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物部守屋をすこれ!

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これであなたも物部守屋マスター! 物部守屋を愛でろ!!守屋しか勝たん✊
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【偉人調べてみた】物部守屋【二人目】

【偉人調べてみた】物部守屋【二人目】

物部 守屋(もののべ の もりや)は、古墳時代の大連(有力豪族)。物部尾輿の子。  ――引用元:Wikipedia

【物部守屋が生きていたとされる時代】
時代は"古墳時代"~"飛鳥時代"。古墳とは、お墓の事です。前方後円墳と呼ばれるお墓が盛んに制作されるようになります。日本に仏教が渡来し、仏教派が現れ始めました。守屋は、「他国より日本の神を信仰するべき!」と立ち上がったのです……?

【物部守屋

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聖徳太子ゆかり「大聖勝軍寺」物部守屋VS蘇我馬子・厩戸皇子連合軍の古戦場跡【大阪八尾シリーズ】【中河内シリーズ】

聖徳太子ゆかり「大聖勝軍寺」物部守屋VS蘇我馬子・厩戸皇子連合軍の古戦場跡【大阪八尾シリーズ】【中河内シリーズ】

「だいせんしょうぐんじ」と読む。本尊は植髪太子こと「聖徳太子像」で、聖徳太子建立三太子の一つ。 叡福寺の「上の太子」、 野中寺の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれている。

変更履歴
2024/03/11 初版

▼HP▼アクセス大阪府八尾市太子堂3-3-16

▼祭神・本尊と脇時如意輪観音

▼見どころ 本尊は植髪太子こと「聖徳太子像」で、聖徳太子建立三太子の一つ。 叡福寺の「上の太子」

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今さら知った「四天王寺」の事

今さら知った「四天王寺」の事

本来の読書はそっちのけで、相変わらず大阪の郷土史「あしたづ」をちびちびと読んでいる毎日です。

と言うのも、サークル仲間のチコさんが、お父様が郷土史家であられるので、実家にある「あしたづ」のストックをごっそり私に貸してくれたのです。

図書館で借りたら2週間という期限があるので、気が落ち着かないので助かります。

いや、普通の小説であるなら、十分読める。下手したら一日で読めてしまって物足りないぐら

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第1682回 寺つつきの正体

第1682回 寺つつきの正体

https://www.google.co.jp/amp/s/www.excite.co.jp/news/article-amp/Labaq_51823732/より引用のドングリキツツキ(体長約20㌢)

キツツキと言う名は総称でありますというのが定説で、個別の名称はアカゲラとか、クマゲラ、コゲラなどと、後ろに〜ゲラが付きます。しかし、これは現代の呼び方で、昔は大雑把な呼び方をしていました

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隠れた名士、聖徳太子の側近で参謀 始皇帝の子孫 秦 河勝(はたの  かわかつ)

隠れた名士、聖徳太子の側近で参謀 始皇帝の子孫 秦 河勝(はたの かわかつ)

聖徳太子と言えば、誰しもが知っている有名な人物。その側近として、活躍した人物が秦河勝です。
彼の一族は、漢人系🇨🇳の渡来人で政治難民💨として、朝鮮半島🇰🇷を経由して日本🇯🇵に渡来、応神天皇👑の時に受け入れられました。
また、「秦の始皇帝👑の子孫👶🏻」弓月君の一族が、彼の一族でもあります。
山城国(京都府)の太秦を本拠地とした秦氏は、養蚕🐛や土木技術🪚に優れ、淀川🏞️の治

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石の宝殿と渡来人。兵庫県高砂市。リアルグーグルマップをゆく。

石の宝殿と渡来人。兵庫県高砂市。リアルグーグルマップをゆく。

 古本出店をしているデイリーマザキ氏が「行きたいところがある」というので目的地も知らされないまま同行した。電車で2時間ほど揺られてついた場所は兵庫県高砂市のJR宝殿駅というところであった。名前からして何かしらの歴史があるに違いない。

 駅から目と鼻の先に「本の香り」というブックカフェがあり、デイリーマザキ氏の目的地はこの店であった。この地域の本の需要を一手に引き受けているような素敵なカフェで、我

