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案ずることなき子供たちは異郷を目指す

 幼少のころ、親に乗せられた車の窓からすぎ去っていく場所を見ていた。国道を走る車の外を、いつも同じ場所が流れていた。樹木に囲われた巨大な球体ガスタンク、複数のアンテナを伸ばしたUFO型の建物が工場のような建物と連結。それらが緑の茂みに隠れるように食い込んでいた。

 いつもその場所は流れ去った。流れ去るその場所にさしかかるたびに、私はそこに降り立ってみたいと思っていた。通過するだけのその場所には神秘が隠されているに違いないと眺めていた。 

 小学生の頃にはすでに一人で電車にも乗れるようになっていたし、あまり遠出をしなければ何処にでもいってよいと母親からいわれていた。電車に乗ってもよい。そういった親を覚えている。けれども電車より自転車を好んだ。好きな場所でとまれる。国道を自転車で走って、車のなかから見ていたあの流れ去る場所をたびたび目指したが、見つけることはできなかった。

 自転車で遠出をした際、国道沿いの錆びた金網で囲われた駐車場奥に、カップ麺の販売機を見つけて驚いたことがある。後日、そのことをクラスメイトの中村君に話した。中村君は、そういう古い販売機は、電子ライターを分解してとりだせる電気がびりびりと走る部品を使って、コインを入れる穴を刺激してやるとただで手に入れられるのだと教えてくれた。

 家を捨てて空腹をカップ麺でしのぎながら知らない場所へとよるべなく歩く自分を幾度も思い描いた。子供たちがみな電子ライターのびりびりを持って、家を捨てる。憑かれたかのように歩く。よるべなく異郷を目指す。

 そんな光景を思ってはうっとりしていた。いまでもそのように覚えたままでいる。


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