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#家族の物語

人気の記事一覧

腐らずに自分の気持ちを言える大切さ

ある日のこと。 息子(4歳)が、私のiPadの標準メモ帳アプリ&Apple Pencilでお絵描きをしていた。 iPadの標準メモアプリには、定規(ツール)というものがあって、それを使うと、実際の定規のように直線を引くことができる。 息子が、iPadのメモ帳の定規ツールを使って、直線を書けることを発見したようだ。角度も自由に変えて線をかけたので、お母さんのところに見せに行った。この投稿のヘッダ部分の画像である。 しかし、そもそもiPadをそんなに使えないお母さん。メモ

「親になる訓練」をあなたは受けてきましたか?

最近は、もっぱらYOUTUBEで 素朴で自然に囲まれた暮らしをする人を見て、 癒しを得ているりょーやんです。 いつか、 作物を育てて、 ちょっとでも自給自足の生活をしてみたいの~ 笑 共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨ 教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌 どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。 共育LIBRARYりょーや

岡田監督が起こした、もうひとつの小さな奇跡|はじめてのnote

阪神タイガース岡田監督が2024年シーズンをもって勇退する、というニュースが飛び込んできた。岡田監督は私たちファンに、38年ぶりの阪神日本一という奇跡をもたらしてくれた。と同時に、我が家にも奇跡をもたらしてくれた。世間から見たら小さくてありふれたことかもしれないけれど、私の人生にとっては間違いなく大きな奇跡。岡田監督への感謝を込めて、綴ってみたいと思う。(このためにnoteを立ち上げたという……笑) ※記事中、敬称略 涙の退団会見にハッとした小学3年生 1993年オフシ

【物語】楽しみは今

海に連れて行ってくれるって言ったのに。 僕は、うきわや水着が準備された自分の部屋の中、ど真ん中で体育座りをしてふてくされていた。雀がちゅんちゅんの機嫌よさそうに鳴いている声さえうっとうしく感じる。 そう。 僕は今、盛大に拗ねている。 今日は、海へ出かける約束をお父さんとしていた。 お父さんはまだ35歳なのに、みんなに慕われてこの村の村長をしている。お父さんは優しいから、困っている人がいると必ず手を貸す。 優しくて頼もしいお父さんは、僕の憧れであり、自慢だ。 でも、今

わかりづらい愛の表現

夏、久しぶりに父方の祖母の家を訪ねた。祖母は長男(つまり私の父の兄)と二人で暮らしていて、祖父は五、六年前に他界していた。私の両親と妹、父と一回り歳の離れた叔父とその妻と子どもたちが集まった。 祖母は少し、というかだいぶ変わっている。どう説明すれば伝わるだろうか。祖母の家には時計が五つくらいあってすべてが違う時刻を指しているとか、白い猫を五、六匹飼っていて見分けがつかないというのでそのうちの一匹の額に緑の油性ペンで眉毛を描き足しているとか、そんなことを言えば伝わるだろうか。

+13

鉄棒×青春×父親の再婚!?「テツボー!前編」

少し早めの夏期講習(親子で受けるヤツ)

三連休の最終日 早朝、昨晩みんなで仕掛けた昆虫トラップを確認しに3人で宿を出た。 同じ道のりなのに昨日に比べると息子の足取りが明らかに軽いのが分かる。 「やはり期待と興奮は、人を前進させる大きな推進力になるのだなあ」 なんて感慨に浸っているうちに、あっという間に目的地の山に到着した。 なんてことはない。 彼だけじゃなく、僕や妻の足取りも軽くなっていたのだ。 そして、僕たちは朝露でどことなくキラキラして見える山道を急いだ。 しかし、一個目、二個目のトラップには彼

新幹線に乗ると気付く、親の愛情──東海道新幹線60周年エピソード【大賞作品】〔PR〕

sponsored by JR東海 私の父は、頑固で気難しい人でした。 私の言葉遣いや振る舞いの一つ一つに、いちいちケチをつけてくる父を鬱陶しく感じ、私は地元を離れ、東京の大学に進学することを決意したのです。 上京する日、父は豊橋駅まで車で送ってくれました。新幹線には今まで何度も乗っており、何番線のホームに降りればよいか、自由席は何号車か分かっていました。それにもかかわらず、今日はわざわざ入場券を買ってホームまで見送ると言うのです。 父はせっかちで、駅にはだいぶ早く到

家族の在り方|大事なのは 正しさ or 愛 ?

