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人文知という棍棒を手に入れろ-ゆるふわ感動ワードに流されない方法-

『不道徳お母さん講座(堀越英美)』

よい意味で期待を裏切られた本。こういう出会いは大好物である。

堀越英美さんを知ったのは、確か太田出版のWEB連載。たぶん、ケアの倫理がらみで検索して辿り着いたと記憶している。

初めて彼女の書いたものを読んだとき、直感的に、馬が合うライターさんだなと思った。アンテナが立つ方向に親近感を感じ、さっそく彼女の著書を見繕って2冊購入。その一冊が『不道徳お母さん講座 私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか』。思想的にイヤなものはイヤだといいたい族の私が、このサブタイトルに惹かれないわけがない。

タイトルだけ見れば、「母さんだって不道徳でいいのだ」、「よいお母さんでなくても大丈夫」、「小学校で道徳が正式教科なるってどうなの?」、なんてことをおもしろい切り口で、毒舌気味に書いた本かなーなんて軽い気持ちでページをめくってみたら、なかなかどうして、かなり骨太な本だった。

タイトルにもなっている「不道徳お母さん」ってどういうことなのか?

まず手始めに、「まえがきに代えて」を読んでみると、著者の問題意識とこの本の趣旨がしっかり言語化されていた。そうそう、求めていたのはこの本だ、わかりみが深過ぎる、とその時点で、期待が巨大風船ぐらい膨らむ。

私の解釈では、「母性と自己犠牲に感動する世の中に、なんか変だぞって言いたいお母さん=不道徳お母さん」という感じ。その前提で読み進めていくことにした。

 なんで今、私たちの社会はこんなことになっているのか。敵は大きすぎて、丸腰で立ち向かってはゆるふわ感動ワードに流されかねない。近代史の山に分け入って知識を蓄え、人文知という棍棒を手に「道徳」に抗ってみたい。お母さんだからってなめるなよ。それが本書の趣旨だ。
 まず第一章「読書と「道徳」」では、マンガやゲーム・スマホなどの電子メディアが悪徳視される中で、なぜ読書だけが道徳的とみなされるのかという疑問を出発点に、小説を読むと死ぬ! と脅されていた文明開化期までさかのぼる。大人たちは子供・若者の読書の何におびえたのか。あるいは読書を通じて何を刷り込もうとしたのか。読書が不道徳とされた明治期から戦時下における児童書の推薦制度によって道徳的な読書が推奨されるまでの流れを追いかけ、おもに学校と読み物を通じて形成された私たちの道徳・規範意識を振り返りたい。
 第二章「「道徳」としての母」では、現代の道徳において欠かせない「無償の愛で自己犠牲する母」という母性幻想が誕生したいきさつと、戦争を経て母性幻想と自己犠牲賛美が国民道徳と化していく過程を考察する。
 第三章「感動する「道徳」」では、二分の一成人式や巨大組体操などの「感動」ありきの学校行事のルーツを探り、それらがどのような道徳的機能を持つのかを明らかにしていく。

(P.10-11「まえがきに代えて」より)

上記引用のように、各章のテーマと内容がざっと著者により紹介されているが、ひとまず、読書メモ的に、ざっくり私目線で各章を要約していこうと思う。長くなりそうなので、本の詳細に興味がない方はスルーして、最後のまとめに飛んでもらうといいかもしれない。


第一章 読書と「道徳」 より

パンパンに膨らんだ期待を旨に、いざ第一章をめくると。。。文体はとても読みやすくて、切れ味鋭い分析が小気味いい。のだが、すぐに引用の量と質が半端ないことに気づく。そこであわてて巻末をめくると、いやあ、びびった。参考文献リストが、極小フォント、上下2段組でなんと7ページ!ーこの表紙で、このタイトルで、えーーーって感じ。明治時代から現在までこれだけの資料や書籍を読み込んで執筆したのかと思うと、正座して読まねばぐらいの気合も入るというもの。(実際は、ソファーで寝転んで読んだけれど)ちなみに、第一章に、本書の半分以上が割かれており、本書の土台となる部分なので、じっくりと向き合った。

