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70歳と93歳の女子達に「ネイルの時間」をプレゼントしてみた


いくつになってもキレイでいたい。
そんな気持ちは、絶やす必要はないのだよ。


家族がいなくなる

私の母と祖母はそれぞれ70歳と93歳。
それぞれ4年前、そして先日、最愛の夫(私からすると父と祖父)を亡くした。

私にはその気持ちは計り知れないけれども、その一部始終は見ていた。それは心から「お疲れ様でした」と言いたくなる体験だった。

最愛の人はいなくなった。
でも、人生は続いていく。
彼女達は今もたくましく、静かに日常を生きている。




父が亡くなってから、母のことは以前よりも色々外に連れ出すようにはなった。それでも、高齢の祖母を1人残して出歩くことは気が引けるようで、あまり外出したがらない。家にいながら何か、「楽しいこと」を運んでこれないかなと、常々思っていた。

そんなある日、母がぽろっといった。

「最近爪が弱いから、ケアしたいのよね」

これだ!と、思いついた。

本人が出かけることを躊躇するなら、家に呼んでしまおう!

早速、駆け出しのネイリストの友人、さよちゃんに相談した。

「あのさ、うちの実家にきてくれない?母にネイルをプレゼントしたいんだけども」

自分の家はともかく、「実家」に友達を呼ぶって、大人になればなるほどそんなにない。
いや、もう何年も記憶にない。
でも母が、自分からネイルサロンに出かけていくイメージもない。だったら呼んでしまおう作戦だ。

さよちゃんはいった。

「ぜひ!ちょうどさ、お母さんとか奥さんに、
″ネイルをする時間″を贈り物にするサービスやりたくってさ!」

天使のような回答が返ってきた。持つべきものは友人だ。本当にありがとう。

母はびっくりしていたが、日に日に楽しみにしているようだった。

思いついてから2ヶ月。
ついに実現する日が来た。


友達がはるばるネイルをしに実家に来る

「うちでお昼食べたら?ミートソースならあるわよ」

母親っていうのはどうにも、娘やら、その友人やらに何かを食べさせたがる生き物らしい。
結局その日は、さよちゃんがお昼頃に実家に来て、お昼を食べてからネイルをすることになった。


さよちゃんは太陽のように明るい子だ。
「こんにちは!」と玄関に入った瞬間、実家の空気がはなやぐ。

「これ、お土産です!」と、彼女はピンクのガーベラのブーケを差し出してくれた。
なんという素敵な心遣いだろう。
ガーベラは、子どもの頃からよく、祖母に贈った花だった。

明らかに母と祖母の顔が高揚して、うれしそうだ。ほっぺはピンク色になっている。
彼女達くらいの年齢になると、自分よりずっっと若い人と接するだけで、きっと元気になるんだろう。

