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美術館より街場の生活文化。音響の整ったホールより街かどで奏でられるバイオリンの音色。多…

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美術館より街場の生活文化。音響の整ったホールより街かどで奏でられるバイオリンの音色。多様な人々が行き交い様々な出会い、人々の暮らしが共振して街になる。大学は芸術学(観衆論)、大学院は公共政策学(創造都市)

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  • 映画やドラマ 少し音楽

    素敵な作品たちと出会ってきた。そんな作品たちとの問わず語り。

  • 世相

    時計の針が進む、そのスピード。20年前にはIPhineはなかった。つまり、この20年はただの20年じゃなかったんだ。どの世代だって、今に合わせて、自分の認識をアップデイトできているだろうか。

  • まち/まち暮らし

    まちが好きだなと思う。「まち」こそが居心地だ。

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    最近の読書。あらためて、また読んでみた読書。思い出した読書。

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    アートって何だ。デザインって何だ。ときどき音楽。考える。

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Minimal

Minimal、つまり「最小限」。そういう生活を志向して、僕自身のライフデザインを見直してゆく… 少しずつ でも本格的に始めてみた。 まず、クルマを止める。だから在来交通機関が豊富な大都市の都心に暮らすようにした。その上で通勤をなくし、自営業である僕の「事務所」を止めて、いわゆるSOHO(懐かしい言葉)のスタイルに変更した。アシスタント制を止めて、その部分をコンピュータソフトに切り換え、経理も含めてなんでも自分と奥さんでできるようにした。 そして、一日、一件以上のアポは

    • 24時間 戦えますか

      脳出血で倒れたのは2010年の3月のこと。 病院は早めに退院して、リハビリは自分で進めた。 以下は2013年6月に、当時運営していたブログに書いた記事。 いっとき「言葉」を失ったので、「言葉のリハビリ」のために続けていた。 まだ読んでいない「本」です。 犬塚芳美さんの著作「破損した脳、感じる心 高次脳機能障害のリハビリ学」(亜紀書房)の帯に 『夫はジキルとハイド、計算はできないけれど、俳句をつくる。  左も右も言えないけれど、映画を論じる』 とあります。 ご主人は

        • この街/人工家族/僕のはじまり

          あの頃はまだ、高度成長期の残り香も濃厚な時代だったから、横浜市役所も「ヨコハマウォーキング」などというPOPなデザインのガイドブックをつくっていた(1981年/昭和56年)。 その中に「ダウンタウン・パラダイス」という一節があって、こんなことが書かれている。 通りの一角に昔懐かしい駄菓子屋があった。手あかが付いて黒光りした木ワクのガラスケースの中には、赤や青のアメ玉や塩せんべい、南京豆、イカ、こんぺい糖がいっぱい。母親から小遣いをせびり、もらった金を汗が出るほど握りしめて

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          銀座みゆき通り

          銀座みゆき通り

          技術の進歩スピードは、すでに生身の人間では追いついてゆけないほどに高速になってしまった。だから常にトレンドをキャッチアップして生きていこうとするより、自分自身に見合ったライフスタイルを見つけた方がいい。たぶん、死活問題になる。AIとも上手く付き合っていく。呑まれない。

          技術の進歩スピードは、すでに生身の人間では追いついてゆけないほどに高速になってしまった。だから常にトレンドをキャッチアップして生きていこうとするより、自分自身に見合ったライフスタイルを見つけた方がいい。たぶん、死活問題になる。AIとも上手く付き合っていく。呑まれない。

          「イベントコミュニティをデザインする」か。僕は「イベント」にも「コミュニティ」にも否定的な考え方だ(特に多様性を重んじる時代には)。だいたい「イベントコミュニティ」ってどういうものか。イメージがわかない。造語かな。

          「イベントコミュニティをデザインする」か。僕は「イベント」にも「コミュニティ」にも否定的な考え方だ(特に多様性を重んじる時代には)。だいたい「イベントコミュニティ」ってどういうものか。イメージがわかない。造語かな。

          「目的」で人を集めようとしちゃダメだ。目的が無くなれば人は来なくなる。だから商店街の集客にイベントは効かない。イベントは目的だからだ。商店街の「雰囲気」を理解し、アピールポイントを磨き、手づくりでいいから雰囲気の発信を始める。その方がサスティナブルな集客に繋がる可能性が高い。

          「目的」で人を集めようとしちゃダメだ。目的が無くなれば人は来なくなる。だから商店街の集客にイベントは効かない。イベントは目的だからだ。商店街の「雰囲気」を理解し、アピールポイントを磨き、手づくりでいいから雰囲気の発信を始める。その方がサスティナブルな集客に繋がる可能性が高い。

          消えゆく商店街

          商店街。 案外「長い歴史が」というところの方が稀で、復員してきた兵隊さん向けの就業対策で、当時の行政がメイキングしたところも少なくない。だから、長い修行期間があって店舗を構えたというのではなく、〇〇屋さんの選択も、創業メンバーのくじ引きに拠ったというところもあるくらい。 つまり、そんなに「玄人」なキャリアがあるわけではない。もちろん、一生懸命やる人とそうでない人の差はあったろうけれど、うならせるような仕事をする基盤はない。 (新聞屋さんがやりたかったが抽選で外れて牛乳屋

          消えゆく商店街

          ここは県立高校だったんだ

          ここは県立高校だったんだ

          戦争という経験

          僕は1961年生まれ。前の対戦が終わったのは1945年。つまり敗戦から15年ほど後の生まれということになる。ちなみに「阪神淡路大震災」は、今から30年ほど前のことだ。 子どもの頃。横浜駅の東京寄り、東口と西口とをつなぐ通路には、傷痍軍人さんがいた。大戦で身体の一部を失った人が、楽器を弾きながら、路ゆくひとに喜捨を募る。 白い服を着て軍帽をかぶっていた、当時は暗かった地下通路に、申し訳ないけれど、その姿は亡霊のようだった。 僕は、正直言って、怖かった。右腕があるべき場所に

          戦争という経験

          scene/街かど

          scene/街かど

          美術

          1873(明治6)年、皇帝フランツ・ヨゼフ一世の在位25周年を記念して開催された「ウィーン万博」。これは日本政府が初めて公式参加した万国博覧会だった。その出品作品の選定にあたって「ファインアート」の訳語として創案されたのが「美術」という言葉だ。 (「ファインアート」=多くの場合「純粋芸術」と訳される。「美しい以外にとくに役に立たない芸術」を指すとも) 音楽画学像ヲ作ルノ術詩学等ヲ美術ト云フ 当初、美術と音楽の分類はあいまいで、今では文学に位置付けられる表現も「美術」とさ