ここからは読書メモ( ..)φ

明治20年代までは、儒教の強い影響下にあり、小説(江戸時代に生まれた大衆向けの戯作をさす)は有害視されていた。明治22年に大日本帝国憲法、翌23年に、天皇が親孝行や謙遜などの道徳を臣民に語りかけるという体裁の「教育勅語」が発布され、以降子どもへの「啓発、教育を目的として」教育関係者によって多くの子供雑誌が創刊されはじめるが、小説は子どもたち「毒入りの砂糖」として排除されたまま。

いわゆる昔話も例外ではなく、だれもが知る「桃太郎」は、村人や殿様から言われてしぶしぶ鬼ヶ島に向かう桃太郎だとか、桃から生まれるのではなく、桃を食べて若返ったおばあさんが桃太郎を生む話とか、内容はバラバラで、当時福沢諭吉が、「桃太郎」には鬼の悪行の描写がなく、この理不尽さゆえに近代国家を担う子供にはふさわしくないと批判したという話も。

その後、「桃太郎」を日清戦争が勃発した年に、正義の英雄に書き換えたのが巌谷小波で、鬼退治の描写が相当に残虐で、そういったわんぱく礼賛が、少年たちの士気高揚へと利用されていく。さらに、日清戦争後の明治後期以降は児童心理学や教育学が輸入されるにともなって、虚構によって育まれる「想像力」の教育効果が抑揚されるようになり、「男の子は少々乱暴でもよいから、創造力を広げて強くたくましく冒険すべし」というわんぱく主義が、子供の内側から帝国主義を支える規範として推奨されていた。

一方で、明治35年頃、少女誌が創刊される。冒険小説が人気。目指すところは「国家主義的良妻賢母」。それまでの家制度維持のための、家の中で従順に務めを果たす「婦徳」に加えて、「愛される」「かわいがられる」存在になるべしという思想が付け加えられる。ただし、風紀の乱れの原因となる恋愛小説はご法度で、少女友愛小説なるジャンルが生まれる。少年雑誌はバトル・冒険物語で強くたくましくをあおり、少女雑誌はロマンチックな愛され物語で美しく受動的な少女像を理想化する。立身出世と良妻賢母、国民道徳と少年少女の欲望が絡み合い、それぞれ別に進化していく。

明治末期に、家や共同体に従属するしかなかった時代がおわり、教育を受けて共同体の外側の世界に出る時代になると、広い世界の中で「立身出世と良妻賢母」以外に自分の存在意義を根拠づける何かが必要になる。自分の自我をどこに解放すればいいのかという答えを求めて文学や哲学に沈溺し、「煩悶」する若者が社会問題となる。たった一人の恋愛対象から承認されれば自分の存在価値を信じることができると、恋愛に自我の解放を求めるようになり、文学者による心中事件や恋愛スキャンダルが新聞をにぎわせた。女学生の間では、恋愛結婚があこがれの対象となり、対等な恋愛結婚なら自我を解放できるだろう夢みたが、大日本帝国憲法下では妻に一切の権限がなく、土台無理な話で、裕福な家庭で母親や下女にかしずかれて育った当時の男性知識人にとっても対等な夫であり続けることはむずかしく、結局、大正知識人たちは、恋愛による自我解放に失敗。自己の存在証明を母性幻想に求める方向にかじを切る。

一般庶民はどうか。明治期の少年少女雑誌の読者は比較的裕福な家庭の子どもたちだったのが、明治末期ぐらいから印刷技術の進化で大衆が買える廉価本が出て、立川文庫と呼ばれるシリーズが広くブームになる。それらは「俗悪読物」とされ、大正期に入ると、芸術性を盛り込んだ「童話」が登場。芸術的児童文学がうまれ、積極的に学校教育に取り入れようという動きも出てくる。同時に道徳教育においても、文学の活用が叫ばれだし、物語の力を用いて内面から感化させる「感動の道徳」が提唱されるようになる。

