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9月13日。余命宣告された父が亡くなった日

2020年9月13日。
父が70歳で突然の余命宣告を受け、数ヶ月で亡くなったその日。
もう4年がたった。

毎年この日は、少し特別な気持ちで迎える。


家族で墓参りに行く


亡くなってからもう何度もお墓参りには行ったけど、久しぶりに家族総出で行った。

母と、弟と、弟の子ども達。

大体、墓参りに行く日は、ものすごく天気がいい。

亡くなった日も、驚くほどに、天気がよかった。
深夜に病院に呼ばれて、結局次の日の昼まで病院で過ごした。
いつ亡くなってもおかしくない状態。
コロナで病院も厳戒態勢。
なんとか家族全員が揃った。
酸素吸入でなんとか生きている状態。最後はモルヒネを打った。

亡くなるまでの間、一睡も出来ずに朝を迎えた。
強烈に赤い朝焼けが病室から見えた。



死に意味づけをするならば

「人が生きることも死ぬことも、自然なこと。
死んだら、自然にかえるだけだよ」

先日行ったモンゴルで、日本語ガイドくんがそう言った。
18歳まで自然と共に生まれ育った彼は、死と隣り合わせの体験をしていて、きっと死がもっと身近だったのだろう。

死ぬことは、人間にとって、もっとも自然なことなのだと改めて思う。

鬼滅の刃の煉獄さんも、こう言っている。

「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ、死ぬからこそ 堪らなく愛おしく、尊いのだ。」

煉獄さん


そうは言っても、この世から急に、その肉体がなくなることはなんとも不思議なことだ。
その人と過ごした日々や、存在そのものは消えることはないのに、存在がポッといなくなる。
だから、それを埋めるように、誰かの死に、私たちは意味付けするのかもしれない。
この人の生きた姿、そして死に際は、私たちに何を教えてくれたんだろう。
私自身は誰かが亡くなった時、そんな風に考えることが多い。
父の死はまさに、私にとって大きな意味があったものだった。

人生が変わるきっかけをもらった

人生を大きく変える決意をしたのは、父の死がきっかけだ。
40歳で13年勤めた会社を退職した私は、度々「よくそんな決断ができたね」といろんな人から言われる。
理由はシンプルだ。
「自分の命を無駄にしたくない。後悔なく生きたい」
そう強く思ったから。

父と本当にさいごのさいごに約束したことは、たった一言だった。

「幸せに生きます」

「幸」という字は、父の名前の1文字でもあった。

心から「生きてよかった」と思える人生にすることを、その日から私は決めたのだ。


自分のルーツを意識するようになる

自分のルーツ、家族、を意識するようになったのも、父の死がきっかけだ。

父は小学校の教員だった。
ちょうど亡くなったタイミングで、父が20代半ばの頃に、初めて卒業生を送り出した時の卒業アルバムが見つかった。

そこにあった言葉。

「子どもゆえに、常に可能性があるのみである」

ちょうど、採用・人事の仕事にどっぷり浸かり、人の人生の岐路に何度も立ち会ってきた私は、その言葉を見て「ああ、自分のルーツはここだな」と思い知った。
教育、人を育てること、人の可能性を信じること。
自分が一番、胸高鳴るテーマのひとつだ。

そういえば、父も母も教員で、私が子どもの頃、二人ともよく、互いの仕事の話をしていた。私が記憶している限り、常に、生徒達、子ども達の可能性を大切にしていたように思う。

そんな環境が、なんとなく「人」への興味に導いたのかもしれない。

20代半ば。まだ若く、教育への情熱に溢れていた父は、どんな気持ちでこの言葉を書いたのだろうか。

さいごになった父と母との旅行。
2020年7月のこと。


別れに後悔しない関わり方を

これも、父の死をきっかけに思うようになった。
私は、基本的に人に対してはドライな方だ。
というか、誰にでも彼にでも心も力も尽くしたりしない。できない。
マザーテレサのように、誰にでも分け隔てなく与えられることができたらいんだろうけど、そんなにできた人間でもない。
私の場合は、たとえこの人から何も返ってこなくてもいい、今受け取ってもらえなくてもいい、と思える人を、おそらく無意識的に嗅ぎ取って、自分の時間と心をかけるようにしていると思う。
ほどよく、人でなしの自覚がある(笑)
でも、だからこそ、ここと決めてエネルギーを注ぎ込んだ時は、とことん注ぐ。大きく何かを動かすことも、ある。

そんな私だが、父が亡くなるまでは、一番身近である家族に対しては、時間のかけ方が最小限だった。
人は不思議なもので、身近な人ほど甘えも出て、時間をかけなくなる。安心感もあるからだろう。


でも、今、共にいられることは奇跡なのだ。
突然別れがやってくることなど、当たり前のようにある。

母は「もっと優しくしておけばよかった」と時折言っていた。
確かに、父に対して、誰より一番母は口調が荒かった。というか、父にだけだったのではないかと思う。それは、最大限に気を許していたのだろうけど、亡くなってから後悔したようだ。
父はきっと、気にしていないだろうけども。

きっと次の大きな別れは祖母、そして母になるだろう。
だから以前よりも、なるべく一緒に出かけたり、時間を過ごしたり、やり取りをするようになった。弟もそれを意識しているように見える。
今一緒にいる人達は、いつか別れが来る。

余談だけど、安藤サクラが、柄本佑と結婚した理由が結構好きだったりする。

「『この人なら離婚していいや』と思って結婚したの」

「『どんなことが起こっても、この出会いでその時間は、絶対に自分にとってそれ以上のものになる』って思った」

生まれたら死に向かうように、
出会ってからは、いつかの別れに向かっていると私は思っている。

仮に離れることになったとしても、共に過ごす時間を尊く素晴らしいものにしたい、そう思える人と、過ごせばいいと思っている。
人生で本当の本当に大切なものなんて、そう多くない。

父が亡くなってから、人生のギフトと思える出会いが、私の目の前にたくさん訪れた。本当に、感謝しかない。


さて、今の私は父にとってどう見えるのか

4年前の自分よりずっと、今は自分の人生を生きている感覚がある。
「お父さん、あの時より私は、ずっと幸せだよ」
それは一番伝えたいことだ。

もちろん、未熟なところはまだまだあるし、人に迷惑をかけることもあるし、傷ついたり、泣いたりすることもある。
でも思いっきり笑ったり、楽しんだり、幸福感に包まれたり、そんな瞬間が人生において格段に増えた。

まあ、お前結構頑張ってるよ、俺なんかよりよっぽどすごいわ。

のんびり屋だった父は、多分今の私にそういうだろう。
オッケー。また頑張るよ。



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