papa grayhair

美術館より街場の生活文化。音響の整ったホールより街かどで奏でられるバイオリンの音色。多…

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美術館より街場の生活文化。音響の整ったホールより街かどで奏でられるバイオリンの音色。多様な人々が行き交い様々な出会い、人々の暮らしが共振して街になる。大学は芸術学(観衆論)、大学院は公共政策学(創造都市)

マガジン

  • 映画やドラマ 少し音楽

    素敵な作品たちと出会ってきた。そんな作品たちとの問わず語り。

  • 世相

    時計の針が進む、そのスピード。20年前にはIPhineはなかった。つまり、この20年はただの20年じゃなかったんだ。どの世代だって、今に合わせて、自分の認識をアップデイトできているだろうか。

  • 街かどの味/お店

    街かどの、案外「主役」でバイプレーヤー

  • 創作

    短編小説/ショートストーリー/ショートショート なんて呼びましょう。

  • ライフデザイン

    これからは、ますます「見本」が不明確になっていく。だから、自ら「生きてい」くをデザインする。

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まあ、いいか。

たいていの場合。僕らは、与えられた「選択肢」を選んで生活している。つまり「自由」は限定的なものということだ。 でも、そういうことに「不自由」を感じないように、僕らは「学校教育」で躾けられる。子どもの頃から、もちろん「無意識」のうちに。だから、大人になる頃には、「選択肢」が与えられないと生きてはいけない「私」になっている。 つまり、刑務所に入れられている受刑者でなくとも「自由」は限定的なんだけど、学校教育を経て大人になった僕らは、「いくつかの選択肢があって、その選択肢を選ぶこ

    • 誇り一つを 胸にかかげて

      1966年だから昭和41年だ。 楽曲「これが青春だ」は、布施明さんのデビュー曲 竜雷太さんをメジャーに押し上げた 青春ドラマといわれるジャンルの先駆け的な 同名作品の主題歌だ。 以下はその歌詞 今じゃ、時代がついてこないだろうと思う。 大きな空に 梯子をかけて 真っ赤な太陽 両手で掴もう 誇り一つを 胸にかかげて 怖れ知らない これが若さだ そうとも これが青春だ 嵐のなかも 君のためなら 七つの海を 泳いでいこう 誇り一つを 胸にかかげて 夢に飛び込む これが若さだ

      • リーダー像

        「リーダー」ってものについてのイメージも、実際の「リーダー像」もぜんぜん変わっちまうんだろうな。 だって集団生産の時代が終わっていく。 1990年代、まだ「印刷物の作成」には多くの人がかかわっていた。 まず、文章を書く人、イラストを描く人、写真を撮る人たちがいて、若い世代では、その認識すらないだろうけれど、「版下」という印刷原稿をつくらなくてはならなくて、そこに並べる文字版をつくる写植屋さんがいて、イラストや写真を印刷原稿に加工する人がいて、印刷の仕上がり色を調整する人

        • カフェの孤独

          彼は、日本ではあまり奏者のいない楽器の名手だった。 楽器云々というよりは彼の音色が欲しくて彼を呼ぶアーティストも多く 1970年代初頭という時代のアイコンになったCMソングにも 彼の演奏が全面的にフューチャーされたものがあり、 何枚かの記念碑的なアルバムからも、彼の演奏が聞こえてくる。 ときどきはツアーにも同行していた。 ただし、ギターやベースのように活躍の場が広いという楽器ではない。 出番は限られていた。 でも、そこのことは彼は気にする素振りもなかった。 出番がなければ

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        まあ、いいか。

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        記事

          日本型組織ワーク

          アートも、専門家だけで話が済むなら、これほどに拗れた状況に置かれることはなかったろう。でも実際には「資金の執行」を決断する強い立場で「フツウの人」が絡んでくる。彼らだって、その立場を「志願」したわけではなく「人事異動」で、その席を占める。だから事前の知識も経験もなしだ。 しかも、そこにいるのは長くて数年だ。また縁もゆかりもないところに異動していく。 これはお役所でも民間の企業でもそうだ。 これは、第一回目の「あいちトリエンナーレ」を、当時の担当者が語った一冊の冒頭にあっ

          日本型組織ワーク

          ある 函館の夏

          ある 函館の夏

          三百六十五歩のマーチ

          楽曲「三百六十五歩のマーチ」 正式には「三百六十五歩の」って書くのかって、それすら初めて知ったといういう感じの、僕にしても、かなり昔のヒット曲。 この楽曲は1968年(昭和43年)のミリオン・セラー、唄ったのは水前寺清子さん。でも、当時としては、「大人から子ども」まで、水前寺清子さんのファンであろうとなかろうと、口ずさんだという、その時代のアイコンになるようしヒット曲だった。 しあわせは 歩いてこない だから歩いて ゆくんだね。 一日一歩 三日で三歩 三歩進んで 二歩さがる

          三百六十五歩のマーチ

          「農」は嗜み/私小説のような公共政策

          その是非はともかく 「行政」つまり役所が心許ない。 自治体が行う、ごみ収集やバスなどの公共交通機関の運営など、直接的な「行政サービス」だけでなく、政府は、この国の「社会」のあり方、農林水産業、工業などの「産業」のあり方をコントロールしている。 「教育」だってそうだ。 その役所がダッチロール状態に入って久しい。 実は政治家っていうのは「大いなる素人」で、立法の内容だって、お役人やお役人のOBが担っている。たまに号令をかける政治家さんもいるけれど、法律をつくれるほどの知識を

          「農」は嗜み/私小説のような公共政策

          生活食

          日本食でも、和食でもなく 「生活食」か。 また教えてもらった。 「外食」でも、まち中華や、インド料理ではなく、まちかどカレーは「生活食」。イタリアンじゃないスパゲティやピザも。 サンダル履きでも行けるところは、伝統的な日本の料理じゃなくても「生活食」。だから、とんかつもラーメンも。 もちろん。わが家でつくる「お家ごはん」は「生活食」 つまりね。気を遣わなくて食えるやつ。 カッコつけなくてもいいやつ。 だからホッとする「食」。 心が素直に喜ぶ「生活していくための日々

          茶室のような喫茶店

          珈琲の味については 今もこの店のマスターにに教えてもらったんだと思っている。 まだ生意気な芸術学科の学生だった頃の話しだ。 世田谷の住宅街 ローシェンナー色の佐官塀 勝手口のような板戸を開けて入ってゆく 知らない人は絶対に入らない。 営業中は板戸の脇に小さな和紙貼の灯に灯りが入るだけ。 (その灯には何も書いていない) 板戸をくぐると小さな庭が切ってあって、飛び石を手繰っていくと ガラス張りの空間があって三人ほどが定員のカウンターとテーブル席がひとつ。キッチンがあって、

          茶室のような喫茶店