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大人の学びと人文知

学びが私の盾となれ

私が仕事を辞めたタイミングで、大学を受験してみてはどうだろう?と夫が言った。何度目かの提案だった。
夫は以前から、正真正銘の高卒である私に大学を体験させたいと思っていた。なぜそう思うのかを聞いてみても、答えはいつもぼんやりとしていたが、なんとなくその理由はわかっている。
夫が私にくれるものは、いつも私を守るものだ。あたたかいマフラー、鍵を無くさないための大きめのキーホルダー、暖をとるための充電式のカイロ、足が痛くならない大人が履くぺたんこの靴、そういったものをくれる。
大学での学びもマフラーと同じように、それが私を守るものだと夫は考えていたのだと思う。私は高卒の女性だということで非正規の仕事につくことがあったわけだが、非正規での仕事に従事している時に、熾烈なハラスメントに苦しむ機会が多かったことを、夫はよく知っていたし、怒っていた。
結局、在学中に仕事で独立してしまったので、いわゆる”学歴”が私を守ってくれているのかはよくわからない。しかし、間違いなく大学での学びや体験が私そのものを強くしたので、夫の目的は果たされたと言える。

リスキリングを選ばなかった

夫の提案に乗ることにしたら、次は大学で何を学びたいかについて考えた。
必要な資格はだいたい独学で取ってきたし、リスキリングが目的ならば専門学校で良い。大学でなければならない理由は驚くほどなかった。
そもそも私は大学に1度も行ったことがないので、学び直しではない。
ただの学び始めである。
新しい事をわざわざ始めるならば、自分の好奇心と学びを大きく違える理由がない。と考えると、自分のボランティア活動が思い浮かんだ。私は週末里親をしている。
預かっている子が児童養護施設を出ることを考える時期に来ていた。それまでに私は子どもに何を用意しておくべきかを考えるため、数年前からコツコツと社会的養護の情報を集めていた。あの子は大人になるまでに、具体的にどんな道を歩むのだろう。あの子の見ている景色は一体どういうものだろう?そんなことを考えていた頃だった。
親とともに暮らすことのできない子どもたちに関わるには、児童福祉や心理学など、子どもについて学べる学科がいくつかあるが、私は彼らが大人になった後のことも知りたいと思っていた。なにしろ人生は長いというのに、日本では施設で育った子が大人になった後のデータがほとんどない。その養育が適切だったのか、そうでないのかがわからないままに今日も運営されている。恐ろしい。
そこで学祭的に学べる学科を選んだ。そこは大学ではなく、大学院だった。大学までは学問の基礎を習得する場で、大学院とは答えのない研究領域になる。なので、どちらかというと私の学びは、習得というより探求が近い。学びを受け取れるタイミングはその人によると思うが、私が社会人経験がある大人だからこそ大学院で良かった気がしている。オレンジデイズ(古)なキャンパスライフを体験したいなら、大学に固執したと思う。

人文知は熟成する

大学院で学びを深めていくうちに、自分の見ている世界と、親と暮らせない子どもたちの見ている世界が異なることが徐々にわかってきた。人生に不可欠なケアの多くを家族に依存する日本で、ケアを担う家族がいない打撃は想像を遥かに超えていた。そして私の場合、理解にいくつかのフェーズがあったように思う。まずはどっぷりと社会学の量的調査(統計)の世界に潜り込んだ。
そのうち、私が数年かけてコツコツと集めた社会的養護のもとにいる子どもたちの貴重なデータはある面ではデータに過ぎず、人の幸・不幸がそうであるように、大切なことの多くは数値で表すことができないと気がつく。
私がそうであったように、日本人は特に科学信仰が強いので、データ以外のことを理解することは難しい。「それってあなたの感想ですよね?」というギャグが多くの子どもたちの心を掴んだように、客観データ以外の価値を理解するにはそれなりの知性が必要で、それを知る人はそう多くないのだと思う。「企業」というガチガチの生産性評価システムの中にいた私もこの段階でえらく苦労した。自分が理解するために世界を数値という平坦なものへポリゴン化したのに、いつの間にかそのポリゴンで複雑な世界を理解しようとしていたことに気づく。私にとって大きな気づきであった。
文系の学問の良さのひとつには、こうした説明の難しさがある気がしている。
そうした変化を経たこともあり、修士課程の2年は短かった。しかしその短い間でも、論文を書くために身につけたことは、単なるお作法以上に得るものがあった。論理思考を身につけると、自分の考えを整理することに長けたし、社会の構造が見えてくると、自分の立ち位置以外からの景色が想像できるようにもなった。一方で、この社会の欠点も、他人の痛みもよく見えるようになったことで、前よりずっと苦しくなったことも確か。悲喜交々。
私は大学院での学びによって、私たち夫婦が預かっている大好きなあの子が見ている景色を少しは想像ができるようになったと思う。ブレイディみかこ氏の利発な息子さんが、エンパシーを「自分で誰かの靴を履いてみること(他人の立場に立ってみること)」と説明していたが、それは非常に知的な行為なんだということが本当によく分かった2年だった。

学ぶと利他的にならざるを得ない

私が通った大学院では様々な研究をしている社会人学生が集まっていた。自分の持っている知見を強化し、社会実装する人が多くいた。私が心惹かれる研究をしていた学生は多くが女性であった。自分の事業のため、会社でそれなりの地位を得るために学びにくる学生は男性が多く、女性は自分の人生の謎を解きにくる人が多い印象だった。多分、社会がそういう作りなのだろう。
彼女たちは自分の生きにくさを研究していた。そしてその生きにくさが自分だけのものではないことに気がついて、研究で得たものを次は社会に還元していく。卒業後、政治家になる人も珍しくない学部だった。
学びのきっかけも種類も、もちろんなんだっていい。ただ、大きく花咲く人は利他的な人が多かった。研究することは孤独な作業だと思う。作業中にとんでもなく闇が深い部分に気がついてしまって苦しむことも多々ある。卒業した仲間が集まると、授業のレポートがしんどかったという話より、研究そのものが辛かったという人がほとんどだ。そんなしんどい思いを自分のためだけにできる人は少ないのだろう。だから、研究を大きく花咲かせる人は利他的な人が多いんじゃないだろうか。
人の豊かさにはいくつかの種類がある。経済的な豊かさと、利他的な人の豊かさは全く異なるし、後者の豊かさは捉えることも育むことも簡単ではない。私はずいぶんと大人になってみてようやくそれが分かってきたし、大人が学び直す(始める)機会があるとしたら、人文知をお勧めしたい。人生を閉じていくフェーズを真剣に考えざる得ない人間が持つべき知恵と善良は人文知に詰まっていると思う(なんつう身も蓋もない言い方)

大学院での学びは、私にとっては生涯を通じての学習の呼び水になった気がしている。卒業後も私は変わらず論文を読むし、研究を続けている。探究の仕方は自転車の乗り方と同じだ。一度覚えてしまえば簡単に忘れることはない。自転車が倒れぬように漕ぎ続けていれば、いつのまにか自分が想像していたより遠くへ辿り着いているのかもしれない。

#私の学び直し

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