問題の無い家族ってあるの?と思うほど 「家族は歪(いびつ)な関係で成り立っている」 そういうものだと思っていました。 わたしが育った家もそうだし、周りの話を聞いてもそうだなと。 幸せな時期はあるにしても、外から見たら問題無さそうでも、家族って色んなことを経験してきて、夫婦・親子・兄弟のパワーバランス、お金の行く先、精神的負担などなど、少しづつオリジナルのカタチに作られます。 家族は歪だけど絶妙な均衡を保っています。 でも日本の教育や社会は、正しさや模範解答を求められ、監理

祖父の手の温かさを感じたお葬式

 今回は私が大学生の時に祖父を亡くした時の話です。  写真は「みんなのフォトギャラリー」から使わせていただいています。ありがとうございます。  私と祖父  祖父とは小さいときから一緒にいることが多かったです。    初孫の私が生まれて間もなく、祖父は早期退職をしたと聞いています。    釣りや、写真、絵などたくさんの趣味を楽しみながら、私のことも可愛がってくれました。    孫の中では私が一番祖父母の家にいました。    理由は、妹に足の障害があって(手術して生活に支障

マルシェとキャンプ泊。

おはようございます。ちいさなちいさな雑貨屋さんsweetmarronです。 週末はマルシェ出店でした。 その中でも糸島出店。 まさかの台風が接近して、暴風予報の中、キャンプも兼ねていくことにしていたので、珍しく家族3人でマルシェへ。 (マルシェの終了後は風が落ち着く予報だった)。 糸島の道。子どもの頃の景色に似ている。 この日は強風でしたが無事にマルシェは終わり(糸島に住んでいる友達が家族で遊びに来てくれたりして、楽しい一日だった!)。 友達のお子ちゃまは女の子で息子と同

ばあばと行く群馬日帰りツアー:焼まんじゅうと温泉と。

自分が住んでいる土地じゃないと解らない、地域ごとの空気感ってありますよね? 映画、『翔んで埼玉』などでネタになった埼玉県ですが、映画の中でいわれている事は、ほぼ真実として受け止めて問題ないと思います(笑)。 更に、県内でも地域ごとのランク付けも有るのでしょう。 それでいったら、2号の出身地である埼玉北部は、基本的に群馬として他の埼玉県民に扱われるようなエリアです。 実際、文化・風習に関してはその通りなんですけどね。 3人合わせて240歳?多分最初は6年前。 稲刈り

寝顔は正義

ひたすらに叱ってしまったという反省今日はつい、いろいろと娘や息子を叱ってしまった。 片付けしなさい! 何度もけんかしない! 一回で言うことを聞いて! 昨日、褒めることについて記事を書いたばかりなのに…。反省会やな…。 叱ることのデメリット子供を叱ることには、いくつかのデメリットがあると言われている。 まず、また、親子間の信頼関係が損なわれ、子供が親に対して心を開きにくくなることもある。さらに、叱られることで怒りや不安などのネガティブな感情が増え、感情のコントロール

かぞくっていいな

一緒にお風呂に入る前に、息子が服を脱ぎながら、歌を歌い始めた。 くまの子みていたかくれんぼ〜 おしりをだした子いっと〜しょ〜 そして、実際に、こちらに向けてプリってお尻を突き出してくるものだから、僕はたまらず吹き出してしまった。 彼のユーモアのセンスはたびたび 僕という地球を救うけど、 ふと不思議に思うことがあったから、本人に尋ねてみた。 「なんでこんな古い歌知ってんの?」 「お母さんが教えてくれたんだよ〜」 なる〜。 息子のユーモアは彼女の英才教育の賜物

