ほろ酔いキチガイ

日記と学習帳を兼ねた自由帳。鬱と潰瘍性大腸炎と共にどう生きるかを考えながら暮らしていま…

ほろ酔いキチガイ

日記と学習帳を兼ねた自由帳。鬱と潰瘍性大腸炎と共にどう生きるかを考えながら暮らしています。

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最近の記事

思い出の話 筋トレユーチューバーKTMさんについて

KTMさんを始めてユーチューブで目撃したのはいつだったろうか。自分にとってもだいぶ古い記憶なので定かではないが、当時の衝撃は今でも割と鮮明に覚えている。真っ暗い地下の湿気の多いじめっとしてそうな狭い部屋で、自分の太もも位太い上腕の大男が200キロを超えるとんでもない重量でビッグスリーだったりといった種目でどぎついセットを組んでひたすらに己の体を追い込んでいた。バーベルやダンベルを使った後、これまたとんでもない爆裂金属音を鳴らしながらラックに収める迫力が、今もまだ心の片隅に残っ

    • インターネットで流行っている言葉たちに対する感慨 価値観を押し付けるな 他責思考

      マジックワード的と言ったら伝わるだろうか、とりあえずこれをいったら相手のすべてを表現できてると思って使っているようなそんな感じがする。レッテル張りの側面の強い言葉である。つまりは政治的な言葉だ。たいていこの二つが使われている瞬間というのは、自分と相手が敵対的な関係にある時である。そういう場面では自分がすぐれていて、相手が劣っていると第三者にアピールするといった形になりがちである。その際に真っ先にこの二つのワードが動員されている印象がある。だからだろうか、自分はこの二つのキラー

      • 今日は土曜日、なんでもない土曜日

        セブンイレブンで売っているとみた監修次郎系ラーメンに500グラムの白菜ともやしを追加して食した。うまい。ニンニクで腸内細菌が死滅してしまうのではとという強迫観念に似た思いがよぎったが、うまいものを食うのに背に腹は代えられない。たとえ大腸がぶっ壊れたとしても大満足の一皿であった。 充実した食事の後はガムが食いたくなる。だがない。つい先日切らしていたことを思い出した。はあ、だりいな。今から買いに行こうか行くまいか。昼寝で体力が有り余ってる感じがするのでちょっくらいって来るか。な

        • イライラする

          イライラしている。抱えている欲求が何一つとして解消されないからであろう。むかつく。怒りの矛先をどこへ向けたらいいのか私にはわからない。

          ¥3,000

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        記事

          豊かで賑やかな社会、だが私の帰属する場所はないこの社会

          豊かな社会。物質であふれた社会。空を貫く超高層ビル。人間の複雑な欲望すべてを機械的に処理できるほど発達しきった社会。人間の欲望すべてを体現したような街。人の声が途切れることのないネオン街。それなのに、それなのにもかかわらず私の居場所はない。私が帰属していると実感できる共同体はない。私はこの人間の欲望すべてを体現したこの街で宙に浮いている。すべての人間が包摂されているはずの社会で私は浮いている。私は異常なのだろうか。こんなことを考えさせる社会が異常なのだろうか。この環境に適応で

          豊かで賑やかな社会、だが私の帰属する場所はないこの社会

          酒を飲んで気分がいいので適当に最近気になったことを振り返る

          角川大変なことになっちゃったな。 今のところ流出したのは傘下のドワンゴの内部情報のみだけど、そのうちハッカーの握っている情報がまた流されだすのだろうな。 デジタルフォレンジックのさわりのさわりをやった程度の知識だけど、この分野で何か事件が起きてしまった暁には、とてつもない量の情報を精査し続ける必要に駆られるわけだからきっとニコニコ大変だろうな。 今回やられてるサーバーの量も、そのサーバーが担っていた役割も重要だったそうだから苦労が目に浮かびます。 それはそうとタコ杯飲んでみ

          酒を飲んで気分がいいので適当に最近気になったことを振り返る

          入眠時間がどんどんずれていく

          これまたいつものやつがまたやってきた。六月上旬ごろは二十四時前に就寝することが多かったのだが(これも普通の状態とは言えない。あまりにも早すぎる。精神症状と連動しているのだろう。日中に強制される行動、義務化された労働がないせいだろう。)、七月一日現在は朝六時か七時に入眠するように変化してきた。 日本資本主義社会は平常人、平均人に沿った形で会社の営業時間が設けられていることが多く、この点馬鹿みたいに昼夜逆転生活を送る人間にとっては厄介なことが多い。あれが必要だ、あれがあったほう

          入眠時間がどんどんずれていく

          ひたすらに眠い期

          眠い。ひたすらに眠い。眠っても眠い。10時間眠ってもやっぱり眠い。精神的な格闘の時間の後には大体こいつが来る。眠いね。だけど眠気にとらわれている時間は嫌いじゃない。ずっと脳の演算に眠気を知らせる処理が挟まってるから、苦悩に焦点が向かなくなる。脳みそに霧がかかってるくらいが一番幸せだ。思考が先鋭化しなくて済む。眠い。 暇だし認知行動療法のマニュアルでも読み返すべと、やたらと重い腰を上げたのだが、やっぱりこの治療法はよくできているなと感心する。今までざっとしか読んでこなかった一

