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美代の耳に残る昭和の声③

昭和34年。私は20歳を迎えたばかりだった。戦後の復興が進み、街は活気を取り戻しつつあったが、私の心には深い悲しみと不安が渦巻いていた。

あの年、私は一度に二人の兄弟を失った。兄の修一が自ら命を絶ったという知らせが届いたとき、全てが一瞬で凍りついたように感じた。家族の中でいつも明るく振る舞っていた兄が、そんな選択をするなんて、誰も想像していなかった。父は商売に没頭し、母は家庭を支えるために懸命だった。そんな中で、修一は一人で悩みを抱え、どこにも逃げ場がなかったのだろうか。

昭和30年代、戦後の日本は急速に変化していた。社会は新しい価値観や文化に染まり、若者たちはその中で自分を見失いがちだった。戦争の記憶がまだ生々しい中で、彼らは未来への不安と、家庭や社会からの期待に押しつぶされそうになっていた。兄もその影響を受け、孤独感の中で苦しんでいたのかもしれない。

修一がいなくなった後、家の中はまるで空っぽになったかのように静まり返っていた。父も母も、何も言わず、ただその場にいるだけだった。私は兄の不在にどう向き合えばいいのか分からず、日々の生活が灰色に染まっていくように感じた。

そして、弟の良男が後を追うように亡くなった。彼もまた、修一と同じように命を絶った。まだ未来がたくさんあるはずだったのに、彼もまた、その重圧に耐えきれなかったのだろうか。若者たちが自ら命を絶つことが、特に都市部で増えていたという話を、どこかで耳にしていた。だが、それがまさか自分の家族に起こるとは、信じられなかった。

父は、修一と良男を失ったことで深い後悔に苛まれていた。商売にかまけて、家族との時間を持たなかったことが、二人を追い詰めたのではないかと考えているようだった。町内会長から「商売も大事だが、家族との時間も大切にしなければならない」と諭された言葉が、父の心に深く刺さっていたのだろう。

母も、何も言わず、ただその目に深い悲しみを湛えていた。母がどれほどの苦しみを抱えていたのか、その姿を見ているだけで胸が締め付けられるようだった。家族を支えるために懸命に働いていた母も、兄と弟の死を受け入れることができずにいた。

私は、兄と弟を失った現実を受け入れることができずにいた。彼らがいたときの家族の温もりが、今はまるで消え去ってしまったかのように感じられた。家の中には、もうかつてのような明るさや笑い声はなかった。ただ、深い悲しみと静寂が広がっていた。

それでも、私は家族がこれ以上壊れてしまわないように、強くあらなければならなかった。兄と弟が教えてくれた家族の絆、その大切さを胸に抱きながら、私はこれからの人生を歩んでいくしかなかった。彼らの思い出を胸に、美代が見た景色は、これからも私と共にあり続けるだろう。

つづく

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