「子供は言葉の魔術師」―詩―

「パパ ここ ノンノ」 娘が 初めて 言った まとまった 言葉だった おばあちゃんは 「言葉が しっかりと 言えたわ!」と 涙目に なった それからは 言葉の 魔術師のように 沢山の 言葉を 紡ぎだした 「お空 触りたいよぅ。 お月様 取ってよぅ。 風さん この籠に 入れてよぅ。 お空を トンボと 飛びたいよぅ」 よく パパと 影踏みして 遊んだ 娘の影は 小さく 素早く動くので いつも パパの影ばかり 踏まれた 「パパの影 踏んだ!!」と得意げな 声が あぜ道に 広がっ

次男の不登校で一番私が困ったこと

*小1の終わり頃から不登校気味の 現在小2の次男について振り返っています。 思うに私はまだラッキーだったと思う。 子育てをほぼ終了している人や 不登校児と向き合っている人たちと オンラインで出会っていた。 だから、いろんな話を聞いていく中で不登校や 発達障がいといわれる子どもたちの話に対して、 ある程度の知識と免疫がついていた。 そして、まがりなりに子育てをしていく中で うちの次男くんは一筋縄でいかないニオイが ぷんぷんしていたので(笑) それなりの覚悟はできていた。

それでも、ボクたちは愛し愛され生きていくのさ

「誕生日、何たべたい?」 案の定、僕と違って食にあまり執着のない彼からは、なかなか答えが返ってこなかった。 仕方がないから、僕からいくつか候補を提案した結果、 今年の記念すべきバースデーディナーは 天ぷら に無事に決まったのだった。 そして、彼の誕生日当日の6/14、はやる気持ちを抑えきれない僕は、お店の予約時間の30分前には最寄駅に着いていた。 途方に暮れて思わず仰いだ天が、なんだかとてもいい感じで、それだけでちょっと感無量になる。 なんとなくオザケンのあの

一生ボロアパートでよかった⑳

 父の会社には、夕方になる前には向かいました。駅からのその行き道で、私は再度周囲の家々の外観を見て楽しみました。 「この家は古いけど庭の手入れが行き届いているから、きっと家族仲も良いに違いない」 「この家は新築だから、きっと家族みんなこれからもずっとその幸せが続くんだと信じているに違いない」 「この家は子供がいるけど遊び道具がないがしろに外に置かれているから、きっと子供も親にないがしろにされているに違いない。」  そうやって他所の家庭状況を推測して楽しみました。自分の家の

💞Voicy放送20回目記念💞9月放送一覧&夢でまた逢えたら~18年一緒に育った猫リリの話

9月7日にVoicyパーソナリティを始めて 今日9月30日に20回目の放送になりました! 週に5回以上のペースで放送しています。 段々と慣れてきた気がします☺️ 20回目の記念と初心に戻って10月を始めるために 私がVoicyパーソナリティに応募するきっかけになった猫リリの話を改めてVoicyで朗読しました。 是非お聴き頂ければ嬉しいです。 9月に配信した全20回の一覧はこちらです。 ご興味があるテーマがありましたら是非クリックの上、お聴きください♪

雪虫の舞う庭で。

春。 猿が小脇に野菜抱え森へ帰る田舎から上京した季節。 東京。 空の星は見えないと聞かされていたけど見えた都市。 部屋。 親のすねを齧りつつ初めて手にした自分だけの空間。 引越。 2tトラック借り親戚総出で僅かな荷物運び込む作業。 家具。 私の意思などはないと父親が勝手に買い揃えた静物。 円卓。 丸い緑のサイドテーブルは大き過ぎ居場所奪う存在。 なんだよ、これ。しかも、広がるじゃん。 父親。 癇癪持ちで、乱暴で、見栄っぱりで、声がでかくて、やることが大袈裟で、繊

