#短編小説
小説|コーヒーが冷めるとき
おばあさんは眠るまえにコーヒーを飲みます。「眠れなくなるからやめなさい」とおじいさんは毎日のように言いましたが、おばあさんはやめません。「うまいんだから仕方ない」
近所の人に会ってもあいさつをしないことも、お医者さんに止められているのにお酒を呑むことも、めんどうでお風呂に入らない日があることも、おじいさんは何度も注意しましたが、おばあさんは聞きません。
おじいさんはとつぜん亡くなりました
小説|ネズミと彼女の戦記録
十月某日。近所のチーズ専門店が潰れて薬局になった日から、家のなかに小さな気配を感じる。気のせいだと思いたかったが、今日、お風呂から出たあと、居間で細長いしっぽを見てしまった。始まる。私と奴との戦いが。
十月某日。仕事が終わらず遅く帰った夜も奴が駆ける音がする。しかけたネズミ取りには私のお気に入りのモコモコスリッパが挟まれていた。奴め。私をからかっていやがる。この戦い、最後に笑うのは私だ。
小説|怪物とおむすび
黄昏どき。茜色に染まった電車が走ります。混み合った車内には、空席がひとつ。それは怪物が座る席のとなりでした。誰も横へ座ろうとしません。怪物のため息に驚き、周りの人が少し離れます。電車は駅に停まりました。
水色のポシェットをかけた少女が乗車してきます。人々の隙間を縫って、少女は空席の近くまで来ました。怪物の鋭く紅い目と少女の目が合います。ポシェットを下ろし、少女はためらうことなく怪物のとなりへ
小説|創作物を食べる怪獣
土が硬く作物の採れない国で怪獣は暮らしていました。作物の代わりに、怪獣は創作物を食べます。人々は飢えに苦しみながらも遊び心を忘れずに、小説や詩や俳句、絵や曲や写真やエッセイを創り、怪獣に分け与えました。
怪獣は食べたものを大声でほめてくれるので、人々は喜んで創作物を贈ります。彼らは仲良く暮らしていましたが、ある日、怪獣はお腹を壊します。創作物と間違えて、人々が蓄えていた、なけなしの作物を食べ
小説|昨日の自分を撫でる夢
一日の疲れがあなたの身体を重くします。なにも、やる気が起きません。ベッドに倒れ込みました。うつ伏せで目を閉じ、あなたは眠りにつきます。今日あった嫌なことを夢に見ないように願いながら。
あなたは、あなたに会いました。夢の中です。あなたはそれが昨日の自分だと知っていました。おぼつかない足どり。こちらへ歩いてきます。目もとにはひどいクマがありました。疲れ果てているのがよく分かります。
あなたが
寒影 #クリスマス金曜トワイライト ー真冬のレモンは小さくて甘く切ないー
息はとうに切れていた。白い息が次々と、吐き出されては消えていく。地下鉄の階段を駆け上がると、もう、JRの改札が見えてくるはずだ。山手線に乗り換えて、15分くらいで着くだろうか。上野駅のホームまで、ギリギリ間に合うか。
あきらめれば、もう走らなくて良いのに。
足を止めたら、楽になれるのに。
切手の貼られてない手紙を郵便受けに見つけたのは、その朝のことだった。便箋の末尾に、上野発東北新幹