四天王寺創建に関する謎の人物・トミノイチイ
見出し写真は、イチイの実。
#蝦夷 、#ヌタリ柵、#トミノイチイ
イチイの木です。一位、櫟、という漢字をあてますが、日本書紀では、人物名として、赤檮、あかとう、と書いてイチイと読ませています。檮は切り株。イチイの切り株は、写真のように赤い。
さて、その人物、迹見赤檮、トミノイチイが問題です。
蘇我馬子と物部守屋の対立が、ぬきさしならない状況に悪化するなか、用明天皇二年、守屋は河内の自領に退き戦の体制をとる。中臣勝海は守屋に協力するため、自宅で、彦人皇子と竹田皇子の二人の有力皇位継承者を呪い殺そうとまじないをしかける。
ところが、うまくいかない、と見た勝海は、なぜか彦人のもとに寝返ろうとする。
そこに、迹見赤檮が現れて、勝海を切り殺す。
赤檮の最初の登場の場面です。
そして、蘇我対物部の戦いの火蓋かきっておとされる。
蘇我は苦戦する。今度は、若き聖徳太子が呪いの主役となる。すると、やはり、迹見赤檮とその一族が現れて、守屋とその一族郎党を壊滅する。
四天王寺の創建縁起として必ず語られる物語ですが、仏教寺院が、人殺しの呪いにより創建されたという説話は、すごい違和感を感じます。
ともあれ、今は、迹見赤檮について考えましょう。
呪いがあれば、登場する、まがまがしさ。この人物は何者でしょう。
すこし、時代をさかのぼります。少年聖徳太子が活躍する話に、蝦夷の集団移住があります。
敏達天皇十年、581年、東国の蝦夷が大集団で移住してきました。その首領たちと交渉したのが、まだ八つの幼い聖徳太子であった。少年の人徳に畏れ入った蝦夷たちは、敏達天皇に従属の誓いの儀式を、川のなかでおこなう。
その、少年聖徳太子と話し合った蝦夷の首領の名前が、綾糟、あやかす、であった。
綾糟と赤檮。あやかす、あかとう。
糟は米ぬかなどののこりもの。
檮は切り株、木ののこりもの。
同一人物か近親者ではないか。
つまり、蝦夷の軍事力を味方につけた、蘇我が守屋を圧倒した。
敏達天皇に忠誠を誓った蝦夷が、なぜ蘇我に味方したのか。大后である推古の存在が大きな要因ではないか。女性信仰、女帝の時代が幕をあけた背景には、蝦夷の軍事力があるのではないだろうか。
さて、あたかも物部守屋を撃つことが、四天王寺創建の動機と語られてきました。しかし、四天王寺創建の労働力となり、寺院経営の力となったのは、物部の民でした。
守屋個人の敗北と、四天王寺創建の意図は、必ずしも結びつかない。
いちい、というのは高貴な名前です。一位ですから。いちいの木は、寒冷な地に育ちます。畿内の高山地帯、飛騨など。北海道では街路樹として利用されます。木質はしなやかで、アイヌは弓に用います。この点も、迹見赤檮が弓の名手であり、おそらく蝦夷の首領であった推理と結びつきます。
いちいの実は美味だそうですが、すこし毒があり、食べ過ぎてはいけないそうです。
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