COTEN RADIO 民主主義の歴史編5
みんな大好きCOTEN RADIO。
民主主義の歴史編、第6話の概要を記載します。
(間違いがあったらすみません)
セクションタイトルに時間指定リンクを貼っておりますので、学び直しにご活用ください。
お断り
00:12 - 社会契約説と社会契約論
社会契約説と社会契約論という言葉がある。
今回のコテンラジオでは、ホッブス、ロック、ルソーそれぞれが語る社会契約に関する言説全体を、社会契約説と呼ぶ。
ルソーの著作を社会契約論と呼ぶ。
今回から3回に渡って、ホッブス、ロック、ルソーの社会契約説について話していく。
01:21 - フラットな理解のために
今回から政治思想について話していく。
彼らは過去の政治思想家である。
我々と異なる価値観や世界観の元で、当時の現実問題に取り組んでいたという前提を理解する必要がある。
現在直面している課題を解く鍵がその政治思想にあるのではと、期待をしすぎると、政治思想化たちの思想のフラットな理解を阻害する可能性がある。
まずは一旦、彼らの問題意識、それを成り立たせている当時の世界観、価値の体系、現実の状況を理解することが大事。
02:46 - 社会契約説の特徴
社会契約説は、我々の社会の根幹に関わることを語っている。
人を沸き立たせる強いエネルギーもある。
03:10 - 多様な解釈
宗教色が強い中で書かれた内容であるため、書き方に気を使われている。
それゆえ、様々な解釈が生じている。
その後の時代で曲解されたり政治利用されたりしている。
未だにどの解釈が正解というものもない。
コテンラジオで紹介する内容がスタンダードな解釈と思わずにいてほしい。
社会契約説が起こった背景
04:39 - 身分制へのカウンター
ブルジョワジーやジェントリと呼ばれる、大航海時代の貿易等の収益で力をつけた中産階級がいる。
彼らは、騎士や貴族でもないが、経済力を背景に台頭してきた。
しかし、彼らの前には身分制社会が立ちはだかる。
いくら実力やお金があっても、当時の身分秩序は宗教的権威によって守られていた。
王権は神が授けた秩序であり、物理法則のように自明のものであるという理解がされてきた。
神から身分が保証されており、身分は生まれつき決まっていると考えられていた。
これに対する反対的な理論として、社会契約説が出てくる。
06:40 - 宗教との分離
宗教改革の後、様々な地域で宗教戦争が発生していた。
ローマ帝国が滅亡した後に、ヨーロッパでは統一権力が現れなかった。
そのヨーロッパにおいて、カトリックが統一性を担保するインフラとして機能していた。
それが宗教改革で分裂したことにより、社会を支えるインフラとして機能しなくなっていった。
むしろ社会の秩序に対して重荷になってしまった。
この状況に対して、政治にとっての宗教は社会を支えてくれる後ろ盾であるどころか、不安定化の原因になりかねないと、当時の政治思想家が考えた。
そのため、政治世界での合意形成の負担を軽減するためには、宗教を政治から切り離すしかない。
宗教という人間の内面に関わる問題を表に出さずに、人間の外面である社会秩序を合理的に実現しよう。
そのほうが、合意に至る普遍的な価値を作りやすいという課題意識が出てきた。
08:39 - イギリスにおける政治思想の膠着状態
イギリスにおいては、議会と王が牽制し合うという状況が起こっていた。
そもそも主権者は誰かということが問題になっていた。
王は自分を主権者だと思っていたし、議会は自分たちが主権者になることを目指して戦っているという状態であった。
これが絶えず紛争・内紛の原因となっていた。
この主権のありかは、宗教的な論理の中で説明がされていなかった。
「昔からそうである」「神からあたえられた」というロジックに、相手側が納得しないという状態となっていた。
国王主権論の人も、議会主権論の人も出てくる。
お互いが相手を論破できずに膠着状態となっていた。
10:47 - トマス・ホッブズの登場
この時にイギリスに出てきたのがトマス・ホッブズ。
今までの伝統的な議論と論理を完全に覆す流れが、ホッブズから始まった。
それまでの政治思想は、現状を元に議論をしていた。