昭和に入り、金融恐慌・世界恐慌を経て、英雄や偉人の逸話を講談調でまとめた『少年倶楽部』が大ヒット。漫画のらくろの連載、豪華組立模型付録、読者から面白い投稿を募るなどヒット企画を生み出す。「母に守られて無垢なままでいられた子供時代を理想化する高学歴男性の童心主義」は、一般少年には響かず、芸術的童話雑誌の時代は終わる。

日中戦争が勃発し、国家総動員法が施行されるあたりから、児童図書の検閲がスタート。漫画や講談本が取り締まられ、さらに推薦図書制度もはじまる。童心主義の母性愛信仰が要綱に盛り込まれ、泣かせ系の動物ものや国のために命をささげる軍人を賛美するものなど、「道徳を子どもに教える良書」としての児童書が国家によって指定されるようになる。自分の母親への気持ちを文学に昇華させるところからはじまった童心主義が、自我を国家に捧げるナショナリズムへと転化され、自己犠牲を美談とし涙をさそう方向に向かう中で、日本人の涙腺を刺激する美意識が徐々に育まれていく。 

ともあれこうして、「道徳を子供に教える良書」としての児童書が国家によって指定されるようになった。その背景には戦争はもちろん、大衆少年雑誌とマンガの圧倒的な人気があった。識字率の向上により農村や労働者階級の子供たちが文化の消費者として大量に参入してくるなかで、急速に広まった刹那的な大衆児童文化が知識階級をおびえさせたのだ。一方、講談本、マンガ、豪華おまけつきの娯楽雑誌という新しい「俗悪」が登場したことで、古いメディアとなった文学は権威を付与され、感情をゆさぶって国民に道徳を刷り込む新しい役割を担うことになった

(p.137)

第二章 「道徳」としての母より

現代日本で感動を呼ぶ鉄板コンテンツ、それが「母」だ。

から始まる第二章。母の自己犠牲を「感動」と結びつけ、犠牲度が高いほどより神聖化される現代日本についての考察章。まずは引用から。

…アスリートが活躍すればその母親がいかに陰で尽くしたかがクローズアップされ、「家事育児を一人でがんばるママへの応援歌」「都会で暮らす我が子を思う田舎の母」は、感動CMの定番である。
 フィクション、ノンフィクション問わず、「田舎」に住み「趣味を持たず身なりにもかまわず子に尽くすことだけが生きがい」の母の自己犠牲は、日本人の琴線をくすぐる。母は社会的に無力であればあるほどよく、苦労が報われることなく死ねば、その存在はどこまでも聖化される。もちろん母親の献身の対象は子供でなければならず、間違っても仕事に生きがいを見出してはならない。忌野清志郎が歌った「昼間のパパは男だぜ」(一九九〇清水建設CMソング「パパの歌」)というフレーズは今もって魅力的だが、「昼間のママは女だぜ」では、そのCMは感動とは別の方向へと転ぶだろう。

(P.140)

ここからは読書メモ( ..)φ

保守層が称える伝統育児からみれば、「自然(田舎)」「伝統」「自己犠牲」の要素からなる母親幻想からはみ出した母親は、バッシングにさらされ、母親の自己実現、家事の手抜き、時短のためのグッズ利用は批判される。学費の無償化や児童手当の拡充はアピールされるが、そもそも低賃金である母親の差別的境遇は感動要素として扱われ、問題提起されない。女手一つで育て上げたみたいな幻想は、美化される。そんな社会で少子化が進むのは無理もない。しかも、これら保守層からが称える伝統育児なんて、明治以降に作られていった、歴史的に見れば極々最近の価値観に過ぎない。ってか、それ伝統ってよべる???

