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「うらやましいもの」が「本当に求めるもの」でもない気がする

本日は
「私だけのメリット」
――つまりは、
「こんなことにメリットを感じるなんて
自分だけかも?」
という
「オリジナルメリット」
(と、勝手に名付けてみました。笑)
(はじめはこちらをタイトルにしたのだが、
内容がわかりにくいので変えました。)
の話である。


昨日の記事内容は、
言いかえれば、
「ブスッとした顔から始めると、
再び
ブスッとした顔で帰結することになるよ」
という
自分への警告の話だったわけであるが。

案外、
「オリジナルメリット」って
せっかくの
「オーダーメイドメリット」
とも言えるのに、
自然に出来上がっていたりもするので、
気づきにくい
「無意識メリット」だったりもする。
――これ、もったいないことである。

(自分が既に手にしている
「メリット」に気づかずいると、
私みたいな者は、
「不満」がその分溜まりやすく
不機嫌の元にもなりかねない
――というのは
昨日の記事の繰り返しになるが。)


そもそも。

ついつい
「みんなが欲しがるものが、
自分の欲しいもの」
みたいな、
子供の頃のような感覚で
「自分にとってのメリット」を
(「自分にとっての」なのに)
よく考えもせずに
設定してしまったりもまたするけれど、
それについても、どうも
「……違うのでは?これは」
と、最近私は感じることも多い。
(人生の残り時間も
一日の自由時間も、
少なくなってきたので、
私なりにいろいろ「精査」しているのだ。笑)

例えば、
それが手元に来て、
しばらくしてみると、
「これは自分が
一番に求めているものではないし、
これのせいで犠牲にしていることのほうが、
本来は自分にとって
どうしても欲しいもののような気もする」
なんて感じることもあるわけである。


と、いうようなことから、
そういう「うっかり勘違い」を減らすために
自分の「うらやむ」から求める色々については、
私は疑うようにもしている。

「うらやましい」は
「本当に欲しいもの、求めているもの」を、
見誤らせる感覚だと、
私は思っている。

――「うらやましい」と「欲」は
どことなく似ているからである。
(重なる部分が生じる可能性はあっても
しかし、よくよく考えると
辿ればその二つは
元々は「別物」のはずである。)

人と比べないで、
「自分自身が何を求めているのか」
(それは人によって違うはずだから
「誰かが持っているもの」
という起点から考え始めるのは、
そもそも違うはずだということ。)
胸に手を置いて考えないと、
「無駄」も多くなって、
何だかもったいない
と私は思うのだ。

ところで。

「元気で健康な欲」が機能している限り
「尽きせぬように欲は湧いてくる」
仕組みなわけなので。

(と、仮定するなら、)
「欲しいものが片端から全て手に入る」
というようには
「どうしてもならないようにできている」
わけであり。

それを鑑みると、
「自分が本当に求めるもの」、
つまり
「何を求めていくか」
「既に手にしている何を守っていくか」
については
精査する必要も出てくるはずだ。


「今、自分の手元にあるもの」。
――その中でも特に
「苦労して手に入れたわけでもないもの」って
案外、大事なものでも
その大事さ、実は貴重であることに
気づきにくかったりもする。

そしてその中に割とあることの多い
「オリジナルメリット」こそが
「オリジナル人生」を形づくっていくわけであるし、
――そう、他の誰でもない
「自分の人生」なのだから、
他人に見せつけるための「見栄人生」ではなくて、
(「見栄」って張っても張っても
「欲」と同じで限りがないしね)
まずは自分を満足させるための
(満足を既にしている部分については
それを維持するための)
「自己満足第一主義人生」のほうが、
何となく、私の中で、
後悔は少ない気がするなあ、と、
何となくこのところ
そんな結論に達している次第なのである。







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