ホッブズは完全にゼロベースで考え直した。
そもそも人間はどのような存在か、もし政府が無かったら人間はどのように振る舞うのか、そうであれば政府はどうあるべきか、そうであれば主権者は誰が適切か。
議会派と王党派のどちらの話もせずに、「人間とはそもそも何か」というところからゼロベースで議論を構築した。
14:00 - 思考実験
人間の社会は様々な要素があるが、これらはすべて人為的に作られたフィクションである。
これをすべて初期化し、その状態に初期化した人間をポンと奥と、人間はどうなるかと思考実験をした。
14:49 - ロック・パンク・プログレだから
深井さん「よくよく考えたら、自然状態考えるとかマジでロックだから」
深井さん「ロックはこのあとジョン・ロックが出てくるから」
樋口さん「ややこしいね」
深井さん「ややこしい、ややこしいからやめようと思ったけど」
樋口さん「パンクスね」
深井さん「パンクだから」
樋口さん「パンクなんかな」
深井さん「パンクじゃないな、プログレだから」
15:18 - 思考アプローチ
ホッブズはガリレオ・ガリレイと交流があった。
そのガリレオ・ガリレイの思考法に影響を受けたのではないかという、学者による推論がある。
ガリレオ・ガリレイは慣性の法則を発見した。
この発見は、思考実験で完全な真空状態を考えて、そこから慣性の法則の概念を掴んだ。
この考え方をホッブズが参考にしたのではないかと言われている。
ホッブズは、自然科学的に社会科学を考えた。
物理における「摩擦はないものとする」という考え方のように、「政府はないものとする」というように考えたのが自然状態といえる。
16:48 - 生命の保存
ホッブズが考えた、人間にとって最も重要な普遍的な価値は、生命の保存であった。
人間は、自分の命を守るという挙動をする。
それをベースに考えた時に、社会はこうなる、政府はこうあるべき、という論理展開をしてった。
最終的な結論は、個々人が相互に契約をすることによって、契約をしない状態よりも、我々の生命の安全が守られるとホッブズは考えた。
後世、これをもって社会契約と呼ばれる。
トマス・ホッブズ
17:48 - 時代背景
ホッブズは、チャールズ一世がイングランド議会と対立して処刑された時代の人。
当時、祖国イングランドが内乱をしており、その内乱がどのようにしたら終結するのかということがホッブズの関心事項だった。
内乱をどのようにしたらようのかという延長線上にあるのがホッブズの主張であった。
19:33 - 亡命
ホッブズは亡命しながら著作を作っていた。
ホッブズの主張が、議会派と王党派のどちらのことを擁護しているのかが、周囲からは意識されていた。
ホッブズはどちらの擁護もしないように気をつけていたが、国王擁護派と勘違いされて、命の危険を感じることとなった。
ホッブズはフランスに亡命した。
イングランドを離れて、冷静に距離を置いて祖国の内乱を見ることができ、執筆活動を続けることができた。
執筆活動を続ける中で、どのようにしたら生命の安全を確保できる政治になるのか、考えた続けた。
人間は、生命の安全を希求するという性質がある。
この生命の安全を確保しなければならないのに対し、祖国イングランドは内乱状態である。
どのような政治原理に基づけば解決しうるのか、ゼロベースで考えた。
21:40 - 価値観の多様化の時代
当時は宗教改革による分裂と混乱がまだまだあった。
それと同時に、ヨーロッパでは価値観の多様化が生じていた。
農業、商業、産業、科学技術、印刷技術など様々なものが出てきて、富と権力と知識の配分関係や社会関係が流動的となっていた。
それまでの社会の暗黙の了解が、そうではなくなっていく時期であった。
そのような時代において、人々は激しくぶつかりあい、絶え間なく争いが続いていた。
さらに様々な人もでてくる。
神の名において迫害をする人、あの世で魂の救済を求める人、人民の名において権力の要求を正当化するもの、権力を得たいがために宗教を利用する人。
国家間の緊張や価値観の多様化の中で、多くの国で平和の秩序の維持が困難になってきたという状況をホッブズは見ていた。