「母さんから受け継いだ物」ー詩ー

ボクが 母さんから 受け継いだのは 金魚の あぶくみたいに プツリ ぷくぷくと 独り言を いう癖 きれいな 包装紙を 捨てずに 折り目を伸ばして しまっておく 癖 象牙色のつめを 陽にキラキラさせて 千代紙を 折りつつ 昔の はやり歌を 口ずさみ 折角 折った 千代紙を 広げては また 折り返す癖 涙が 出そうなとき 小さな ハンケチだして 「目に ゴミが入っただけ」と 眼がしらに あてて 言い訳する癖 何を しても どんな 時にも 私はいいから 私はいいからと 人に

ボクにはピアノがない、だけど、キミにはドラムがある

子供の頃の流行歌だった 西田敏行の 「もしもピアノが弾けたなら」 まだ幼かった僕は、この歌のサビの歌詞、 だけど、僕にはピアノがない 君に聴かせる腕もない を聴いて、文字通り、 両腕がない男性の歌だと思って、必要以上に切ない気持ちになったのを昨日のことのように思い出せる。 まあそんなどうでもいい記憶はさておき、こんなにも音楽が大好きな僕はあくまでいわゆる聴き専に過ぎず、ピアノに限らず楽器の類が全く出来ない。 実際、大学時代の夏休み、実家でアコースティックギタ

高齢になるということ③

前作を書いたのは夏真っ盛りの8月で、あれから早いもので、もう3か月目に入ろうとしている。 あの頃は、ケアマネさんも事業所も、介護レンタル用品も福祉サービスも義母のケータイも…すべてが「新規契約」の嵐の日々で、毎日がドタバタ劇場だった。 諸手続き&諸準備に追われた私と夫は、あまりの忙しさに生も根も尽き果てて、そこに夏の酷暑も加わり、ヘトヘト疲れ切ってしまった。 ここまでが、前回のおはなし。 ◇ その後「週の中で5泊は施設に泊まり、2泊は自宅に帰る」というペースが、義母

ずっと蓋をしていた弟とのこと。

最近、紙のノートに自分の気持ちを書く「モーニングノート」とやらを始めました。 朝起きてすぐに自分の思ってることを何でもいいから書くという朝日記みたいなもの。 noteでも日々いろんなことを書いていますが、自分の気持ちに偽りはないにしろやっぱり人に見られる用の文章になっているかもなと思い、もっとざっくばらんにどんどん書いてみようと思ったのです。 モーニングノートを書き始めてふいに出てきた「弟」のこと。 実は私、2つ下の弟がいるのですが、この弟がまー癖が強いと言いますか、

自分から知りにいくこと~戦後79年

ある小説をきっかけに身近な人の過去を知る 昨年のある日、私は好きな作家さんのある小説を読んだ。第二次世界大戦中から始まるその物語は決して戦争の話ではない。その時代から始まり、現代までの数世代に渡る家族の話だ。 しかし私はその小説を読み始めてすぐ、物語の序章にあった戦時中に日本がとったある国策に個人的に注目した。 というのも、その少し前に実家に届いた私の祖父にまつわる本に同じワードがあったからだ。 ある日届いた祖父にまつわる本と、見つけた新聞記事 実家に届いた本とは、私

会えなかった子へ想いをよせるとき

友達に誘われてお出かけした行き帰りの電車のなかで知らされたこと。 友達とはお互いの娘たちのことで話がはずんでいた。 私より若くに結婚したけど、なかなか子どもができなったことなどいろいろ話してくれた。 趣味が合って、一緒に話すと楽しくなる。明るい彼女の違う一面を知った。 普段の何気ない会話でわざわざ流産したなんて、人に言う人はいないだろう。顔を見たってそんなのわかるはずもない。 望んでいた双子ちゃんが流れてしまったとき、どんなにつらかったろうね。 その悲しみを想像すると、

