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お父さんがいない父の日に思うこと

きのうは"父の日"でしたが、『お父さん、ありがとう』ということばを目にするたびに、心の表面にさざ波がたつような感じをおぼえました。

わたしが11歳のとき、両親が離婚しました。
まえぶれのようなものはなにも無く、ある日から父親が家に帰ってこなくなりました。
仕事からの帰宅時間がいつもおそくて、忙しいときには職場に泊まりこむこともあったので、最初の数日間はあまり気にかけていなかったのです。
"お父さん、ぜんぜん帰ってこないなぁ…?"
そう思いはじめたころ、母親から離婚することになったと告げられました。理由は、性格の不一致・価値観の相違、とのこと。

母親と暮らすことを選び、母子家庭になりましたが、もともと二世帯住宅で母方の祖父母と生活をともにしていたので、寂しさを感じることはあまり無かったです。

ただ、住んでいた家が父親名義の持ち家だったので、わたしたちは家を出て引っ越すことになりました。

住宅や養育費などの経済的な話し合いを重ねていくうえで、父が提示する条件が厳しめなことが多かったようです。(具体的なことはわたしには多く知らされませんでしたが…)
いつしか、祖母は「あの人(わたしの父)は鬼やわ。結局あの人は自分の子どものことも愛していなかったんや」と口に出すまでに、父をうらむようになっていきました。

わたしは、顔も性格も父によく似ています。
並んで立つと、ぱっと見て親子だな、とわかるくらい。特に笑ったときの顔はそっくり。

祖母のことばを耳にするたびに、"じゃあ、わたしは鬼の子ってことになる。お父さんに顔がそっくりだから、おばあちゃんとお母さんは、わたしの顔を見て嫌な気持ちになったりするのかも…。性格も似てるから、わたしもいつかお父さんと同じように、嫌われてしまうのかな"なんて、苦しい気持ちになっていたのですが、その悩みを話せる相手もいませんでした。

母からも、父を非難するようなことばを聞くことがありました。
それでもわたしは、父を否定したり、嫌いになったりする気持ちにはなれなかった。

離婚の経緯や協議の内容については、母からの説明しか聞いていませんでした。
そのときの父の考えや気持ちを直接聞く機会がわたしには無くて、母のことばだけで状況を認識するのは、父に対してフェアじゃない。
そんなふうに考えていましたし、母と一緒に暮らすのを選んだことについて、父を切り捨ててしまったような罪悪感を抱いてもいたのです。

今のわたしからすると、"いろいろと考えすぎだし、背負い込みすぎたよ!"って、あの頃の自分に声をかけてあげたい気持ちが大きいです。
でも当時は切実に悩んでいたし、怖くてしかたがなかったなぁ。

結局、似ている部分はあるけれど、お父さんはお父さんだし、わたしはわたしだ。
そう思えるようになるまで、長い時間がかかりました。


noteで父のことについて書こうと決めて、文章を考えていたときに、離婚した年に父からもらったクリスマスカードのことを急に思い出しました。
手紙をもらったこと自体、すっかり忘れきっていたのに、父のすこし角張った文字や、カードに描かれていた天使のイラスト、そして文章の一部まで思い出して、びっくりしました。

"ことしはいっしょに、クリスマスケーキを食べられなくてごめんなさい"で始まる文章。お母さんとお別れすることになりましたと綴ったあと、

これだけはおぼえていてほしいです。
これからさき、どんなことがあっても、夏樹がお父さんの大切なこどもであることにかわりはありません。

ということばで、締めくくられていたのです。

文章を暗記してしまうくらい、繰り返し読んでいたのですね。
でも、ずっと手元に残すことが母に対して申し訳ないような気持ちになり、処分した記憶があります。

いろいろなことがあったけれど、この手紙を父が書いてくれたという事実だけで、わたしにはもう十分だなぁ、と感じています。

たぶん、もう会うことは無いと思うのですが、何が起こるかわからないのが人生だから。

もしも父とことばを交わす機会があれば、"あのとき、クリスマスカードを送ってくれてありがとう。うれしかったよ"って、真っ先に伝えたい。
今年の父の日は、そんなことを思いました。


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