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だが「僕にも」情熱はある

久しぶりの投稿になった。
昨年度のまとめもろくにせずにいた。
今さらタイムは掲載しないけど、昨シーズンは10000m・ハーフマラソン・フルマラソンで自己新記録を更新する、とても良いシーズンとなった。
30代ラストイヤーだったので喜びもひとしおだった。

そのことを、所属チームの太陽が丘JCに表彰してもらって、12年間使い続けて文字が剥げたユニフォームの新しいものを頂いた。
これを励みに、40歳となる今年度もさらなる記録向上を目指して…と、思っていた矢先に思わぬ環境の変化があった。

勤め先の宇治市役所から、期間限定で京都府庁に出向となった。それも、全く経験のない農林関係の部署への出向だ。
4月1日からだったので、ちょうど1月が経過したわけだが、もう頭の中はゴミ屋敷ぐらい新たな情報で散らかっている。
1月で何度仕事の夢を見たことか。それも悪夢とかではなく、会議とか報告とかの「日常」の夢、それくらい頭の中に溢れているのだろう。

出向のことを内々に聞いた当初は、「忙しくなって、もう走れないかな」と思っていたが、実際そこまでではないようだ。
とはいえ、慣れない仕事で、かつ経験を求められている出向者への「サービス」として仕事を盛ってくれているので、忙しくなっていくことは免れないだろうなということが徐々に分かってきた。

こういう状況の中で大切なのは、現場に馴染み仕事を覚えるために「大いに流され、振り回されること」と、その中でも自分の軸をしっかり守ることのバランスだと思っている。
現に、かつて出向を経験した同僚からは「自分は出向先に合わせようとしすぎてしんどくなった。もっと自分の色を出すべきだった。」という核心を突いた助言をもらった。

大袈裟なようだが、僕にとって「自分の軸を持つ」ことは、「走り続ける」ことに象徴される。
ちゃんと走り続けることができれば、後は大いに振り回されることで、しっかり成長していけるのではないかと思っている。

「僕は何のために走るのだろう?」

これは30代半ばに仕事にもランニングにも行き詰まりを感じていた頃、自分に何度も問いかけていたこと。
記録のため?順位のため?誰かに勝つため?
どれも間違いじゃない。大いなる「励み」になる。
だけど…それを目標、つまりゴールにするには、経験上あまり良い方向にならない。
かつてサブ2.5をひたすらに目指していた時期があって、それが達成された(されてしまった)ときに色々見失ってしまった。
そのあたりの経緯は、かつてのアメブロにつらつら書いている。

話を戻して、なぜ走るのか?

それは、もはや今の僕にとって走ることは生活の一部で、走ることで今の僕が作られているから。
誰かと比較するのは控えたいけど、たとえば隣に全く走っていない僕がいたとして、そいつより走っている僕の方が、間違いなく魅力的だし、仕事できるし、モテると思う。

仕事のことを思い返す。

僕は新卒である企業に就職し、3年半くらい働いた後に仕事できなすぎて実質クビみたいな形で退職した。
その後、何か仕事しなくちゃ…という状況で、宇治市役所の就職試験があると知り、毎日怒られていた仕事生活の反動で一人で勉強する時間が「楽しい」と感じられて、僕なりに猛勉強した結果、割と短時間で再就職することができた。

そういう形での再就職だったので、正直「この職場で何がしたいか」ということは当時はほぼなかったんだけど、「自分は一度負けた人間だから、今後はちゃんと仕事したい」という気持ちだけはあった。
そして、その気持ちは見事に裏目に出た。仕事そのものは頑張ってこなしていたけど、余計なことばかり言ってしまって人間関係を上手く築けずに、なかなか孤独な思いもした。

そんなときの「逃げ道」がランニングだった。
職場以外に人間関係が築ける場としても助けられたし、記録的な結果が伴いだしてからは職場でも「走るの速いんやね」と言ってくれる人も少しずつ増えてきて、事態は少しずつマシになっていった。

で、一時期は「自分は走ることを人生の中心にしよう」と思ったこともあって、仕事は「それなりにこなせばいい」と思ったこともあった。
だけど、そうなると自分の持ちタイムがかなり陳腐なものに思えてしまった。
当時、2時間半を切って、市民ランナー界では「一流の仲間入り」みたいに言ってくれる人もいたけど、当然ながらプロとして食っていけるようなタイムではない。
「サブ2.5…だから何なん?」という自問自答が止まらなかった。

自分はこのままではいけない。
そう思って、ある時に仕事もちゃんとしようと決意した。
幸いにして、コツコツ仕事を積む中で、そして多くの優秀な上司や先輩方に振り回される中で、亀仙人の修行のように知らず知らずのうちにスキルが上がっていたとは感じる。
「断れない性格」ゆえに大変な思いもたくさんしたが、それゆえにレベルアップできた側面もある。そのあたりは、その人なりの「バランス」としか言えないけど、チャレンジすることって、ものすごく大切だ。

という感じで泥臭く駆け抜けた30代。
あと数ヶ月で40歳を迎えるわけだけど、「自分はまだまだ」という気持ちは全く衰えていない。
悪い意味では自己肯定感の低さということになるけど、良いように言えばあくなき向上心ということにもなる。
本気で自分はまだまだ足りないと思うし、本気で自分はまだまだ伸びると思っている。

出向前に、6年間一緒の部署で働いた上司が、ありがたいことに異動する僕に手紙をくれた。
そこには、僕のことを端的に表す一言があった。

ネガティブだけど前向き

嬉しかった。
付き合いが長いだけあって、本質の部分をわかってくれているなって思った。

今、「だが、情熱はある」というドラマが放送中だ。
オードリーの若林さんと、南海キャンディーズの山里さんの自伝的ドラマ。

https://www.ntv.co.jp/daga-jyounetsu/

2人の本も読んだし、2人の最後のユニットライブ「明日のたりないふたり」も配信で観た。
そしてラジオ番組「オードリーのオールナイトニッポン」をもう7年くらい聴いていて、10周年の武道館ライブも現地で見た。

ネガティブだけど前向き

こういうロールモデルはなかなかいない。
ポジティブで前向きな人やネガティブで後ろ向きな人はたくさんいるけど。だから、僕のロールモデルはこの2人なんじゃないかって、ちょっと本気で思っている。


まとまりもないまま長くなった。

結論としては、せっかく貴重な経験の場をもらったので今の仕事にしっかり取り組む。
そして、何とか時間も作れそうなので、家庭とも上手く調整しながら走ることもしっかり取り組む。(詳細のイメージも固まりつつあるけど、それは改めて)

たくさん迷った日々を経て、間もなく40歳を迎える。
今の時点で、自慢できるスキルや能力や実績があるわけではない。

だが、僕にも情熱はある!
・・・なんて言ってみよう。

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