秋の夜長にオススメ、大正ミステリー【#読書感想文】

これから涼しくなるであろう秋の夜長に、ぜひ読んでいただきたい作品と出会ったので紹介します! 永嶋恵美・著『檜垣澤家の炎上』です。 時代は、大正。物語の舞台は横濱である。 主人公・かな子は、幼くして母を亡くし、横濱の貿易商で大富豪の檜垣澤家に引き取られた。 亡き母は、当主・要吉の妾だったのである。 檜垣澤家では要吉の本妻・スヱが、経営手腕を発揮し、"大奥様"と恐れられ一族に君臨していた。 そう言われる檜垣澤家は、腹の底が見えないスヱやスヱの娘・花、花の娘で、かな子のこ

お父さんがいない父の日に思うこと

きのうは"父の日"でしたが、『お父さん、ありがとう』ということばを目にするたびに、心の表面にさざ波がたつような感じをおぼえました。 わたしが11歳のとき、両親が離婚しました。 まえぶれのようなものはなにも無く、ある日から父親が家に帰ってこなくなりました。 仕事からの帰宅時間がいつもおそくて、忙しいときには職場に泊まりこむこともあったので、最初の数日間はあまり気にかけていなかったのです。 "お父さん、ぜんぜん帰ってこないなぁ…?" そう思いはじめたころ、母親から離婚することに

「ほのかな 愛の暮らし」-詩―

どちらかが 天に 召されるまで 一つ 屋根の下で 暮らし つづけたい 小鳥の さえずりで 朝が 訪れ 同じ 目覚まし時計の音で  「おはよう」のハグ 二人で 地下鉄に  乗り 同じ駅で 「いってらっしゃい」と 目を みかわす 金曜の 夜は 駅前の 花屋で 花を 買い スパークリングワインの 泡の間から 白い百合と 君のギリシャ彫刻の横顔の 美しさに 酔う 二人の愛は 影を 絡ませながら 夜空の 星と同じように ひっそりと 光 続ける (2022年作品のリライトです)

「回り灯篭の中の夏祭り」詩【リレーnote11日目】

ずっきーさん企画『真夏のリレーnote』に初参加させて いただきました。 青松里香さんからバトンを受け取りました とても切ない花火大会の出来事を 奇麗な文体で 細かにつづっていらっしゃいます 是非 ご一読ください 題「回り灯篭の中の夏祭り」詩子供の頃の 一番の想い出は 八幡神社様の 夏祭り。 心の 思い出箱の中では 記憶の粒が キラキラと輝く。 お祭りの朝 家の前の通りは 浴衣姿の 母さんのような 淡い 美しさの 人の流れができる お神輿は 金色の鳳凰が、屋根で  大

一年、長野旅行をふりかえる

9月7日は父の命日。ちょうど一年が経つ。 その日私は長野にいた。旅行に行っていたのだ。 旅行の少し前に見舞いに行ったけど、コロナ禍で面会制限があり結局病室には入れなかった。 旅行に行くのは迷ったけれども前々から決めていたことだし、医者の見立てでは大丈夫だろうということだったので、出かけることにした。 でも結局旅行の間に父は亡くなってしまった。  私はなんで実家に帰らなかったんだ… やっぱり後悔した。 上田駅から実家に帰る新幹線の中で声を殺して泣いた。多分周りから

夫のバジル🌿

公開記事 猛烈社員だった夫が転職し、 ここ何年かで、夫か料理に目覚め、ついでに洗濯、ゴミ出しをするようになりました。 さらに、猫の額ほどの庭で植物を育て始めるように‥。 読者の皆さまは、「猛烈社員」という言葉をご存知の世代でしょうか。蛇足ながら説明すると、戦後日本の高度経済成長を支えた朝から晩まで猛烈に働く会社員のことを指します。その後、バブル経済の頃には栄養ドリンクのCMで「24時間、戦えますか?」と、土日祝日なく朝から晩まで働く文字通り24時間仕事をする、そういう社員を

