40歳のキャリアデザインその3 ドラフト(漂流)の功罪

いつの間にか40歳になってしまった。
当然何も変わらないけど、やはり焦燥感は増した。
ただ焦っても仕方ないので、地道に投稿を続けていきたい。

さて、前回は、自分のキャリア・アンカーは「奉仕・社会貢献」という判定が出たということを書いた。

今、地方公務員を仕事にしているが
憲法にも「公務員は全体の奉仕者」という規定があるので、そういう意味では適職であるのかと思う。自分でも「合っているな」という感覚もある。

では、自分はそのあたりのことを考えて、今の仕事を選んだのかというと、全くそうではない。
また、かなり多くの人(内部も外部も)が言うように、「公務員=安定」という印象は強いけど、安定を求めて今の仕事を選んだかというと、それも違う。

では、なぜ今の仕事を選んだかというと
「食べていくため」だった思う。
もう少し経緯を細かく言うと、今の仕事の前に約3年半、全く別の仕事をしていたけれど、仕事ができなさすぎて実質クビになる形で退職し、「何か仕事しなきゃ」ということで試験を受けて(そこは結構頑張って勉強したけど)就職に至った。

ではでは、前の仕事をなぜ選んだかと言うと
就職活動期になっても自分が何の仕事をしたいかが分からずに、そんな中で参加したその会社の就職説明会で聞いた経営者の話に感銘を受けたから。…うーん、若い(笑)

そう。その前を振り返ってみても、自分が将来何をしたいのかということを中学生以後、全く描けていなかった。
それはもしかしたら、イケていない10代を過ごして、自己肯定感が非常に低く、視点を外に向ける余裕がなかったのからなのかもしれないが。

というわけで、自分が何をしたいのかということを考えずに仕事に就いたわけだけれど、悪いことばかりでもなかったと思う。
なぜかと言うと「こんなはずじゃなかった。」が全くなかったということ。
同じ職場に「こういう仕事がしたい」と目標を持って入ってきた人が「自分がしたい仕事はこうじゃない」という姿や、安定を求めてきた人が「こんなに忙しいと思わなかった」と落胆する姿をたくさん見てきたけど、僕には全くなかった。

さらに、前職での失敗経験から「人生を取り戻すために、ちゃんと仕事がしたい」という気持ちは強く持っているので、自分が配属された部署でやるべきことを猛追できるというところもあった。
経理、保健福祉、農業と、前までの経験が活かせないような人事異動を経てきたけど、その部署で最善を尽くすために邁進できるというのは、ひとつの強みだと思う。

このマガジンのタイトルは「40歳のキャリアデザイン」だけど、「デザイン」の反対は「ドラフト(漂流)」だという。
詳しく知りたい方は、こちらの書籍へ。

本の受け売りになるけど、
「ドラフト」つまり流されること、これは一概に悪いわけではない。
こだわりがないから、受け入れられるものの範囲が広い。こだわりがないから、思わぬ方向に行き着く余地があり可能性が広がる。
現に、何もわからない仕事にコツコツ取り組み事によって、少しずつ理解が広がり、やりがいを見出したことも少なくない。

しかし、しかしである。
この生き方には限界があるということを、強く感じている。まさに、今現在のことだ。
それは、40歳という年代になって、完全に「中堅」と呼ばれる世代になって、人を引っ張ったり巻き込んだりすることの重要性が高くなったということが一因と思っている。

つまり、「自分はこう生きたい」という主体性がないと、自ら進む道を示せない。進む道を示さないと、誰かに伝えたり、ましては引っ張ったりすることは難しい。
上手に流されるという強みは、立場が変わると、どっちつかずの頼りなさという大きな弱みになる。

今は、取り立ててリーダーシップを発揮する立場ではないけれど、このままではまずい。そう感じられて仕方ない。

戦術の「働く人のためのキャリアデザイン」には
「通常はドリフトで構わないけど、節目では自分のキャリアをデザインすることが必要」と述べられている。
今がまさに節目。中学生以降、ちゃんとデザインできていなかった自分の人生をしっかりデザインする機会にしたい。

ずっとうだうだ言っているのが続いているけど、実は、少しずつ行動を始めている。
今後は、そのあたりをこっそり書いていけたらと思っている。





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