会津藩士「山本覚馬」の生涯 ~ 同志社英学校創設
やがて覚馬は新島襄のキリスト教主義の学校を創りたいという考えに共感して行く。
覚馬は戊申戦争後京都御所の北にある薩摩藩邸のあった土地を手に入れていた。
この地に覚馬はそれまで禁教であったキリスト教を受け入れ明治8(1875)年同志社英学校(のちの同志社大学)を開校する。
大学の礼拝堂には学校設立に貢献した覚馬の肖像画が飾られた。
日本古来の学校ではなく西洋のことを教える学校を早く創りたい。
覚馬はそれが西洋文化をいち早く受け入れ日本の産業・経済発展に活かして行く