母が用意したミートソースを食べるさよちゃん。
ミートソースは、子どもの頃のごちそうメニューだ。
実家のごはんを、さよちゃんが食べている。
なんとも不思議。

美味しいですねえ!と褒められて喜ぶ母。さよちゃんは人の素敵なところを見つけることがとても上手だ。

「お母さんもおばあさんも、お肌綺麗ですね!」
確かに私から見ても、祖母も母もシミなどがほぼなく肌は綺麗だ。

70歳と93歳の女子達のほおは、ますますピンク色になっていった。

母のネイルケア

極めつけに、スイカやら桃やらがでてきた。
いつになったらネイルが始まるのか。

遊びに来ていた弟家族と共に桃を完食し、ネイルが始まる。

今回の目的は、母が自分でネイルケアをできるようになること。
家でできる簡単なケアをやってもらう。

一生懸命に母の爪を磨いてくれる彼女を横目に、私はあまりに眠くて、ソファーで寝始める。

「あの子は、夜泣きが激しくて、夜泣きにきくお灸も効かなかったのよー」
「あの子は、本当に反抗期が激しかったのよー」

母の声がうっすら聞こえる。

でた。秘技「子どもの頃の暴露トーク」。
親にしか出せない、必殺技だ。
そうなんですね!と興味深々にきいてくれるさよちゃん。

母の知らない私がいて、さよちゃんが知らない私がいる。なんだかそれがとても不思議だった。

気づくと母の爪には、きれいなピンク色がのっていた。

93歳。生まれて初めてのネイル

興味深そうにみながらも、涼しい顔の祖母。
おしゃれすることは、私には関係ないわと言わんばかりに。

「ねえ、おばあちゃんもせっかくだからやってもらいなよ」

何度も勧めてみた。

とんでもない!と力いっぱい、頑なに断る祖母。

「いいよ、こんな93歳のお婆さんなんだから、、、、」

祖母は良家の生まれ。
昔から品がよく、身なりには気を遣っていた。
そしてよく祖父と出かけていた。おしゃれは楽しんでいたし、実際よりもだいぶ若く見える。おばあちゃん美人だねとは何度も言われた。でもそれは天然の美しさというか、基本的なケアのみという感じ。

出歩くことがめっきり減って、オシャレもしなくなっていた。1番大事にしてくれた人も、つい最近亡くしたばかりだ。

そんな祖母に半ば強引にすすめた。
やってもらいなよ!と。
自分をケアしてきれいにすることが、今特に、必要だと思った。
観念した祖母は、しぶしぶさよちゃんの前にすわった。

そしてネイルケアが始まる。
祖母のネイルケアは、ただ磨くだけ。
でも磨くことで、どんどん爪が輝いていく。

ただ磨くだけで、ピカピカになっていく。

あそびに来ていたおいっこが、興味深々に覗きにくる。
すごいね、綺麗だねと、キラキラした目でみつめる8歳。
ほんのり嬉しそうな、93歳。

きれいだね。
そのたった一言が、いつだって女性を輝かせる。


一番きれいな時にオシャレができなかった

ケアしている最中、祖母は戦争のことを、さよちゃんに語り始めた。
祖母は戦争を体験している。

「いつも入る防空壕に行こうとしたら、そこに爆弾が落ちてね。なんとか生き延びたの」

「戦争が終わった時、ちょうど高校3年生くらいの年齢だったわね」

私は何度も聞いた話だ。
祖母が女学校時代に、なんとか生き延びた話。
一歩何かが違ったら、私はこの世に生まれていなかったのだと感じるエピソードだ。物心着いた時にすでに「おばあちゃん」はいなかったさよちゃんにとっては、すごくその話が新鮮だったようだ。

ソファーでうつらうつらしながら、祖母の話を聞いて思った。

ああ、そうか、この人は若くてきれいな時代に、きれいにすることができなかったんだ。

それは、茨木のり子さんの、詩の一部が浮かんだからだ。

わたしが一番きれいだったとき  
茨木 のり子


わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

生まれてはじめてこんなに爪をきれいにしたわ。ありがとう。

そう言われたさよちゃんは、泣いていた。


豊かな時間を贈り物に

ピカピカになった爪を、そのあとも恥ずかしそうに、でもうれしそうに眺める祖母。
もちろん母も。
「仕事に関係なくまたきてね。ありがとう」と、さよちゃんに言う。

「こんな機会をいただいて、ありがとうございます」

何度も何度もありがとうと言うさよちゃん。
私の周りには、ありがとうの輪が生まれていて、私はただそこにいるだけ。
それだけだけど、とても心地が良かった。

70歳と93歳の女子達に「ネイルの時間」をプレゼントしてみたら、誰にとっても幸せな、あたたかな世界がひろがっていた。

私たちはとかく、自分で制限をつけがちだ。
年齢という数字も、自分を縛りやすいものだ。
でも、いくつになってもキレイでいたい。
そんな気持ちは、絶やす必要はないのだよ。




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