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40歳のキャリアデザイン最終章 今年は「岐」な一年
もうすぐ2023年が終わる。
結構濃い1年だった。自分なりの今年の1年を象徴する漢字一文字は
岐
なのではないかと思う。
辞書には「わかれる。ふたてにわかれる。ふたまた。えだみち。」とある。
まさに、人生の岐路という1年だった。
8月に齢40歳を迎えた。
仕事では4月から別団体に出向になった、
春先までそこそこ順調だったランキングも、7月にコロナを患ってから絶不調に陥り半年近く経った今でも本
宇治のカメムシ、丹後に散る
今、全国的にカメムシが大量発生しているらしい。
虫といえば、夏が暑すぎて「夏の虫」と言われるたとえば蚊なんかも、少し涼しくなったころに発生すると近年感じる。
虫にとってもそれほど暑い夏なのだ。人間にとって生き辛くないはずがない。家で大人しくしておくべきだ。
そんな9月ではあるが事実上の夏の日に、京都府北部の丹後半島で60kmを走ってきた。
前日はラン仲間宅に泊めてもらった。
その歳に、この大会
40歳のキャリアデザインその3 ドラフト(漂流)の功罪
いつの間にか40歳になってしまった。
当然何も変わらないけど、やはり焦燥感は増した。
ただ焦っても仕方ないので、地道に投稿を続けていきたい。
さて、前回は、自分のキャリア・アンカーは「奉仕・社会貢献」という判定が出たということを書いた。
今、地方公務員を仕事にしているが
憲法にも「公務員は全体の奉仕者」という規定があるので、そういう意味では適職であるのかと思う。自分でも「合っているな」という感
40歳のキャリアデザインその2 キャリア・アンカーを探れ
40歳を目前に控えた中で、「自分は何がしたいか」を全く答えられなかったことにショックを受けるが、「それは自分が何もしてこなかったのではなく、してきたことを総括することを怠ってきたのだ」と開き直り、改めて自分を振り返り、将来の展望を描こうと決意した。
というのが前回までの内容。
人生の節目は苦しいもの、という言葉を聞いたことがあるけど、偶然にも40歳になる時期に、こんなに苦しい思いができることは
40歳のキャリアデザインその1 39歳のショック
少しだけ、ランニング記事を離れる。
とは言っても、走るのをやめるわけではない。
他ブログからnoteに移行してからは、ランニングの記事ばかりを書いてきた。とはいっても、月1くらいのペースなんだが。
まぁ、詳細は後述するとして、ここに至った経緯を書きたい。
私はあと1週間で40歳になる状況で、なんだかんだ言って今までのことを振り返ったり、将来のことを考えたりをなんとなくしてきたつもりだ。
たが、
7月の挫折、8月の決意
さすがに凹んだ。
ようやく参加標準タイムを切ってエントリーした京都選手権10000mだったのに、酷い体調不良で危険せざるを得なくなった。
30代最後の個人レースとして位置づけて、季節的に記録は狙えないとしても、記念レースとしてかなり楽しみにしていただけに、悔やまれてならない。
こういう時は、何とか良い風に考えるしかない!
そうだ!ランニングの神様がこう言っているに違いない。
「お前にとって、
丹波篠山ABCマラソンへの山あり谷あり軌跡を語る
3月5日に第43回丹波篠山ABCマラソンを走りました。
結果は、2時間26分35秒で準優勝
30kmあたりから、ふくらはぎが攣りはじめたものの、それには何とか耐えることができました。
後半も何とかペースを維持していましたが、40km手前から軽い熱中症なのか、腕が痺れるようになり40km越えで大きく失速し、自己記録更新を逃しました。
最後の失速は悔やまれるものの、そこを除けば自分のペースをしっか
大阪ハーフマラソンで生涯ベストが出た
先日1月29日に開催された大阪ハーフマラソンにて、1時間08分04秒の記録が出ました。
5kmごとのラップは
16'01"→16'00"→16'04"→16'17"→3'42
と、特に最後の最後で失速してしまったせいで大目標の67分台を逃したというのはとても悔しいものの、学生時代も含めての生涯ベスト記録を更新できたことは非常に嬉しかったです。
コンディションとしては、この季節としては温かい方
2022年→2023年の走り方
新年、あけましておめでとうございます!
今年も新年一発目のランニングは、泊まっていた実家から夜景スポットでもある将軍塚への初日の出ランでした。
日の出って、心が洗われる、というか煮沸消毒される感じがしてよいものですね。
正月に関わらず、迷ったときは日の出を見に行くのがよいかもですね。
さて、先日11月の福知山マラソンのことを書き終えたばかりですが…
あまりに長くなってしまいました。
仲間から「