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世相

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時計の針が進む、そのスピード。20年前にはIPhineはなかった。つまり、この20年はただの20年じゃなかったんだ。どの世代だって、今に合わせて、自分の認識をアップデイトできてい… もっと読む
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技術の進歩スピードは、すでに生身の人間では追いついてゆけないほどに高速になってしまった。だから常にトレンドをキャッチアップして生きていこうとするより、自分自身に見合ったライフスタイルを見つけた方がいい。たぶん、死活問題になる。AIとも上手く付き合っていく。呑まれない。

サンクチュアリ

まだ、多くの人々が巨大な「フツウ」に参加して、それで生活を成り立たせているところがある。 (自分の脚で歩き始めた人もずいぶん増えたけど、まだマイノリティだ) 「フツウ」っていうのは「最大公約数」だから、剪定し過ぎの樹木のようなもの。もともと「フツウ」に生まれる人はおらず、もとはみんなが、それぞれに「個性」ある個人だ。でも、主に「食っていく」ために、自らにハサミを入れて「フツウ」になってがんばる。 だから疲れてしまうこともある、と。 そんなとき、街まで「フツウ」だったら

「ぼーっと生きてんじゃないよ」 か

できるだけ「楽(らく)」に働き、日々の買い物は便利に済ませ(つまり楽で)、水を飲むにもトイレに入るにもノーストレスで自動制御がいい。 (井戸まで水を汲みに行かなければならないのがスタンダードだったんだし、僕が生まれた頃はヨコハマの都心でも定期的に「汲み取り」をしなければならないトイレは残っていた) 仕事だって、するべきことがマニュアルに書いてあって、そのとおりに業務を処理すればいい。目の前にお客さんが来れば、誰かがつくった選択肢の中から商品を選ばせて、マニュアルどおりに商

「働く」が危ないから

お金に働いてもらって、それだけで食っていけるほどの資産を持っているわけでもない僕らは、つまり「働く」しかないわけです。「働く」は喰っていくための最後の砦ともいえる。 でも、高度成長期も半ば以降は、その「働く」を甘くみていたし、手も抜いてきた…特に高度成長な戦後日本しか知らない世代は「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とばかりに「楽して儲ける」を礼賛してきた。 楽ちんで、簡単で、ノー・ストレス… 長い修行期間を経て、毎日が真剣勝負というような職種を選ぶ者が変わり者…「こつこ

0・01秒差で

多くの人が仕事を求めて「大都市(特に東京)」に集まってくる。故に「大都市」は過密。外国人の投資家の介入もあって不動産価格は高止まり。不動産に関する経費が高ければ、食品やモノを売ること、飲食するんだって高止まり。託児施設だって高い家賃と無縁ではない。 給料が上がったって、それが広範な「消費拡大」に繋がるかどうか。税金だって、これからは負担増だ。 つまり、子どもを産み育てる環境ではない。 大都会で子どもは増えない。 地方には頑張ってる自治体もあるけれど、総じて「過疎化」だ。仕

分水嶺

1961年生まれの僕が、まだ小学5年生か6年生だった頃のことだ。 その頃、神奈川県相模原市の「米軍相模補給廠基地」からは、いよいよ激しさを増すベトナム戦争の戦場に、たびたび戦車や自走砲が送られていた。 送られるのは横浜港瑞穂埠頭から海路で。これを、大学生を中心にした若者たちや労働組合の人たちが阻止しようと実力行使に出ていて、機動隊などと衝突。埠頭の入口付近は、子どもたちにとって「近づいてはいけない」場所だった。 この「実力行使」の中に、後に社会党(当時)の委員長になる飛鳥

驚天動地

食べ物にしても 生活雑貨みたいなものにしても 片や「特盛」消費な方向へ 片や「質的」な方向へと洗練されていく… そういう感じで「売り手側」が はっきり舵を切る…そんな感じが少し鮮明になってきたように思う。まだ「買い手側」の意識は、そんなに鮮明じゃないと思うけど。つまり、売り手側が(先を見越して)先手を打ってきているというところなんだとも。 「中流」ド真ん中な消費ゾーンがあって、それが、少しぶれたところあたりに「上流っぽい消費ゾーン」と「下流っぽい消費ゾーン」がある…そんな