【妊娠と母と】私の心のダムを決壊させるための記事です

悲しい。苦しい。動悸がする。 自律神経が乱れている。ストレスが溜まっている。心に涙がたっぷたぷに溜まっている。もう、溢れそうだ。溢れさせてしまいたい。そのためにこの記事を書く。 ストレスの原因は、私の母にある。 愛おしくて憎い。 憎くて愛おしい。 母が原因だ。 我が子のベビーカーを選ぶのに、母と喧嘩した。 私が求むベビーカーと、母が求むベビーカーが違っていた。「まにょの好きなやつにたらいいからね」と言いながら、「自分のためを思うならあんたのほうにして、ほんまに赤ち

【後編】父と母、姉、そして私ー脱北こぼれ話 #66

こんにちは! 今回は早速「父と母、姉、そして私ー脱北こぼれ話」の続き(後編)を書いていきます。 母とまともにお別れの挨拶もせず、私は国境地域を目指して出発しました。 その後、私は国境地域にあるソンボン市という街に行き、父の友達に会って事情を説明しました。 彼は長女の(私より一つ年上)セラさん(仮名)と一緒に中国に行き、私がもし日本に行ける時は長女も連れていってほしいといいました。 私は彼と約束しました。 可能な限りセラさんと一緒に日本に行けるように努力する。それが難し

あえて修羅場に突っ込むスタイル(ゴミ屋敷清掃編)

おはようございます、ほっしーです。 (4月下旬のお仕事です) 最近ちょっと日雇いを楽しみすぎとる。 いや全然それでえーねんけど、もうちょい刺激というか、修羅場をくぐらんとあかんのんとちゃうんちゃう? そう、わしはドMやから🤣 とはいえ、身体に致命的なダメージを喰らうと本業や家庭に支障をきたすから、それはアカン。 ならば、これならどーや。 ゴミ屋敷の清掃業務❗ どや、ゾックゾクしてくるやろ❓ いや、募集がポンッと出た時、めっちゃ迷ったよ。 テレビとかで見る分にはえーんやけど

わたしたちは愛されている

今朝、寝ぼけ眼でLINEを開いたらパートナーからたくさんの連絡が来ていた。noteが添付されていたので読んでみたら、まあボロ泣きした。 パートナーとはこれまでいろんな話をしてきたので(本当にびっくりするくらいずっと喋っている。。。)、「よかったね〜」「そうなんだよ、あなたは家族にめちゃくちゃ愛されているよ〜」とどんどん気持ちが込み上げてきて、なんだかとってもエモい朝だった。 本当は今日は早起きして明日の引っ越しに備えて準備をてきぱきとやる予定だった。でも、泣いた余韻のせい

9月13日。余命宣告された父が亡くなった日

2020年9月13日。 父が70歳で突然の余命宣告を受け、数ヶ月で亡くなったその日。 もう4年がたった。 毎年この日は、少し特別な気持ちで迎える。 家族で墓参りに行く 亡くなってからもう何度もお墓参りには行ったけど、久しぶりに家族総出で行った。 母と、弟と、弟の子ども達。 大体、墓参りに行く日は、ものすごく天気がいい。 亡くなった日も、驚くほどに、天気がよかった。 深夜に病院に呼ばれて、結局次の日の昼まで病院で過ごした。 いつ亡くなってもおかしくない状態。 コロナ

10才の娘と初めての2人旅──東海道新幹線60周年エピソード【入賞作品】〔PR〕

sponsored by JR東海 この春、10才の娘と初めての2人旅をしてきました。行き先は大阪。 東海道新幹線のぞみで東京駅から新大阪まで2時間半の旅です。 娘は初めての新幹線、そして大阪、ユニバ旅行となり、予約をした3か月前から毎日がワクワクの日々でした。 親の私は何回か新幹線の乗車経験もあり、大阪もユニバも経験済みでしたが娘同様に毎日楽しく準備期間を過ごしている自分に驚きました。 というのも、私は幼少期から旅の記憶が薄く、仲間や家族にエピソードを言われても写

