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自分を語る言葉を持たない男
最近私は、私自身を自由に語ることが何らかの理由で阻害されているという感覚に陥るようになった。それが何に由来するものなのかを考えたいのだが、全然気分がのってこないので考える未満のボケっとするやつやる。
ネットで検索してみると、昔の心身症の記事が出てきて、なんだかこれは自分の説明書のように思えたのでうろ覚えながら振り返ってみる。ちなみに心身症とは今でいう潰瘍性大腸炎やらそんな感じの精神疲労から陥りが
ジセレカで腎機能に害が出だしたかもしれない
しばらくぶりに何かしら駄文を垂れ流そうというモチベーションが湧き上がってきたのでパソコンの前に鎮座しているが、心躍る主題が見つからないが故にそのまま肉体は停止を続けている。直近十五年の精神的錯乱の種が最近になって花を咲かせたのだろうか、何か考え事をしようとするといつも感じていた、思考の途上にまとわりつき、その滑らかさを阻害する霧のような感覚の濃度が最近になってさらに濃くなってきた気がする。私という
もっとみる思い出の話 筋トレユーチューバーKTMさんについて
KTMさんを始めてユーチューブで目撃したのはいつだったろうか。自分にとってもだいぶ古い記憶なので定かではないが、当時の衝撃は今でも割と鮮明に覚えている。真っ暗い地下の湿気の多いじめっとしてそうな狭い部屋で、自分の太もも位太い上腕の大男が200キロを超えるとんでもない重量でビッグスリーだったりといった種目でどぎついセットを組んでひたすらに己の体を追い込んでいた。バーベルやダンベルを使った後、これまた
もっとみるインターネットで流行っている言葉たちに対する感慨 価値観を押し付けるな 他責思考
マジックワード的と言ったら伝わるだろうか、とりあえずこれをいったら相手のすべてを表現できてると思って使っているようなそんな感じがする。レッテル張りの側面の強い言葉である。つまりは政治的な言葉だ。たいていこの二つが使われている瞬間というのは、自分と相手が敵対的な関係にある時である。そういう場面では自分がすぐれていて、相手が劣っていると第三者にアピールするといった形になりがちである。その際に真っ先にこ
もっとみる今日は土曜日、なんでもない土曜日
セブンイレブンで売っているとみた監修次郎系ラーメンに500グラムの白菜ともやしを追加して食した。うまい。ニンニクで腸内細菌が死滅してしまうのではとという強迫観念に似た思いがよぎったが、うまいものを食うのに背に腹は代えられない。たとえ大腸がぶっ壊れたとしても大満足の一皿であった。
充実した食事の後はガムが食いたくなる。だがない。つい先日切らしていたことを思い出した。はあ、だりいな。今から買いに行こ
酒を飲んで気分がいいので適当に最近気になったことを振り返る
角川大変なことになっちゃったな。
今のところ流出したのは傘下のドワンゴの内部情報のみだけど、そのうちハッカーの握っている情報がまた流されだすのだろうな。
デジタルフォレンジックのさわりのさわりをやった程度の知識だけど、この分野で何か事件が起きてしまった暁には、とてつもない量の情報を精査し続ける必要に駆られるわけだからきっとニコニコ大変だろうな。
今回やられてるサーバーの量も、そのサーバーが担ってい
入眠時間がどんどんずれていく
これまたいつものやつがまたやってきた。六月上旬ごろは二十四時前に就寝することが多かったのだが(これも普通の状態とは言えない。あまりにも早すぎる。精神症状と連動しているのだろう。日中に強制される行動、義務化された労働がないせいだろう。)、七月一日現在は朝六時か七時に入眠するように変化してきた。
日本資本主義社会は平常人、平均人に沿った形で会社の営業時間が設けられていることが多く、この点馬鹿みたいに
メモ 宮台真司関係 私たちはどこから来てどこへ行くのか
70年代後半に始まった新新宗教ブーム。
新新宗教ブームと並行して拡大した自己啓発セミナーのブーム。
もともとは米国でアウェアネストレーニングと呼ばれていたもの。
宮台が最初にかかわったのは大学院生修士の82年。日本に入ってきたのが70年代末だからそれから間もないころ。
※日本では仏教や神道、キリスト教などの伝統宗教(既成宗教)に対して、明治期以降に活動を活発化させた新しい宗教団体を新宗教(新興宗
大きな物語の死、無意味な生と神経症
本を読んでいるとしびれるような一節に出くわすことがある。
最近私は、なぜ現代社会は精神疾患を患う人間を大量に生産するのかを考えていたが、それに対して力のある記述を目にすることができた。もちろんこの記述をそのまま精神医学の現場に輸入したとて、対症療法として有効とはいかないだろうが、神経症や精神病を生み出す母体としての場、それを支配する観念の、つまりは時代精神の大きな枠組みの把握としては、有効だと思わ
精神疾患が薬だけでは治らない理由
結論から先に述べると、精神疾患とは関係性の病だからである。ここでいう関係性とは、対人関係性や、個人が集まってできた社会に対する関係性である。薬で正常だと思われる脳内物質状態に近づけたとしても、対人関係における思い込みは改善されておらず、その結果再発してしまうだろう。個人の集合体である社会的組織に参画しようとしたときにも、やはりこの病的な歪みは、参画への円滑さを妨げる大きな要因の一つになるだろう。