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中国史・漢籍

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『足るを知る』ということの真実とは

足るを知ろうとすると、自身の欲望の種類の際限の無さに気づく。

量的には、欲望が充足されなければ、やはり足らない。

足ることは、完全には知れないのであって、足るを知ろうとすることは、自身の欲望に向き合うことであって、自身の欲望の種類・質・量については、結局死ぬまでわからないのではないか。

自分探しは終わらない。

心中の賊

心中の賊

陽明学の祖・王陽明の言葉に

『山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し』

というものがあるそうだ。出典は知らないが、司馬遼太郎の『峠』などでたびたび目にする言葉ではある。

「心中の賊」とは、何を指してそう言ってるのか、オレにはわからない。しかし、オレにおける心中の賊とはなにか、ということについて考えてみた。

考え過ぎる。オレの悪い癖だ。考え始めると、息もロクにしていない。呼吸を意識しても

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韓非子を非情と言う勿れ

韓非子を非情と言う勿れ

1 非情の思想家
 中国の思想家、韓非子は何かにつけて「非情の思想家」と呼ばれるが、それは何故か?
 一般的に言われることは、彼は人を信用せず、冷酷で厳格な法律を以って国を統治する強権的な法治主義を唱えたからであると言われている。
 しかし、私は彼の韓非子55篇を全て把握しているわけではないが、少なくとも君主に対し冷酷さを求めたと言う記述は見当たらない。
 兵法家孫武(孫子)が、ある君主に「女でも

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加治伸行 『 論語 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』 : 単なる「理想主義」に非ず

加治伸行 『 論語 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』 : 単なる「理想主義」に非ず

書評:加治伸行『論語 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』(角川ソフィア文庫)

いまさら『論語』である。

と言っても、若い人にはピンと来ないのではないだろうか。『論語』というのは「年寄りが好きそうな、古臭そうな中国哲学」くらいの印象しかなく、実際にどんな「傾向」のものかということまでは知らない。というのも、すでに長らく『論語』について語られることが、めっきり無くなったからである。

私が若い

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岩波文庫『韓非子』。美しい文体だなあとは思うが、読み進むにつれて非常に不愉快な内容が続出したので、いったん置こうと思う。人間社会の一側面では確かにあるとは思うが、老先生の愛情は師弟愛というより、むしろもっと根源的なものだったのではないかと。

講談社学術文庫『老子』二周目。ビギナーズナントカ『論語』も合わせて読んでるので、なかなか進まない。読み飛ばし追うだけの癖があるので、専ら精読を心掛ける。

老子は、貧しい人々に寄り添う一面が強いのでほないかと。貧しいと感じやすく緊張しやすい。

ビギナーズナントカ・文庫『論語』

子曰く、とは、現代語に訳すと、「老先生は(こう)おっしゃられた」くらいの意味らしい。

老先生、浮世離れしながら、同時に軽率でおっちょこちょいなところがあり、私には非常に魅力的な人物に感じる。

老先生の矜持

老先生の矜持

ビギナーズナントカ・文庫『論語』つづき。

老先生一行がどこかの国を旅行中、つてがなく、食べ物に窮した時、古参の弟子の子路が老先生を詰めた。

「君子でも食べ物に困るのですか」

「ああ。ただ小人のように取り乱さない。」

苦しまぎれの言い訳みたいでなんだか微笑ましい。

宮城谷昌光『三国志』の序盤で、後漢の大儒である鄭玄が、弟子たちとともに、戦乱を避けて山に避難した時、餓えたが耕作などはせず、み

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道理と利害

道理と利害

・道理に欠ければ人でなくなる

・利害得失を考えられなければ、現実上役には立たない。

→以前の自分は、道徳好きだが道理に欠けていた。また利害得失、平たく言えば貸し借りでものを考えることを嫌った。

→貸し借り、大事だと思う。貸し借りについて考えなければ、たとえば他人の好意の行動などに、いくらでも平気で乗っかるが、なにも報いないということになり得るからだ。

これは儒教で言うところの仁と義の話か。

孔丘少年、母の元へ走る

孔丘少年、母の元へ走る

ビギナーズクラシックス『中国の古典』加地伸行著 角川ソフィア文庫

-少年時代は、当然老先生(孔子)にもあった。

孔丘少年は、貧しい農家の出身であった。たくさんの兄弟を抱えて、賢明に働いたことだろう。

-そんな折、父が、後妻を迎えた。孔丘少年の実母は早くに亡くなった様である。

-後妻すなわち義母は、儒と呼ばれる、儀式や占いを生業とする集団の女性だった。孔丘少年の父は彼女と同居しなかったようで

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