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「何でもない文字を綴る」は人生の余白を愛するためのおまじない
自分の心の健康をはかる方法が何個かある。
ひとつめは、聞いたことのないあたらしい音楽を手にとること
ふたつめは、外をぼーっと見つめる時間を持てること
みっつめは、何でもない文字を綴ること
この3つのどれかひとつでも出来ていれば、わたしの心は生きている。
全部できていればすこぶる健康。
ひとつも出来なくなったら赤信号。
「心が健康」と言ってしまうと=病気のように捉えられてしまうかもしれないけれ
なんだか切ない温度感の正体
「のちさんの言葉や写真はなんだか切なさを感じる」という台詞をこれまで数えきれないほどもらった。
前に株式会社ドリップの堀口さんが「のちさんの言葉は36.5分くらいだよね」と表現してくれたことがあって、ああ、わたしの言葉って触るとちょっと温もりを感じる、くらいの温度感なんだなあふむふむ、と改めて思ったのをよく覚えている。
世の中切なく感じるものって何かあるかなあ、と考えた時に、一番はじめに浮かんだ
どうも随分生きづらいと思ったらHSPだった | 古性のち
自分の感情を「生きづらい」と表現するにはあまりにも乱暴すぎるし、そんな一言であの複雑な思い達を片付けてしまうのは、何だか過去の自分に申し訳ない気さえする。それは例えば「もしもし。そんな言葉でまとめられちゃうなんてたまらないぜ」と天井から怨念になったわたしが降りてきて、文句を付けられても仕方ないと受け入れられてしまう。そんな申し訳なさだ。
正直、今も自分の人生が生きづらいだなんて思ったことはない。
4年間のフリーランス生活にピリオドを打ち、会社に入りました
まさにタイトル通りなのだけれど、この度フリーランスを卒業し、とある会社に参画させてもらうことになりました。
「マネージャーが出来たからこのままどこまでもフリーランス道突っ走っていくぜ!」とnoteで豪語していた2年前には考えもつかなかったことで、なんなら”組織”が死ぬほど苦手で、出社するたびに蕁麻疹と発熱を繰り返していたわたしが(この話はまたどこかで)、またそこにチャレンジする日がくるなんて、夢に
「たそがれる」ことの価値
この前、仕事で朝焼けと夕焼けを撮った。
パシャリと1枚切り取ったわけではなく、2時間ほど経過を撮り、つなげる作業をしたので眠い目をこすりながら(夕方はぶるぶる震えながら)、太陽が世界の色を塗り替えていく風景を見守っていた。
目の前に広がるのはとにかく泣いてしまうくらいに美しくて「ああ、世界は綺麗だなあ」なんて、普段は呑み込んでしまうような恥ずかしい台詞が自然とこぼれ落ちてしまうそんな景色だったの
自分のオフィシャルスタンダードがあること
「汐留ってなんだかのちが住んでいるっぽくないよね」
「えー、どのへんが?」
「そもそもオフィス街にいなさそうじゃん。もっと素朴っぽい場所を選びそう。”街”より”町”でしょ。こっち(空中で漢字を書く)の字のほうね」
「吉祥寺とか?」
「三軒茶屋とか。」
「あーはんなるほどねー」
***
時折そんな会話を友達と繰り広げる。
同棲していた家を解消し、広尾から汐留に越してきて4ヶ月目に突入した。
前住
自信がないあなたへ何度でも言う、『あなたはすごい』
最近周りの友達がバタバタと闇落ちしている。
いや、闇落ちという言い方は正しくないな。仕事に疲れて心を病んでしまっている。
それで、あまりにもひどいので
『早くエスケープしなよ…!』
と言うんだけど、テコでも動かないんだこれが。
なんでかと言うと、大体鬱になってしまう人は、『完璧主義』な人が多く、完璧な理想の自分と現実の自分の乖離が許せなくてもがいているうちにだんだん病んでしまうそう。
海の近くで、本屋を始めます
瀬戸内海のすぐそばで、本屋を始めることにした。名前を「aru(アル)」という。庭に大きな桜の木があって、海が一望できる、穏やかで美しい場所だ。
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去年の夏から、東京と岡山で二拠点生活を始めた。
きっかけは、以前から友達だったデニム兄弟(ようへいくん、島田)のふたりで、彼らは岡山県倉敷市の児島という土地で、宿泊施設「DENIM HOSTEL float」を運営している。
瀬戸内海が一望でき