自然界の摂理は、栄枯盛衰だと思いますが、世の中には変わらない善さというものが有ります。 これは不自然の極みだと思います。しかし、何故か、私たち人類には、その変わらない善さを認識する力があります。 漫画「鬼滅の刃」の中で「永遠」についての哲学的な対話が登場します。 この漫画は、個体が物理的な永遠を追求することを悪、集団が精神的な永遠を追求することを善とする二項対立を描いたものだと思います。 それが本当に善いのか悪いのか、分からない訳ですが、少なくとも私たちはイイ事をする
「悪魔のひき臼」 何とも恐ろしい名前の道具ですが、黒魔術の道具ではありません。 イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクが叙事詩「ミルトン」(1804年-1810年)で、産業革命後の英国を指して用いた”dark Satanic Mills”に由来します。 これを経済人類学者カール・ポランニーが名著「大転換」(1944年)で、市場経済のメカニズムの比喩として引用したものです。 この「ひき臼」は、資本主義社会に生きる私たちの側でずっと動き続けているものなのです。 恐ろしいこと
「人生100年時代」というキャッチフレーズがありますね。私は100年生きられるという可能性や目的が示されるよりも、日々の生き甲斐を求めたいと思う方なので、このフレーズは今ひとつピンと来ません。 国がこれを持ち出すのはGDP成長を高めるために労働人口を減らすわけにはいかないからでしょう。無策にいきなり生産年齢を引き上げると、老体に鞭打って働かせる構図になり、いかにも不健全な政策に見えてしまいます。故に、「人生100年時代」というフレーズが必要になったのだと思います。 確かに
未来とは何でしょうか? 私が大事にしていることは、未来は勝手にやってくるものではなく、過去に基づく予測によって決まるものでもなく、創造するものであるという考え方です。 明るい未来、暗澹とした未来、霞の向こうの不明な未来、様々な捉え方が出来るでしょう。未来とは時間軸上、先にあり、現在とシームレスに繋がりのある世界です。常に「先」にあるがゆえに、その実像は五感では認識出来ないものです。 厳密にいえば人は「現在」も認識することが出来ません。現在を仮に知覚したとしても、脳内処理
日本では一般的に「利己」よりも「利他」で生きる事が尊ばれている印象です。 時にどちらを大事にするかで意見の対立が生まれる事もあると思います。そして、よく分からない人は何となく「利他」に収まっておくのが得策という「空気」に絡め取られがちだと感じています。 私は、利己と利他は対概念なのかどうか、という問題からよく考えることが大事だと思っています。そもそも何のために「利己」と「利他」を分けるのかということを考えなければいけないと思っています。そして、その視点の違いを理解し、社会
近代建築の三大巨匠の一人、ルートヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(以下、ミース)の言葉で、私がとても好きな言葉の一つです。 英語では、”God is in the detail.”と言い、経営者にもよく引用される名言です。 この言葉をより具体的に表現した言葉も残されています。それは「建築は2個の煉瓦を注意深く置く所から始まる」「建築には厳密な文法がある」というものです。ミースにとって建築物を構築するのは詩作と同じことだったのではないかと思います。 私がこの言葉を気
セールスとは売上、販売のことです。そしてセールストークとは、その為の手段です。 セールスパーソンにとって、モノが売れることは存在意義に関わります。モノがどのように売れるかを理解することが本質です。 世の中にはモノ売りが上手な人と上手ではない人がいますが、後者の人は、この本質を理解出来ていないことが多いと思います。 それが顕著に表れるのがセールストークです。モノ売りが下手な人は、モノの説明に時間を使ってしまいます。トーク全体の時間配分を見るとモノ売りの得手不得手が解ります
目的と手段。 当たり前の話ですが、目的と手段を間違えると本末転倒となります。タスクは完了すれど、問題は解決されず、という残念な結末を迎えます。 浪費した時間を回復することは出来ず、これによりゲームオーバーとなったり、新しい問題を引き起こしたりするでしょう。 期限までに時間が残されている場合も、課題を解決するために投入資源を増やして遅れを取り戻すことになり、貴重な資源の浪費になります。 さて、目的と手段を取り違える原因はなんでしょうか? 様々な理由はあると思いますが、
今、私たちが生きている時代は「現代」とよばれますが、これは近代末期とも捉えることが出来ます。 近代と次の時代を分つものを考えるために特徴を整理してみました。 近代は、組織的秩序、リニア経済と大量廃棄、生産性、権利平等化の時代。 近代の次の時代は、個人駆動、サーキュラー経済とニーズ個別最適化、創造性、権利自由化の時代。 ちょうどこの移行期に私たちが生きているように見えないでしょうか? 何が、近代の終焉を規定するか、一言で説明は難しいですが、誤解を恐れずにいえば、地球環
私は学校の教諭でも、塾の講師でもありません。 ですが、頭の中で問題用紙を作ります。 相手の理解を得るためのコミュニケーションには、教えるか、問いかけをするか、大きく2つのアプローチが取れます。 受け手は外から来る情報に対して懐疑的です。程度の差はありますが、相手の言葉には「本当か?」と穿った聴き方をしています。 従って「教える」というアプローチを取る場合は、この疑いのフィルターを抜けた分しか、相手に伝わらず、伝達効率が悪くなりがちです。 一方で、「問いかける」という手
「問題無い」という言葉があります。 面白いことにこの言葉が使われるシチュエーションは、実際には問題が有る時ではないでしょうか? それなのに、なぜ「問題無い」と発するのでしょう。 例えば、それは、相手を安心させるための配慮であり、今ここで問題を表明したところで、状況が大きく改善するわけでは無い… といった思考が働くからではないでしょうか? そもそも「問題が有る」と発するためには、一定の思考が発生し、脳が大きくエネルギーを消費します。そのため反射的に「問題が無い」と発する
「多様性は大事」 私もそう思いますが、何故そう思うのか、会話してみると全く違うことを考えている人がたくさんいることに気がつきます。 これは個人的な意見ですが、多様性が大事なのは一人で考えるよりも「面白い考え」が生まれるからだと思います。面白い考えというのは、独特な考えであり、インスピレーションを与える考えです。 問題に対する「答え」かもしれないし、答えに到達するためのアイデアかもしれません。いずれにしても、目の前の障害物を乗り越え、前に進むために必要な知恵だと考えていま