相手が「どう思うかな」、と考えるつもりで、 相手に「どう思われるかな」、と氣にしてしまう。 似ているようだけれど、本当はずいぶん違う。 それにうっかり氣がつかないと、 やさしい人ほど苦しくなる。 「どう思われるか」は思いやりではないと、 やさしい心は知っているから。
日曜日は9時まで意地でも2階の寝室にいる。リビングに行くには気力が要るんだな、と思わされる。 それでも目が覚めてから1時間は次男とトーク。頭撫で合ったり…この時間も楽しい。けど1時間は疲れる… 察するのか去っていく次男笑 ふーっ…と力が抜ける。 頭、あの人にも撫でられたい。
「情」で行動する人は 他者にはやさしくはできないもの。だって、他人のことは 冷静に観察して考えなければ、 我田引水に「自分はやさしくしている」つもりでも、痒いところに手が届いているかどうかはわからない。 だから「冷静に考えてみよう」っていうのが 「やさしさ」への第一歩なんだね。