孔丘少年、母の元へ走る
ビギナーズクラシックス『中国の古典』加地伸行著 角川ソフィア文庫
-少年時代は、当然老先生(孔子)にもあった。
孔丘少年は、貧しい農家の出身であった。たくさんの兄弟を抱えて、賢明に働いたことだろう。
-そんな折、父が、後妻を迎えた。孔丘少年の実母は早くに亡くなった様である。
-後妻すなわち義母は、儒と呼ばれる、儀式や占いを生業とする集団の女性だった。孔丘少年の父は彼女と同居しなかったようである。ただ、通った。
-孔丘少年も農作業の傍ら、義母の元へ通ったようである。義母の元へゆけば、文字が学べたからである。
-中国における紙の発明は、後漢の蔡倫が端緒であるので、孔丘少年の時代から約700〜800年のちのことになるであろう。当然、識字率は低く、文字は特殊な集団の専門技術だったようである。
-孔丘少年は、苛酷な農作業の苦痛から逃れる、それは一時的な逃避であろうが、その術を求めていたのかもしれない。義母の元で学んだ。
-横山光輝の漫画の少年のように、義母の元へ走る孔丘少年を想像すると、なんだか微笑ましい。
-老先生は十五歳で志学したわけだから、義母の元で学んだのもこの時期である。
-いま私は、教養などはさほど必要ない職に就いているが、何よりの苦痛は、勉強できない、学べないのが何よりも辛く感じる。今年で四十九になるが、いまだになにもわかっていないと思うし。
-とりあえず、仲間の面倒を見る立場が多いので、最低限の道徳は身につけておきたい。またさんざんバカにしてきた中庸、バランスということも、改めて意識しなければいけないなあと。
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