古事記・日本書紀までさかのぼれば、イザナミもアマテラスも自己犠牲要素ゼロだし、平安末期の今昔物語には、貞操を守るために子どもの命を犠牲にした女性がほめたた称えらえる話があるそうだ。封建社会は、子供の命を主君に差し出すことは忠義を示すことみたいな社会だし、江戸や明治時代においては、母親が尽くす対象は、家長であり、家であり、村落共同体であって、子供ではない。農家では、家業と家事が優先で、子供も7、8歳になれば働くか、奉公に出され、子守唄の歌詞も家長目線で結構えぐい。

朝ドラ「虎に翼」でも話題になった「女三界に家なし」といった儒教道徳が、大日本帝国憲法において法制化されている。

女三界に家なし=女は、幼少のときは親に従い、嫁に行っては夫に従い、老いては子に従わなければならないものであるから、この広い世界で、どこにも安住できるところがない。

コトバンクから参照

しかも、明治時代においては、子供が親に献身する「孝」が重視されたため、母の自己犠牲よりも、親を思う健気な子どものほうが感動度が高かったという。「良妻賢母」とは、家長のために尽くし、子供が忠臣になれるよう厳しく教え導く、つまり君主や国のために息子を捧げることを良しとする思想。明治半ば以降、近代化による職住分離と性別役割分担、儒教道徳の法制化の産物として、子ども一筋に生きる母親像が徐々に形成されていく。

大正デモクラシーの機運の中、子供は純粋無垢で守るべき尊い存在であるといった「近代的子供観」が登場。資本主義の進展と富国強兵の衰退によってホワイトカラーの主婦が増え、父兄にとって代わって母が子の教育責任を負うようになり、漢文よりも童話童謡が好まれるようになる。童話童謡を通して、「母の無償の愛」「郷土愛」「自然」「伝統」と結びつく北原白秋の「童心主義」が、守るべき「純真無垢な子供像」を造形し、浸透していく。

一方で、この頃、母親を聖化する教育書もベストセラーになる。当時の女子修身教育は、儒教道徳のもとに女性の自我を否定し、忍従を強いるものであったが、西洋の文学に親しみ始めた女学校出の女性は、自我の解放を求めるようになっており、キリストの犠牲と観音菩薩の慈悲深さを女性の忍耐に重ねることで、女性の忍耐が聖なる母性信仰にすりかえられていく。かくて「自然」「伝統」「自己犠牲」からなる「母」は神にも似た超越的な存在となり、共同体から離れてきまよう個人が身をゆだねて「泣ける」コンテンツとなった。 

明治国家はキリスト教を背景とするヨーロッパ文明を導入する際に、キリスト教の代わりに天皇制を学校教育で叩き込み、国民道徳の礎にしようとした。しかし上から抑えつける儒教的道徳では西洋文化を通じて自我に目覚めた若者に対応できず、学生の「堕落」を招いた。政府はあわてて修身の授業に「自我実現説」を導入したものの、目指すべき自己を根拠づける「神」的存在が不在だったため、煩悶青年を増やすばかりだった⋯⋯というのは第一章でみてきたとおりだ。共同体から解き放たれた個人に道徳をインストールするには、内側からかきたてられるエモーショナルな動機付けが必要だった。そこへ入り込んだのが、家庭教育から父が退場し、母が子供に尽くすようになった明治中期以降に幼少期を送った大正時代の中上流階級の都市住民を涙させる「母性幻想」だったのではないだろか。

(P.160)

