次の時代へ向けて
今、私たちが生きている時代は「現代」とよばれますが、これは近代末期とも捉えることが出来ます。
近代と次の時代を分つものを考えるために特徴を整理してみました。
近代は、組織的秩序、リニア経済と大量廃棄、生産性、権利平等化の時代。
近代の次の時代は、個人駆動、サーキュラー経済とニーズ個別最適化、創造性、権利自由化の時代。
ちょうどこの移行期に私たちが生きているように見えないでしょうか?
何が、近代の終焉を規定するか、一言で説明は難しいですが、誤解を恐れずにいえば、地球環境が人類文明の発展を許容する限界が見えてきたということと、現在の資本主義と民主主義の限界が見えてきていることが大きいと思います。
全ての人類が地球環境との共生を目的にする必要があります。その上で人類全体がそれぞれの在りたい姿をめざせる社会を作っていくことになるのだと思います。なお、ここでいう地球環境とは人類を含みます。
これは、SDGsの言っていることと大きくは変わらないと思いますが、今後はこのようなガイドラインを決める主体や行動主体が変わっていくのだと思います。
つまり、政府や国連が決めた画一、固定的なガイドラインを組織レベルで横並びに守るだけに留めないということです。そもそも置かれている立場が違うので、スタートを切るための準備に相当エネルギーが必要な組織も出てきます。
これは先進国のエゴとも取られかねず、出遅れた国や組織が次の時代のガイドラインに全くついていくことが出来なくなり、分断を作りかねません。
このような事態を避けるためには、一般意思や理性により社会、経済を駆動する、つまり個人の特殊な利害によらず、公共の利益を追求していく必要があります。
個人レベルで社会と経済で起きていることを観察し、全ての人類が地球環境と共生するために、個別のガイドラインをアップデートし続ける思考力と行動力を獲得する必要があると考えています。
既に多くの人が気付いておられるように、この時代を生き抜くためには、リベラルアーツ(教養)が必要不可欠になると感じています。
教養を高めるためには、無知を知ることです。無知を知るためには、自分自身を俯瞰的に見つめることが大切であり、自分を相対化する必要があります。
そのためには、様々な視点から自分を外から見つめるための新たな視点を絶えず求める姿勢が重要となります。
本を読んだり、人から教わったりして獲得した学びを元に自身の考えをアップデートし、日常的な周囲との対話で還元する。これを繰り返すことで実践することが可能だと考えます。
その果てに自分と周囲の境界線は輪郭が曖昧になり、「私は貴方、貴方は私」という状態が導かれ、公共の利益を追求することが出来るようになるのではないかと思います。
少し怖いと感じた方、そんなことは無理だと感じた方もいらっしゃると思います。その方々にはその方々なりの別の在り方があるのだと思います。
一人ではなし得ないことをする時に仲間は大切です。仲間の範囲を広くするためには、具体的なレイヤーで意見を対立させるよりも、メタ認知を使って、合意出来る軸(次元)を見つけることが大切です。そして、その軸に共感する人を増やしていくのです。
時代は進みます。
生きやすさ、生きにくさも社会をどのように捉えるかで自在に変えられる筈です。
取り止めのない投稿を最後までお読み頂きありがとうございます。
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