」も存在しなくなるのだ。
「不正解の存在をどうしても許容できない」
という考え方は、やはり窮屈である。
――その窮屈さに耐えられる人だけが、
「正解」をどこまでも
追いかけ続けられるものなのかもしれない。
私が「自虐ギャグ」を使ってしまう理由
「謙虚」ではいたいが、
「卑屈」にはなりたくない。
……などと言っている割に。
私は「自虐ギャグ」を
好んで使ってしまう。
――いや~、しかし、
これだけは
見逃してもらえないだろうか。(笑)
わかっているのである。
「言われても
どうリアクションしていいかわからん」
ハイ、わかってます、わかります。(笑)
「言う側」から
その正解を言わせてもらえば、
「テキトーに流して」
「困るなら
「不快な感情」は自らの感覚を狂わす
まず、ごく一例として。
正反対であるはずの
『慢心』と『卑屈』は、
意外と同居しやすい。
心というのは
「バランス」をとりたがるものだと思う。
なので、
ある部分で「卑屈」になればなるほど、
まるでそれを埋め合わせるかのように、
違う部分でどうも
「慢心」になりたがる、
そんな習性もまたある気がしている。
(もちろんそうじゃない人もいる。
ひたすら卑屈、
あるいは、ひたすら慢心、
そういう人
「うらやましいもの」が「本当に求めるもの」でもない気がする
本日は
「私だけのメリット」
――つまりは、
「こんなことにメリットを感じるなんて
自分だけかも?」
という
「オリジナルメリット」
(と、勝手に名付けてみました。笑)
(はじめはこちらをタイトルにしたのだが、
内容がわかりにくいので変えました。)
の話である。
昨日の記事内容は、
言いかえれば、
「ブスッとした顔から始めると、
再び
ブスッとした顔で帰結することになるよ」
という
自分への警告