23:12 - リヴァイアサンの完成
63歳のときに、不朽の名著「リヴァイアサン」を完成させた。
その執筆活動は19年間にも及んだ。
リヴァイアサンは、人間論から始まる。
人間は何かというところから、人間の生命の保存ができる社会や政治はどのようにしたら実現できるか考えていったところが非常に革新的であった。
さらに、政治を考える基本単位が、人間個人であるという点も革新的であった。
それまでは、団体同士の利害調整として、議会の場で政治をしているという事が当たり前の感覚であった。
ここでホッブズが起こした転換点は、「政治は個人個人の生命の安全を確保するために存在するのである」という考えから出発している点である。
政治という基本単位が人間一人ひとりから出来ているという概念や潮流が、ここから生じている。
リヴァイアサン
27:52 - 人間論
リヴァイアサンは人間論から始まる。
人間の本性の分析から始めている。
ホッブズは、人間は高貴な存在ではなく、欲望に駆動されるという、卑賤な人間感を出している。
道徳観や倫理観で説明をしていない。
そのような、素晴らしい存在として見えないような人間が集まって、どのような政府を作るべきかを考えた。
人間は、外的刺激を感覚を通じて受け取り、それに対して何かしらの反応をする。
この反応だけで、基本的に人間は成り立っていると、ホッブズは考えた。
我々には、統一的で一貫性のある人格や、外的刺激から独立した意思があると思っているかもしれないが、そうではない。
全ては外的刺激に対する反作用で成り立っている。
意思決定はすべて反作用の現れでしかないと、ホッブズは言っている。
人間は誕生から死に至るまで、絶え間なく、反作用という運動をすることでで成り立っている。
人間の反作用の中で、経験的に快・不快を感じる。
快と感じることを善、不快と感じることを悪という感覚で人間を語っている。
外部の刺激を受けて、感覚は時間の経過の中で定着して記憶や経験になっていく。
それに対して快・不快を感じて善悪を判断しているが、それはあくまでも主観的である。
全ては外界との接触から次から次へと生じていく、運動と運動のぶつかり合いの結果にすぎない。
善悪の判断は、経験的に快を感じたか、不快を感じたかの積み重ねの結果でしかない。
感情も意思も行為もすべて、その運動の相克の結果であると、ホッブズは考えた。
32:03 - 自己保存
この相克の中での判断の内、最高の価値は、生命の安全、つまり、自己保存である。
自己保存は万人が持っているものであり、すべての人間が必ず求めるものが自己保存であると、ホッブズは考えた。
33:38 - 自然状態
人間という存在を政府が無い状態に置いてみると、どのようなことが起こるのか、ホッブズはシミュレーションした。
その場合、自己保存をするための戦いが発生して、万人の闘争状態になるはずだと考えた。
34:22 - 自然権
自然状態において、自己保存しようとする人間が、自分で自分の身を守るという反作用をする。
これについて、ホッブズは自然権という概念を用いた。
政府がない状態においては、自己保存をするために、誰かが自分を攻撃したり、自分が誰かを攻撃したりする可能性がある。
人間の本性に従って、自分の命を守るために行動・行為をすることができる権利を、自然権と呼ぶ。
ホッブズにおいては、自分の命を守るために、自己の判断に基づいて、自分の力を好きなように使うという権利を、自然権と定義した。
36:23 - 万人の闘争状態
自然状態においては、自然権を持った人たちが、自分の命を守るために行動し、万人の闘争状態となる。
特に、緊急状態においては、必ずそのようになる。
平和な状態では闘争状態にはなりづらいであろうが、大災害が発生した際には略奪が起こるであろう。
人間は自然権があることにより、自由を失ってしまう。
完全なる自由は、逆に自由の消滅をもたらす。
政府がない状態だと、自分の自由を制限するものはない。
そのような環境下では、各自は互いに自然権を行使するが、それによって自分が危険状態に置かれてしまう。
39:58 - 自然法
自然法という考え方がある。
自然権をもっている人間が、理性の中で、やってはいけないと思うものがある。