さらに、明治末期から大正期にかけて、良妻賢母教育や封建的な結婚制度に反発する「新しい女」が登場する。その一人が伊藤野江。彼女も愛に自我を求め結婚したが、「新しい男」は働きたがらないし、子供ができても家事育児も当然しない。結果、恋愛結婚は破城し、自己犠牲の「母性愛」が新たな自己確立の手段となっていく。同じく「新しい女」平塚らいてうも、恋愛に自我の解放を求めたが、子供を産めば自我どころでなくなるジレンマに行き当たり、スウェーデンの母性主義フェミニスト、エレン・ケイの思想に触れ、母性で女性解放を目指すようになり、子供は国家のものだから、育児中の女性は国家が保護すべきと訴える。一方、スーパーワーキングマザーである「新しい女」与謝野晶子は、女も経済的に自立つべしと主張する。そんな中、母は自我をすべて捨てて子供に尽くすべきであり、母は権利を要求すべきでないと主張する福島政雄なる教育学者も現れる。ノスタルジーにまどろむ母性幻想の住人たる「新しい男」。。。自我の解放、恐るべし。こじらせ具合が半端ない。

そうこうするうち、関東大震災をきっかけに深刻な不況に突入。愛国主義の風潮が高まり、母親幻想がきな臭い方向に利用されはじめる。自然や郷土へのノスタルジーが祖国愛に結びつき、なぜか子供の自由を尊重するはずの童心主義が子供を戦争に送り出す愛国詩に結びついていく。

もともとが、他者との競争、自我を持った女性との恋愛からの逃避先であった「童心」。母と子が大自然の中で密着する他愛のない世界というノスタルジー。母も子も自我を捨て祖国のために1つになれば、全員が無垢で健気な日本人になれるなんて、正直信じがたい。都市部高学歴男性たちが生んだこじらせ母性幻想が根っこにあり、その影響力に今現在も振り回されているなんて、背筋が凍る。

 国家的母性とはふるさとであり、自然であり、伝統であり、つまり国の精神が実体化したものである。したがってお国のために死んで無になるということは、自我の目覚めによって母の抱擁から離れた子供が再び母の胸に戻って、永遠に一体化するということだ。この美しいイメージがさまざまなメディアを通じて流布されたことで、子供の命を差し出すことが美化されたのだろう。そしてまた、多くの若者たちも「護国の鬼」となって母の胸に還ることを信じて死んでいった。

「死ぬとき、『天皇陛下万歳』という兵士はいなかった。みんな『お母さん』と言って死んでいったんだよ」 出征した男性の証言として、しばしば目にするこのような言葉も、「国家的母性」を読んだあとだと、空恐ろしいような気になる。 自我を捨てて子供に尽くす「母」は美しい。だからこそ恐ろしい。戦後、愛国心には警戒が払われるようになったが、母性幻想は無批判のまま生き延び続けて少子化を招いている。母性幻想に取り巻かれる現代の一個人が再びファシズムに巻き込まれないためにできることは、自我や自意識がまったく美しくなく、みっともなくて目が当てられないものだとしても、そういうものだとして面白がって愛し、他人のそれもまた愛することではないだろうか。私たちは皆それぞれに自我のある個人で、黙るのでもなく黙らせるのではなくぶつかり合いながら、どうにか調整して生きるしかないのだ。「母親だから」と母性幻想の持ち主に自己犠牲を求められたら、ふてぶてしく突っぱねて、女や母親にも自我があることに慣れていただこう。それが世界平和への道だと考える次第だ。

(P178-179)

第三章 感動する「道徳」より

ついに第三章。明治~昭和初期と変遷してきた道徳教育がいかに現代につながるか。その時代時代の歴史背景や文化状況・環境次第でころころ変わるのは見てきたとおり。

ここからは読書メモ( ..)φ

まず取り上げるのは「二分の一成人式」。元をたどれば、子供個人が自身のアイデンティティを確認する「総合」の授業例に過ぎなかったものに、保守系教育団体が「親への感謝の手紙」「お母さんの涙」「感動の盛り上げ」という要素を加えて全国に意図的に広め、感動要素を盛り上げる指導案や台本をサイトで公表している模様。ちなみに、二分の一成人式や卒業式でもおなじみの「群読」も、起源は戦争を賛美する詩を集団で朗読する軍事教練としての群読。けっこう闇が深い。

