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私が「自虐ギャグ」を使ってしまう理由

「謙虚」ではいたいが、
「卑屈」にはなりたくない。

……などと言っている割に。

私は「自虐ギャグ」を
好んで使ってしまう。

――いや~、しかし、
これだけは
見逃してもらえないだろうか。(笑)


わかっているのである。

「言われても
どうリアクションしていいかわからん」
ハイ、わかってます、わかります。(笑)


「言う側」から
その正解を言わせてもらえば、
「テキトーに流して」
「困るなら苦笑いでもして」
いただけたらありがたいです。
(ホントに。)

「自虐」に出来るその内容は、
胸に手を当てよく考えてみれば、
そもそも、自分の場合、
実はそんなに気にしてない気がします。
(笑われても大丈夫なことしか
実は自虐にしていない気もする、
ということ。)


あと、よく言われることのうち
「そんなことないですよ~、って
リアクションしてもらいたいだけでしょ?」
なんてのがありますが、
本当にそういうわけでもないです。(笑)



それにしても。

「自虐ギャグ」を
つい多用してしまう、
どうしても便利づかいしてしまう、
その理由はなんだろう?

(……暫し考えてみた。)

(……。)

まず、
もう長年に渡って使ってしまっているので、
「『自虐仕草』が擦り込まれている」、
で、そうなると、
「慣れていて使いやすい」
というのはあると思う。
(簡単に笑いが作りやすい、
……と、
自分で思いこんでいるフシがある。笑)


あと、多少
「自分の小さなコンプレックスは
笑いにしてしまったほうが、
『真剣な重たい卑屈さ』に
自分自身でならなくていいから」
というのもあると思う。



でも最大の理由は。

「何でも言いやすい人」
「近づきやすい人」
みたいに思われたい、
ということがあるのかもしれない。

私は元々、
見た目「男」で
「図体もデカい」(タテもヨコも)、
で、更に加えて最近では
「歳も食っている」わけである。

黙っていると、それだけで、
「近づきにくい」
下手すると
「ふてぶてしい」と
見られかねない。

――そう、よく考えてみると、
「ほっといても勝手にズケズケ
ものを言ってくるタイプ」
の人には、
私はそこまで「自虐ギャグ」を
使わないかもしれないなあ、と。

で、逆に、
自分自身が「極度の人見知りタイプ」なので、
自分と似ているタイプの人の気持ちは
わかる(つもりだ)から、
少しでもそこに
「高い壁」ができないように、と、
「私のことは多少
バカにしても大丈夫、安全ですよ」
みたいな看板を出すのかもしれない。
(でも「実際に本気で人をバカにしてきそう」なタイプには
多分その看板は掲げない気がする。)

と、この記事をまとめて
ふと気づいたのは。

「自虐ギャグ」を言わない人には
「自虐ギャグ」をつい使ってしまう人間の気持ちは、
なかなか想像つかないだろうな、
ということであり。

これ、逆から見れば
別件については、
「私自身が想像もできない理由」
ってのもまた、
様々あるんだろうな、ということであり。

ホント、
「当事者になってみないと、
その行動の理由とか気持ちは
なかなか想像つかないものだ」
と思うので、
安易な「良い悪い」の審判は、
しないほうがいいよな、
なんてことも考えた次第である。