孤独なファミリーレストラン

かつて大箱のロードサイド・レストランは「ファミリーレストラン」と呼ばれた。でも、そういう感じが残っているのは、郊外の一部「幸福な住宅街」にある店舗だけかもしれない。それも毎日というわけではなく、土日の中間だけかな。今は「一人客」の方が目立つ。 朝も「おひとりさま」予備軍のご高齢「おふたりさま」か、やっぱり「一人客」ばかりで、おしゃべりのない空間にクラシック音楽などのBGMが空虚に流れているだけだ。 若者がいても、ほとんど勉強している。二人で来ていても、お互いスマホをいじっ

「働く」が危ない

面倒臭い。そこから派生するストレスが嫌。 だから、世の中、こんなになっちゃんたんだろうと思う。 でもね。 APAホテルの「秒」でチェックイン。もちろんAIで無人。これが汎用されれば、将来の「ホテルマン」という技能は失われる。 (修行の場がなくっちゃうから) でも、多くの人はそんな状況を憂うることはない。就業者としても修行なんてない方が楽ちんだし、利用者だってフロントと応対するのは面倒だ。「秒でチェックイン」の方が楽ちんでいい。そんなところでタイパしても、何を得するのか

新自由主義者

タテノカズヒロさんの著作「コサインなんて人生に関係ないと思った人のための数学のはなし【マンガ】」(中公新書ラクレ)。その例示マンガの中に彼女に靴をプレゼントしたいのだが、彼女の靴のサイズがわからずに思案する彼氏が登場するものがある。 彼は、彼女の身長については154cmと知っていたので、身長170cm、靴の大きさ26cmの女性の友だちがいたことから26cm×(170cm分の154cm)の式で彼女の靴のサイズを割り出そうとする。 でも、この公式は「身長が170cmの女の子の靴

そんなもんなんだ

川本三郎さんの著作「向田邦子と昭和の東京」(新潮新書/新潮社)に、こんな一節がある。序章が始まってすぐのところ。 しばらくあって… と。 うちのオヤジも「東京を壊したのは空襲じゃぁねえ、オリンピックだ」が持論だったけど(ここでいう「オリンピック」はもちろん1964年開催の東京オリンピック)、この国に継がれてきた生活文化を殺したのは、やっぱり「テレビ、冷蔵庫、洗濯機」を「三種の神器」などと呼んだ、あの高度成長期だったんだと思っている。 僕は1961(昭和36)年の生まれ

終わりは始まっている

植木等さんが「そのうちなんとかなるだろう」と歌ったのは1964(昭和39)年。前の東京オリンピックが開催された年だった。。東宝映画「ホラ吹き太閤記」の主題歌。曲名は「だまって俺について来い」だった。 2023年、そんなこと言われても無理というのが時代の気分だろう。 あの頃は高度成長期。1955(昭和30)年から1973(昭和48)年までの18年間、日本の実質経済成長率は年平均で10%以上。確かに「そのうちなんとかなった」のだろうし、当時は工業生産なマニュアル・レーバー全盛

公衆

最近あまり聞かなくなったが「公衆」という言葉がある。ポピュラーなところでは「公衆トイレ」「公衆浴場」あたりだろうか。 その「公衆」という言葉は以下のように定義されているようだ。 共通の関心で結ばれているが,拡散して組織化されていない集団。ただし,同じく未組織集団であるが,集合密度の高い群衆とは対照的に区別される。 G.タルドによれば,群衆の場合,その成員が空間的にまた物理的に近接していなければ存在できないのに対し,公衆は分散して存在することができ,コミュニケーション手段の

サスティナビリティ

会社で「サスティナビリティ」に取り組む。 担当者になって、それなりに充実感を味わっている。 彼の「サスティナビリティ」ってなんだろう。 受けてきた教育に準じて「これ一冊でわかるサスティナビリティ」を読んで お作法を理解するようにイメージを掴んで それを会社の会議で披露する。 「サスティナビリティ」の担当者として、ふさわしい振る舞いをしようとする。ときにはメディアの取材などがあって、それらしいことを言ったりする。 まぁ。それでも、彼は「意識高い系」だ。 でも、彼の私生活は