続いて、「組体操問題」。ダレトク?な「巨大組体操」の起源は、明治期に普及した兵式体操(今でいう運動会)の人間はしごという種目。これは戦場で高い塀などを乗り越えて進軍するための訓練である。理不尽な苦役を集団に課せば、人はやり遂げたことに達成感を抱き、「個」を消して大きな集団に身をゆだねるカタルシスが場を支配することで逸脱者が現れても同調圧力が働く、という。不思議なもので、先生はやめたくても保護者ウケを考えるとやめられないといい、保護者はやめさせたくても学校が取り合ってくれないといい、子供たちはつらいと訴えるという、なぞ現象が発生している模様。けっきょく「地域ウケがいい」というところに帰着するようだ。ちーん。

そして、作文(綴り方)や図工のありのまま指導。明治33年の小学校令改正で「読書」「作文」「習字」が「国語」統一されるに伴い、作文が「綴り方」と呼ばれるようになり、子供の日常や考えなどを簡単で分かりやすい「普通文」で書かせる指導がはじまる。初期は、言文一致作文が推奨され、「ありのまま」を書くことがよしとされつつも、男女で文体を変えるが奨励される。その後、大正自由教育運動の流れをくんで、「ありのまま作文」に童心主義的な芸術的価値が付加され、さらにお手本の絵を模写する図画教育の否定として「自由画教育」も普及。「生活綴方運動」とともに、儒教教育のアンチテーゼとして、子供の「自己」「内面」に注目する指導が広まる。その後、軍国主義化が強まったことで、いったん弾圧の対象となるも、戦後は、読書や実体験を経て人格がいかに成熟したかを子どもたちに語らせる「青少年読書感想文コンクール」や「全国小・中学校作文コンクール」にカタチを変えてスタートし、今度はありのまま生活描写だけではだめで、ありのままで道徳的な人格が求められるようになる。「ありのまま」は一見すばらしいように見えるが、その実、子供たちに「大人の求めるところを忖度してありのままを取り繕うこと」を暗に求めるものになっているのが現実ではないだろうか。

「個」を消して型通りに動く従順な身体であること求められる運動会や各種儀式がある一方、作文や図工となると、「感じたものをそのまま書きなさい」と子供らしいのびのびとした表現が求められる、気まぐれサディストのような日本の学校教育。この矛盾が、子供たちをじわじわと苦しめ続けているように思えてならない。

 欲望を否定し、取り繕った「ありのまま」しか認めない道徳教育では、他者の自我を尊重しながら自らの欲望に折り合いをつける訓練を積むことができない。自分の欲望の形は社会的・文化的に構築されたものではなく、押し付けられた道徳から解放されたありのままの自然の姿だと認識している人々にとって、弱い立場の人々からの「差別やハラスメントをしないでほしい」という訴えは、「ありのままの自分」を否定する「道徳」(現代風に言えば「ポリコレ」「コンプラ」だろうか)の押し付けとしか受け止められないだろう。私たちが相対化しなければならないのは、道徳だけではない。

(P.225)

 最後に本丸の「ごんぎつね」。
海外で日本語の補習校に通う子供たちが国語の教科書の音読を嫌がる理由のひとつに「悲しい話が多い」があるという。戦後日本の国語教育に悲しい話が多い理由は、道徳の役割を担っていたから。そして、国語教科書界に燦然と輝く悲しい話のマスターピース「ごんぎつね」。

がしかし、実際に教科書に掲載されているごんぎつねは、新美南吉の原作とは大きく異なるという。えっ?そうなの?その時点でNGじゃないの?という感想は、いったん脇に置く。

