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おきにいりの本棚

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尊敬するnoterさんの、好きすぎて何度も読みたい!!noteたちです。
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#短編小説

RAIN #シロクマ文芸部

RAIN #シロクマ文芸部

 『雨』を聴くためにその店を訪れた。
 21時からしか開かない店。お酒と音楽だけを提供する店。
 水の匂いがする。
 夜を待って新宿に向かう電車の中では、東京事変の椎名林檎の声が頭の中で鳴り響いていた。「新宿は、豪雨」。確かに今、新宿にいるが、豪雨ではない。でも傘は持っていた。傘は持っていたが、次に頭の中に浮かんだのは井上陽水『傘がない』。

 行かなくちゃ
 きみに逢いに行かなくちゃ
 雨に濡れ

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街中華のマトリックス

街中華のマトリックス

 街中華と瓶ビール。そして強火を使った食事はどこからか抜け出す力を生み出すのかもしれない。

 
 二月の金曜の夜。西高東低の強い気圧配置が列島を覆う。そこに南岸低気圧が八丈島沖を進み、夜半に雪が降る。それまでは三国山脈を乗り越えた冷たく渇いた風が吹く。

 大きな発送ミスがあり、会社の冷え切った倉庫で肉体労働を後輩の佐藤と朝から始めた。体を動かした時にかいた汗が冷気に包まれ体を冷やす。それが何度

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小説|コーヒーが冷めるとき

小説|コーヒーが冷めるとき

 おばあさんは眠るまえにコーヒーを飲みます。「眠れなくなるからやめなさい」とおじいさんは毎日のように言いましたが、おばあさんはやめません。「うまいんだから仕方ない」

 近所の人に会ってもあいさつをしないことも、お医者さんに止められているのにお酒を呑むことも、めんどうでお風呂に入らない日があることも、おじいさんは何度も注意しましたが、おばあさんは聞きません。

 おじいさんはとつぜん亡くなりました

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雨の夜のキャバクラと焼き鳥と

雨の夜のキャバクラと焼き鳥と

6月の金曜の夜、上司にスナックとキャバクラが合わさった様な店に付き合わされる。キャバクラなのにカラオケがあるんだと上司は嬉しそうに僕に言う。そんな店には興味はないが、社内的に微妙な立場だったので行かざるを得ない。他の部署のプロジェクトを成功させたら、それが故に立ち位置が複雑になった。断る方が面倒だ。

雨は途切れることなく降り続け、シャツからは雨の匂いと自分の体のにおいが混じり、革靴の中も湿ってい

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月明りの染み

月明りの染み



その通りすがりの夜は今でも僕のどこかに沈んだままだ。


終電間際の乗客。彼らは輪郭がぼんやりしている気がする。明かりが足りないからかと思ったが、佇まいそのものが薄い。その輪郭は各々違う。
郊外に向かう車両の窓を霧雨が濡らす。車内の会話はない。皆、スマホを眺めている。席は全て埋まり、立っているのは僕含め数人。この時期僕は仕事が詰まっている。二週間以上遅い時間の帰宅が続いている。でも

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ハイライト

ハイライト

                  
 前日の雨で桜の花はほとんど落ち、路面や水たまりに散らばっている。泥にまみれた花びらを踏んで歩く。靴の裏にも花びらはついているだろう。僕はいつからか桜の花が灰色を帯びて見えるようになった。
 僕は「クラバート」と言うドイツの児童文学書をビジネスバッグに入れている。といっても分厚い本をそのまま持ち歩く訳にはいかない。なので本をばらし、その日の気分によって何章かを

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【小説】顔を隠す人

このままずっと、マスクをつけて生きていきたい。
誰もが一つは後ろめたく薄暗い願いを抱えているとすれば、佳世にとって、それは顔を隠すことでした。

疫病が世界中を覆ってから、早一年が経ちました。
政府は感染拡大を食い止めようと、食事中など特例を除き、マスクの着用を徹底するよう強く求めました。要請は性生活にまで及び、婚姻関係にない者同士の「口唇の接触」はマスク越しにおこなうようにと異例の声明も。これに