          ひたすらに眠い期

          未だに体に薄く張り付く鬱

          かなりしつこい気分の波にとらわれて結構時間がたった。 時間がたったといっても物理的に多くの時間がたったわけではない。 気分がふさぎがちになっているときの時間の流れというのはなかなか過ぎ去ってくれない。 体感時間と物理的時間の流れの乖離が自分をいらだたせる。 焦燥にとらわれてはいけない。自罰的に考えてしまって焦りのるつぼにハマる。 もういつものやつと言えるほどに経験してきた気分の波だが、いつだって経験するときはそれなりにつらい いや、かなりつらい。しんどい。 こう

          未だに体に薄く張り付く鬱

          メモ 宮台真司関係 私たちはどこから来てどこへ行くのか

          70年代後半に始まった新新宗教ブーム。 新新宗教ブームと並行して拡大した自己啓発セミナーのブーム。 もともとは米国でアウェアネストレーニングと呼ばれていたもの。 宮台が最初にかかわったのは大学院生修士の82年。日本に入ってきたのが70年代末だからそれから間もないころ。 ※日本では仏教や神道、キリスト教などの伝統宗教(既成宗教)に対して、明治期以降に活動を活発化させた新しい宗教団体を新宗教(新興宗教)と区別するのが一般的で、さらに、おもに1970年代以降に出現したものを新新宗

          メモ 宮台真司関係 私たちはどこから来てどこへ行くのか

          大きな物語の死、無意味な生と神経症

          本を読んでいるとしびれるような一節に出くわすことがある。 最近私は、なぜ現代社会は精神疾患を患う人間を大量に生産するのかを考えていたが、それに対して力のある記述を目にすることができた。もちろんこの記述をそのまま精神医学の現場に輸入したとて、対症療法として有効とはいかないだろうが、神経症や精神病を生み出す母体としての場、それを支配する観念の、つまりは時代精神の大きな枠組みの把握としては、有効だと思われる。 現代社会はなぜ精神疾患を大量に生み出すのかに関しては、個人的に精神医学

          大きな物語の死、無意味な生と神経症

          精神疾患が薬だけでは治らない理由

          結論から先に述べると、精神疾患とは関係性の病だからである。ここでいう関係性とは、対人関係性や、個人が集まってできた社会に対する関係性である。薬で正常だと思われる脳内物質状態に近づけたとしても、対人関係における思い込みは改善されておらず、その結果再発してしまうだろう。個人の集合体である社会的組織に参画しようとしたときにも、やはりこの病的な歪みは、参画への円滑さを妨げる大きな要因の一つになるだろう。 精神疾患とは生活習慣による病なのである。個人的に積み上げてきた人間に対する自動

          精神疾患が薬だけでは治らない理由

          強烈な希死念慮を抜けつつあるが・・・

          ああよかった。きつかった。ここ三日か四日、ほんまにきつかった。体の底の方から、湧き上がってくる焦燥感で、震えてきてしまって、寒気に似たそれのせいで体が重くて仕方がなかった。 気圧のせいだったのかもしれない。少々無理をして無理やり日差しを浴びに外へ出たのが良かったのかもしれない。とにかくだいぶ楽になってきた。 ただ根本原因である孤独な環境は改善していないから、それが今後の最重要課題。自らの世界に閉じこもりすぎて、社会的コミュニケーション能力が下がったことを自覚してしまって、

          強烈な希死念慮を抜けつつあるが・・・

          この世界で空しくなるのは必然か?

          よく生きることと、うまく生きることの距離が離れていけば、人は必然にそのどちらかを選ぶことを迫られる。 良い生き方を選択すれば、流れへと逆らう生き方をすることになる。流れに逆らうその生き方は、苦しい生き方そのもので、苦しみの多い生とは、後悔の多い生でもある。その生を選択した人は道の先々で思うだろう。もうちょっとうまく生きれば楽に生きられたのにと。 もう一方、うまく生きたほうを選択してそれを成功させたとしても、私は成功したが、本当に私はこの生き方でよかったのかと、自分の空虚さ

          この世界で空しくなるのは必然か?

          一年ぶりに酒飲んだら鬱が来た

          タイトル通り。 楽しい気分は一瞬で、むしろ気分が上がって元の場所に落ちてくる、その幅を自覚してしまうことが鬱の引き金になった感じ。 だるい。なんかしてないと焦燥感がきつい。 腹がよくなって調子に乗ってしまった。 腹痛と血便を出さずに過ごせるのは実に一年ぶりだったから調子に乗った。 酒も自由に飲めないなんて、不自由な人生だな。 はあ。 酒がというよりかは、その後の睡眠の浅さによって、気分の落ち込みが誘発された感じもする。 面倒くさい。 生きる意味が欲しい。 生

          一年ぶりに酒飲んだら鬱が来た

          東浩紀のソルジェニーツィン試論が、わかったような、わかんようなで揺れ動いてるので書く

          人は、書くという行為を経過することで、本当の意味での理解へと進んでいくことができると最近実感しだしたので、ふわっとした主体化されていない情報は、次々に書き出してみようと思う。 ソルジェニーツィンの文学作品は、卓越しているわけではない。小説というジャンルの持つ限界に対して、彼はそこまで自覚的でない。また、書くこと、話すことの不可避的政治性についても鈍感だった。彼は自分の発言が誤解される可能性に対して、東から見れば、驚くほど無自覚。 ラーゲリが、彼をそうさせたのか? ソルジェ

          東浩紀のソルジェニーツィン試論が、わかったような、わかんようなで揺れ動いてるので書く