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腐らずに自分の気持ちを言える大切さ

ある日のこと。

息子(4歳)が、私のiPadの標準メモ帳アプリ&Apple Pencilでお絵描きをしていた。

iPadの標準メモアプリには、定規(ツール)というものがあって、それを使うと、実際の定規のように直線を引くことができる。

息子が、iPadのメモ帳の定規ツールを使って、直線を書けることを発見したようだ。角度も自由に変えて線をかけたので、お母さんのところに見せに行った。この投稿のヘッダ部分の画像である。

しかし、そもそもiPadをそんなに使えないお母さん。メモ帳アプリに定規があるなんてことも知らない。見せられものが何なのか、そもそも誰が書いたのか(息子が書いたのか私が書いて息子に教えたのか)わからなかった様子。「なぁに?それ」と聞いた。

とぼとぼ歩いてわたしのところに帰ってきた息子。「お母さんが、なにそれってゆった…」、と、寂しそうに言う。誤解なきよう言っておくと、「なにそれ」とつっけんどんに言ったというよりは、本当に何かわからなかったようだ。大人なら大して気になる口調ではなかったが、息子にとっては、お母さんに期待したリアクションではなかったということだろう。

あらら、と思い、私も一緒に行って、「iPadでお絵描きしてたら、真っ直ぐにお絵描きできたから、お母さんに見せに行ったんだよね」と説明してあげた。

それを聞いて、しまったと少し思ったのだろう。奥さんは、「そっか、お母さん気が付かなくてごめんね。でも、本当に何かわからなかったんだよ」、と話しかけていた。

それを聞いても、まだ不機嫌な息子。「なにそれってゆったのいやだった」、とだけ言い返す。

「そっか、ごめんね。じゃあ、なんて言って欲しかった?」

と聞き返す。すると、息子は「…すごいねとか、がんばったねとか、ゆってほしかった」と答えた。それを聞いて奥さんは、「そうか、わかった。頑張ったんだもんね。これからそうするね」と答えた。

この一連の流れを聞いていた私は、感動した。急にわからぬものを見せられたとて、息子の気持ちに寄り添い、冷静に対話を続ける奥さんにも。そして、「ふん!知らない!もうお母さんには見せない!」、となっても仕方のない4歳の息子の、自分の気持ちをきちんと言語化し、冷静に伝えられたところも。

家なら私が間に入ることができるが、保育園や学校だと、これができないと問題を解決することができない。友達や先生に、今なにが起こったのか、どう感じたのか、どう考えたのか説明できないといけない。そして最も重要なのは、「もういいや」、ではなく、腐らずに自分の気持ちを伝えようとする姿勢である。

子どもの話と侮ってはいけない。例えば夫婦や恋人でも、パートナーが不在の間に頑張って掃除したり、料理したりして、パートナーが帰って来た時につっけんどんなリアクションをされた場合に、きちんと「喜ぶかと思って頑張ってやってみたんだ」、と伝えられるかという話でもある。

それをせずに「あの人には伝わらないみたいだからもうやってあげない」、とはならず、きちんと対話を試みる姿勢は大切だと思うのだ。

そして我が家でそれを試み、またそれに応えた妻と息子も素晴らしいと思った。さて、近くでこれを見ていただけの私は、これを実践できているであろうか。

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