病院帰り、日暮れの散歩

今日、事情があって初めて通う病院から帰ってきたら、緊張と不安がほどけて涙がぽろぽろこぼれてしまいました。 家族が心配して、もう日はとっぷり暮れているけれど、 ”散歩、いかない?” と誘ってくれました。 涙をぬぐって、いざ出発です。 近所の大きな河原を二人で黙々と進みます。 散歩って、ただ黙々と歩くだけ。 これまで、歩くことそれ自体にそこまで意味を見い出せなかったのですが、今夜の散歩はひと味違いました。 何も考えないで河原を歩くと、頭の中でぐちゃぐちゃになっていた「不安

70歳と93歳の女子達に「ネイルの時間」をプレゼントしてみた

いくつになってもキレイでいたい。 そんな気持ちは、絶やす必要はないのだよ。 家族がいなくなる 私の母と祖母はそれぞれ70歳と93歳。 それぞれ4年前、そして先日、最愛の夫(私からすると父と祖父)を亡くした。 私にはその気持ちは計り知れないけれども、その一部始終は見ていた。それは心から「お疲れ様でした」と言いたくなる体験だった。 最愛の人はいなくなった。 でも、人生は続いていく。 彼女達は今もたくましく、静かに日常を生きている。 父が亡くなってから、母のことは以前より

【前編】父と母、姉、そして私ー脱北こぼれ話 #65

こんにちは。 今日は私が最も触れることを避けていた“家族の話”に踏み込んでみようと思います。 noteを始めたとき、家族のことだけは書く自信がなかったため、質問が来ないような書き方を心がけていました。 しかし、最近、私の考えは変わりつつあり、自らに課したタブーを破ることにした次第です。 私の家は4人家族でした。 父と母、姉、そして私。 父と母はともに医科大学を通信で卒業し、父は医療機関に勤め、母は家にいました。 姉は私より2歳年上、ハムン芸術学院でクラシックギタ

とんとん、とん

私は現在、パニック障害という病気の治療の為、月に一度通院しています。 カウンセリングと数種類の薬の服用が必須です。 それと合わせて、適度な運動やストレッチなども、先生のアドバイスもあって日課としています。 毎朝仕事に行く前、夕ご飯の前か食後に、計三時間ほどウォーキングをして汗を流すよう心がけています。 晴れた日は飲み物を持参し、雨の日は傘をさして歩いています。 いつもの見慣れた田舎道ですが、新しい発見があったり、こうして書く文章を考えたりと、とても大事な時間です。

家族とは、同じ苦楽を共にし、同じ飯を食べる人々だ!【自己紹介編】

ついにnoteを始めてしまった。 始めるきっかけは何個かあるけど、その話はおいおいするとして、まずはメインの話で出てくるであろう我が家メンバーの自己紹介をします。 我が家は五人家族で、家族構成は夫、私、長男(8)、次男(5)、長女(3)である。 長男は、誰の遺伝子を貰ったのか愛らしい顔立ちで優しく、気遣い屋さん。何でも万能にこなせるタイプ。 次男は、私の分身みたいな顔立ちでお笑い担当。素直でまっすぐ。何でも1位を目指す熱い男(笑) 長女は、THE女子、鏡を見ればウフ

夫のマフラーに貼りついていた一本の金髪が復讐劇の始まりだった💗「女医フォスター 夫の情事、私の決断」

《乱れ撃ちシネnote vol.224》鑑賞日:2024年9月7日 Amazon Prime Video「女医フォスター 【Introduction】 前回の「ホワイト・プリンセス エリザベス・オブ・ヨーク物語」 のジョディー・カマーがあまりにも素敵だったので、 この作品を観た。 24.09.07(03)-☆☆☆- 「女医フォスター 夫の情事、私の決断」 トム・ヴォーン監督 2015年 イギリス ある日夫のマフラーに貼りついていた一本の金髪を妻は見逃さなかった。 妻が夫

