◆透明な意識で対象・世界に対峙し、出来る限りありのままに現実を見ようとするには、逆説的ながら、そのままには見ないという方略が欠かせない。自由な心で、距離をとり迂回し、範型や虚構を用い、異文脈に置く等の作業を要する。遠い引照基準を多く備えるほど、対象の意味はより確度を増していく。
◆私たちは何を見ているのか、何をしているのか、を知るためには引照基準たる範型・範例が必要であり、それとの偏差分析(どこが違うか、どれくらい違うか)が必要である。この作業を直の事象でアドホックに行うのではなく、範型・範例の整理編成・吟味省察を別個に事前にしておくという人文知の役割。
死との距離感が今の日本人は狂っているのかもしれない 死から過剰に逃げていると逆の生きることからも逃げることになる 生存至上主義というのは死を過剰に遠ざけて生きることもできなくなってしまうものだと思う 生と死は二律背反の両面性を持っているもの、他方なくしてもう片方もなし
人間観の素通り。これこそが進歩主義者の大きな欠陥だと福田恒存は述べた 人文知ともいえる人間としてのド基礎を蔑ろにし、やれ経済だの、やれ平等だの述べているのは何ともおかしなことである 基礎を欠いた上に作ったものなどどれだけの手間とお金をかけても砂上の楼閣にしかならない