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小説|ネズミと彼女の戦記録

小説|ネズミと彼女の戦記録

 十月某日。近所のチーズ専門店が潰れて薬局になった日から、家のなかに小さな気配を感じる。気のせいだと思いたかったが、今日、お風呂から出たあと、居間で細長いしっぽを見てしまった。始まる。私と奴との戦いが。

 十月某日。仕事が終わらず遅く帰った夜も奴が駆ける音がする。しかけたネズミ取りには私のお気に入りのモコモコスリッパが挟まれていた。奴め。私をからかっていやがる。この戦い、最後に笑うのは私だ。

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小説|怪物とおむすび

小説|怪物とおむすび

 黄昏どき。茜色に染まった電車が走ります。混み合った車内には、空席がひとつ。それは怪物が座る席のとなりでした。誰も横へ座ろうとしません。怪物のため息に驚き、周りの人が少し離れます。電車は駅に停まりました。

 水色のポシェットをかけた少女が乗車してきます。人々の隙間を縫って、少女は空席の近くまで来ました。怪物の鋭く紅い目と少女の目が合います。ポシェットを下ろし、少女はためらうことなく怪物のとなりへ

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小説|創作物を食べる怪獣

小説|創作物を食べる怪獣

 土が硬く作物の採れない国で怪獣は暮らしていました。作物の代わりに、怪獣は創作物を食べます。人々は飢えに苦しみながらも遊び心を忘れずに、小説や詩や俳句、絵や曲や写真やエッセイを創り、怪獣に分け与えました。

 怪獣は食べたものを大声でほめてくれるので、人々は喜んで創作物を贈ります。彼らは仲良く暮らしていましたが、ある日、怪獣はお腹を壊します。創作物と間違えて、人々が蓄えていた、なけなしの作物を食べ

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カワセミカヌレ

カワセミカヌレ

オリーブの木。その傍に、お店の看板。看板の横に自転車を停め、学校鞄を提げ、歩き出す。

お店は、芝生の丘の上。入り口まで、白い砂利道が緩やかに曲がって続く。

芝生の緑、コンクリートの建物の明るい灰色。白い坂道。青い空。白い雲。その組み合わせに、つい頬がほころぶ。

ガラス扉の、流木の取手に手をかける。流木取手の上に手のひらぐらいの大きさで、お店の名前が、白文字で懐かしい字体で書いてある。

ベー

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小説|昨日の自分を撫でる夢

小説|昨日の自分を撫でる夢

 一日の疲れがあなたの身体を重くします。なにも、やる気が起きません。ベッドに倒れ込みました。うつ伏せで目を閉じ、あなたは眠りにつきます。今日あった嫌なことを夢に見ないように願いながら。

 あなたは、あなたに会いました。夢の中です。あなたはそれが昨日の自分だと知っていました。おぼつかない足どり。こちらへ歩いてきます。目もとにはひどいクマがありました。疲れ果てているのがよく分かります。

 あなたが

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寒影 #クリスマス金曜トワイライト    ー真冬のレモンは小さくて甘く切ないー

寒影 #クリスマス金曜トワイライト    ー真冬のレモンは小さくて甘く切ないー

 

 息はとうに切れていた。白い息が次々と、吐き出されては消えていく。地下鉄の階段を駆け上がると、もう、JRの改札が見えてくるはずだ。山手線に乗り換えて、15分くらいで着くだろうか。上野駅のホームまで、ギリギリ間に合うか。
 あきらめれば、もう走らなくて良いのに。
 足を止めたら、楽になれるのに。
 切手の貼られてない手紙を郵便受けに見つけたのは、その朝のことだった。便箋の末尾に、上野発東北新幹

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