もともとは兵十に対するごんの愛着を描いていた新美南吉の原作が、「童心」教育を推進する鈴木三重吉の手によって強い自我や欲望を有しない純真無垢な弱者が無償の愛を捧げる贖罪の物語へと改変され、道徳の教材にされたのだという。最後の感動シーンが、まったく違う。その感動を読み取らせ、設問の答えにして、○✖をつけられる国語教育って。。。と思わずにいられない。もちろん、「ごんぎつね」が採用された背景にはいろいろな事情があったのだろう。

 教育勅語に基づく修身教育をGQに否定された戦後教育は、すべてを受容する自我の薄いけなげな存在に感情移入させることで、子供たちを道徳的に感化しようとしてきたのだろう。そこには修身復古の精神だけでなく、子供を戦争に送り込んだトラウマから、感動によって子供たちに反戦意識を持ってもらいたいという大人の善意もあったはずだ。

(P.233)

 だが、共感力や反戦思想を育むために子供たちに悲しい思いをさせ、あらかじめ決められた鑑賞態度以外の感想を認めない発想は、やはりどこかいびつだ。これは『論語』の解釈を丸暗記させて道徳を刷り込むことが学問だとする古い教育観や母性幻想を捨てられないまま、反戦平和を教えようとしたねじれに基づくのではないだろうか。結果として、教科書の悲しい話は「不条理を受容してけなげに生きるのが美しい」というメッセージを発してしまっている。母性幻想が戦時中の母と若者を戦争に駆り立てたように、学校が刷り込んだ不条理耐性はブラック企業、ブラック部活、ブラックPTAなどをはびこらせ、反戦どころか大人しく国家総動員に従ってしまいそうな国民性を育んでいるのだから皮肉である。

(P234-235)

当の新美南吉は、鈴木三重吉らが推進する感動共同体から背を向け、こんな言葉を残していたという。

教育界。こんな嘘だらけな世界はもう嫌だ。沢山だ。げろ。
子供は美しい、純真です。ハアそうですか。
英語を教へるのは無意味です。そんなら国語を教へるのは意味があるのですか。そりやあるよ、国民文化の何たるかを知らしめ、国民性を培うのだから。顔を赧くせずによく云へたものだ。愚劣だ。愚劣だ。愚劣だ。かくて百遍。(友人・河合弘に宛てた手紙、昭和十五年九月二二日)

(P.236)

まとめ

かつて小説は不道徳とされていた時代から現代の読み聞かせに至るまで、いかにして「道徳心」が植えつけられてきたのかを膨大な資料を引用しながら読み解いていく1冊。考えさせられる要素満載だった。

正直言うと、自分の子ども時代を振り返って、「ごんぎつね」が教科書で取り扱われていたかも覚えてないし、道徳の時間はあったような気はするけど、あまり記憶にない。まあ、今と違って意見を問われる機会なんてそもそもあまりなかったけど、それが当たり前だったから変だとも思わなかった。あまり違和感覚えず地元公立小学校を卒業して、予想外で通うことになった中校一貫進学校での思春期も、理不尽だと思うこともあったのはあったけど、課題こなすのに忙しすぎて、いつの間にか終わってしまった。

おそらく、自分の学校生活を振り返っても、この程度の認識の方が大半で、この本自体で問題としているような内容を深く掘り下げて知りたい、考えたい層というのはマイノリティーなのだと思う。触らぬ神に祟りなし、だし。

ただ、子育てをする中で、なんかよくわからんけど変、モヤるって思っている人は結構たくさんいると思っている。私もそのひとりだ。

実際、私自身、運動会で子どものダンスや組体操(といっても巨大ピラミッドはないレベル)を見れば、それなりに感動した経験があるのは事実である。とはいえ、「組体操はもうやりません」といわれても反対はしないぐらいの感覚である。PTAも正直必要と思ってなかったし、任意参加であることもわかってたけど、フリーランスで時間を取れなくもいのでひと通りはやった。部長的なお役目も本部役員もやってみて、すべて無駄とまでは思わないけど、少なくとも「地域の偉い人のご機嫌取り要員」的な業務とか、上部組織への上納金だとか、権威付け目的の賞やイベントなんかには、辟易した。そんなのはほんといらないと思う。