例えば、平和状態においては、いかに自己保存の本性をもっていたとしても、いきなり目の前の人間に危害を加えたりはしない。
秩序が乱れ、結果、自分にとってよくないことが起きることが容易に想像できるレベルの事はしない。
このような、ほとんどの人にとって当たり前に生じてくる、やってはいけない事が理性によって発見されるものを自然法と呼ぶ。
41:39 - 自然権と自然法の関係の解釈
この自然法には複数の解釈がある。
一つ目の解釈は、自然権が先にある考え方。
自己保存のために何をしてもいいが、理性で考えたらやっては駄目なものがある。
この順序で自然法があると考える解釈が、一つ目。
二つ目の解釈は、自然法が元々ある考え方。
自然法はあるが、極限状態において容易に破られる。
極限状態になると、自然法があったとしても、自分が生き残るために相手を攻撃しないといけない状態になる。
自分が自然法を守り、相手が自然法を守らないと、相手にメリットが生じる。
この順序で自然法を考える解釈が、二つ目。
三つ目の解釈は、自然権と自然法が並立しているという考え方。
人間には理性があり、状況判断においてどちらを命令するかによって、自然権になるのか自然法になるのかが分岐する。
理性において、自分の命を守るために相手を攻撃しないとならなくなるものが自然権。
理性において、今は平和にしたほうがよいとなるものが自然法。
このように、状況において理性がどちらを命令するか分岐するという解釈が、三つ目。
45:04 - 自然権の放棄
自然法が破られる、あるいは自然権が先行すると、闘争状態となり、結果、自由ではなくなる。
この状態を抜け出すために政府がある。
我々個人個人が、自分の命を守るために、自然権を放棄して第三者に渡す。
この第三者が、社会を構成するすべての人間から、この権利を付与される。
この共通権力が我々を統治するという契約を結ぶ。
このほうが、自然状態よりも自己保存ができるため、このような社会契約を結んだらどうか、とホッブズが言っている。
この第三者が、時に王であり、時に議会であると言える。
例えば、警察権力のようなものを持てるのは主権者だけである。
主権者が、力をもって、社会を構成する人々にルールを守らせる。
ルールを守ることによって、自分の生命を守る権利である自然権を放棄するが、結果、第三者である共通権力、つまり主権者によって自分の生命がより守られる。
49:05 - 共通権力
重要なのは、自然権を放棄した理由である。
自分の命を守るために、主権者、第三者である共通権力が存在している。
共通権力が、自分の命を奪うということはあってはならない。
そのようなことが起きるのであれば、それは契約違反となる。
この共通権力は、力を渡された存在であり、強力な力を持つものとしてリヴァイアサンと例えられる。
リヴァイアサンは聖書に登場するモンスターである。
モンスターと言っても、常に監視がある全体主義国家や、人民を圧迫する支配とは異なる。
あくまでも、主権者と個人の利益は一致している。
共通権力は、言うことを聞かせるための、強い力を持っている必要がある。
そうでなければ、自分の自由のために自然権を行使する人が出てきてしまう。
そうさせないための強い力を共通権力に与える必要があるとホッブズは言っている。
また、個人は、自然権を放棄したからには、共通権力に反抗してはならないともホッブズは言っている。
ホッブズが与えた影響
54:34 - 社会の反応
ホッブズの主張は、ただちに世の中には受け入れられなかった。
過激でエキセントリックだと捉えられた。
57:44 - 人権のルーツ
自然権は人権のルーツとなっている。
前提として存在している、人間本性に基づく権利という感覚が、自然権から発生している。
自然権という概念は、ホッブズ、ジョン・ロック、ルソーとアップデートされていき人権の概念まで到達していく。
58:18 - 次回:ジョン・ロック
次回、ジョン・ロックについて説明する。
COTEN RADIO 民主主義の歴史編の他の回
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