家族のかたち

小さいころから自己主張が苦手な子どもだった。 4歳下の弟が甘やかされて育ってわがままだったからか、 引っ越しと転校が多くて内気がちだったからか、 なぜかはよく分からないけど。 親に対してありがとうが言えない。 これが欲しいとか言えない。 泣くこともできない、体調不良を訴えることもできなかった。 私の家庭環境が最悪だったのは私が小学校高学年くらいの時だっただろうか。 例にも漏れず反抗期を迎えた弟が暴れまわり、 ろくな躾をしてこなかった父親は殴る蹴るで黙らせようとし、 母親

「写真は構図が命!」は本当なのか?家族写真が教えてくれるもの。

いい写真とは?の定義を調べたり、聞いたりすると、まず出てくるのは「構図」の話ではないだろうか。 どれだけ高級なカメラでも、被写体が美しくても、構図がバラバラではいい写真とは言えない。みたいな話をよく耳にする。 でも、これって本当にそうなんだろうか? 家族が人生を終えるたびに写真を見返すが、結局のところ大切に持っておきたい写真に共通するのは、構図ではない。 なんだか違う気がする。 家族写真が教えてくれるもの最近は気軽にフォトグラファーの方に写真を撮ってもらえる時代にな

お疲れワーママの、自分へのご褒美がわからない問題に終止符

以前、ワンオペも続いたし、小1の壁も落ち着いたし自分へのご褒美でも…と思ったのに何をご褒美にしたら良いのかわからない記事を書いた。 そしてやっと昨日今日とこの問題がスッキリ解決した気がする。 昨日は家族で近隣の県へ出かけた。 その帰り道に、高速のカーブを抜けるとまん丸でおっきな、醤油に大事に漬けた卵の黄身のような夕日が見えた。 空が広くて、オレンジ色の夕日の色が一面に広がってそれは贅沢な夕日だった。 いつも、窓の向こうに、それもビルとビルの隙間に僅かに見える夕日の余韻

虎に翼 第120回 綺麗な水と愛の概念

お試し的にトラつば、と略して呼んでみるのは親愛とか馴れ合い感覚の確認でしょうか。こういうカジュアルな作文をする際はそれほど厳密を求めませんが、何かや誰かを略したりニックネーム呼びしたり、何らかの空気を共有しているクラスタから発生した新語や流行り言葉を「ふむふむ、なるほど」と眺めるのはともかく、気安さの表象として使ったり、ファッション的な自分アピールとして着こなしてみせたりするのは、かなりイヤなほう、だと思う。 第24週は、寅子が「水源のようなもの」「綺麗な水(法の比喩)を守

美代の耳に残る昭和の声③

昭和34年。私は20歳を迎えたばかりだった。戦後の復興が進み、街は活気を取り戻しつつあったが、私の心には深い悲しみと不安が渦巻いていた。 あの年、私は一度に二人の兄弟を失った。兄の修一が自ら命を絶ったという知らせが届いたとき、全てが一瞬で凍りついたように感じた。家族の中でいつも明るく振る舞っていた兄が、そんな選択をするなんて、誰も想像していなかった。父は商売に没頭し、母は家庭を支えるために懸命だった。そんな中で、修一は一人で悩みを抱え、どこにも逃げ場がなかったのだろうか。

"理想の家族像"を探して。 23回のホームステイで教わったラテン流の「家族とパートナーシップ」【エクアドル🇪🇨コロンビア🇨🇴】| 23,24/54ヶ国目 | 世界一周ふりかえり

「家族とパートナーシップ」 それは私たち夫婦の旅の中でのひとつのテーマだった。 長時間労働や性別役割分業。 そういった問題を抱えた日本社会を生きる大人たちの姿を見て育った私たちは、家族を持つことが”制約”になるのではないかという漠然とした恐れがあった。 だから、世界中のいろいろな家庭や人の生き方に出会って、 理想のあり方を自分たちで考えたいと思い旅を始めた。 そんな私たちの思いにまさに応えてくれたのが、中南米だった。 “ラテンカルチャー”の国は、家族の愛情がとても強