運良く実際の2人の子どもの子育てにおいて、小学校までは理不尽な先生にはあたらずにきたが、上の子の部活が、典型的なブラック部活で、あまりにひどいので、教育委員会も巻き込んで改革をやったけど、思い出すのもイヤなくらい、ひどい思いをした経験もある。

私自身は、もともとがひねくれ者で、「母とは、かくあるべし」的な圧力には全力であらがい、我が道を行くタイプなので、母親幻想に苦しむことはなかったけど、さまざまな共同幻想の怨霊に取りつかれて苦しくなる人は多いのだろうなと思う。そういう人にこそ、武器はあったほうがいい。

道徳が教科化されるのは、保守派の感動統治が目的のひとつとしてあるのだろう。

ただ、ほんとうに、いわゆる伝統的な子育てが過去に存在し、守るべき素晴らしいものであったなら、学校に行かない選択をする子どもの数も、自ら命を絶つ子供の数も、過去最高になんてならないのではないだろうか?

学校や大人によって子どもが「感動統治」される、そんな社会がいい社会になんだろうか?

すでに道徳は教科化され、相変わらず感動統治が続いている。

そんな中で、今個人でできることは、

正しいことは何かを自分で考え、自分で決め、訂正していくことができる力

を子どもたちに育むことだと思っている。そのために、まずは大人がその力を身につけなければならない。

一般人だけでなく、法曹界の人をも魅了している今期の朝ドラ「虎に翼」。私もハマっている一人だが、先日見た放送での多岐川さんの言葉がしみる。

「国や法 人間が定めたもんはあっという間にひっくり返る。ひっくり返るもんのために死んじゃあならんのだ。」

道徳だって、国語教育だって、これまでひっくり返り続けてきた。そして、ひっくり返して、為政者の都合のいい物語(虚構)がつくられ、国民感情がコントロールされた時代があった。その結果、多数の命が奪われたことは紛れもない事実である。

人は簡単に物語(虚構)にコントロールされる生きものだ。なぜなら、人間には豊かな感情があるから。

人間は理性的に物事を考えて判断していると思いたい人にとって、多くの人が物語の力によって動かされてしまうといるという現実は、受け入れがたいものかもしれない。科学的な根拠やメリットを提示しながら説得すれば人は動いてくれるはずと思いがちだが、実際には、そうはならずに相手が不合理な判断を下してしまうというケースは多々ある。

ここまで、この本を通して、これまでかというくらい、物語(虚構)につき動かされる集団意識を見てきた。感動統治はまさに物語の力を利用しているといえる。物語の力は絶大だ。使いようによっては人の感情と行動をコントロールすることができる。だからこそ取扱注意なのだ。

絶対に正しい答えなんて存在しないこの世の中で、ゆるふわ感動ワードが作り出す物語に流されないためにできることの一つが、

人文知という棍棒を手に入れる

ということなのだとこの本を読んで思った。

歴史や哲学、文学、心理学をはじめ、過去の様々なジャンルの書物から学ぶことでゆるふわ感動ワードに流されない知識と教養を身につけることが可能だ。過去の書物を紐解き、歴史や哲学、文学、心理学を学び、他者の意見もききながら、自分で考えて事実を解釈する。ときには、その解釈を手放し、訂正する。正解らしきものを安易に鵜呑みにせずに、それは本当に正しいのか、物事を見極める目も養い、自分で判断する力を身につければ、自らを、そして周りの人を助ける力になる。

とにかく、人文知は誰だって手に入れることができる。

学ぶか学ばないか、やるかやらないな、それだけの違いだ。

とにかく何らかの形で学び始めてみよう。

人文知という棍棒を手に入れるのだ!


最後に、ちょっと補足。人文知の必要性については、こちらの株式会社CONTENのnoteにすばらしくまとめられているので、読むことをおすすめします。


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