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古代の姿を残す亀井堂石垣

古代の姿を残す亀井堂石垣

普通は見ない亀井堂の石垣。この石垣の素朴でいて強固な姿に気がついて、亀井水の歴史への確信がうまれました。

短歌を読めば、創建時から平安時代末までお堂はなかった。すると、この石垣は亀井水の重要な構成要素となります。

そこから、亀井水の幾何学的設計の意図が分析できる。

石垣の上から見下ろすと、どうなるか。
東の朝の太陽を礼拝する水鏡。

聖徳太子信仰のなかで、幼児の姿である南無太子像は重視されて

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四天王寺創建に関する謎の人物・トミノイチイ

四天王寺創建に関する謎の人物・トミノイチイ

見出し写真は、イチイの実。
#蝦夷 、#ヌタリ柵、#トミノイチイ

イチイの木です。一位、櫟、という漢字をあてますが、日本書紀では、人物名として、赤檮、あかとう、と書いてイチイと読ませています。檮は切り株。イチイの切り株は、写真のように赤い。

さて、その人物、迹見赤檮、トミノイチイが問題です。

蘇我馬子と物部守屋の対立が、ぬきさしならない状況に悪化するなか、用明天皇二年、守屋は河内の自領に退き

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物部守屋を殺して!が日本仏教の始まり? 四天王寺は物部の民が維持してきた

物部守屋を殺して!が日本仏教の始まり? 四天王寺は物部の民が維持してきた

四天王寺の縁起で、必ず語られるのが、蘇我物部戦争です。

物部氏は、仏教に反対し、それが原因の、一種の宗教戦争として語られます。

若き耳皇子(聖徳太子)も蘇我の一員として参戦し、物部守屋討伐を祈願し、四天王の小像を刻み、戦に勝てば寺を建立すると誓った。

守屋一族郎党に加えられた殺戮の悲惨な結末は、仏の慈悲のかけらもないものとなります。

敵を殺す誓願が、この国の仏教の始まりだとするならば、実に

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物部守屋という英雄の一人

物部守屋という英雄の一人

はじめに物部守屋という人物をご存知でしょうか?
一般に日本書紀の記述から仏教の導入に反対して聖徳太子・蘇我馬子と対立した人物と理解されております。この対立を丁未の乱と呼び、ここで守屋は矢で射抜かれて命を落とします。
物部氏のトップであった守屋が亡くなることで物部氏の権力は堕ちていったとも理解されています。

波久怒神社の伝承しかしながら、守屋はここで生存しており東へ逃れたという伝承が残っています。

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仙台藩片倉家は物部守屋氏末裔

写真は宮城県南刈田郡に聳える白石城である。

刈田郡の刈田は地名研究家によれば古語はカルタといい「鉄の産するところ」を意味するともいう。

この刈田郡はわが故郷“和賀氏”の最初の所領地でもあった。

和賀氏が北へ所領替えしたのは、きっと更なる①鉱物資源と②名馬と③雪国の美女“和賀小町”\(^o^)/を求めたに違いない。

ちなみにわが母方の先祖は中世、和賀氏の守護神“日本武尊&白鳥大明神”を現蔵王

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「表」タケミナカタ神話「表」

「表」タケミナカタ神話「表」

▼プロローグ タケミナカタ(建御名方命、諏訪大明神)の物語は古事記における出雲の国譲りの段に語られます。
 この神様は謎の多い存在で古代から今に至るまで多くの考察を生んでいます。
 今回はタケミナカタが何者であるかは考察しません。
 物語としてのタケミナカタ神話のメッセージ性に触れていきたいと思います。

▼導入神話とはなんでしょうか?様々な捉え方があると思います。
まずはいくつかの捉え方のケース

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「裏」タケミナカタ神話「裏」①日本神話は日本の神話ではない

「裏」タケミナカタ神話「裏」①日本神話は日本の神話ではない

▼はじめに今回からタケミナカタ神話の裏側を覗いていきたいと思います。

そのために第一回目は「そもそも日本神話とは何なのか」という点から「鎖」を解いていこうとおもいます。

おそらく否定したくなる方もいるであろう内容となっています。
それでも目を背けずに見ていただけると幸いです。

※下記の記事は「表」になります。「表」を見なくてもわかるようにこの記事以降の「裏」を書いていくつもりですが私個人とし

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「裏」タケミナカタ神話「裏」②伊勢津彦と[氏]という鎖

「裏」タケミナカタ神話「裏」②伊勢津彦と[氏]という鎖


▼はじめに
タケミナカタ神話の裏側を覗いていくシリーズ、第ニ回目はタケミナカタと同一視されることもある「伊勢津彦神(イセツヒコノカミ)」という存在についてフォーカスしていき、その中で~氏、~族という「鎖」も解いていけたらと考えています

※第一回はこちらから。

※下記の記事は「表」になります。「表」を見なくてもわかるようにこの記事以降の「裏」を書いていくつもりですが私個人としては見ていただくこ

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